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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 690 週間リポート 中日ドラゴンズ編

2021年06月02日 | 1977 年 



家を新築じゃい!やったるぜ
星野のいない中日投手陣なんて…と言う人は多い。確かに昨季後半、右足肉離れで星野が不在となった投手陣は崩壊してしまった。契約更改の席で17%減を言い渡された星野は「そんなバカな。俺の怪我は公傷でしょ。あれを公傷と認めてくれなければ安心してプレーできない。断固戦うよ」と怪気炎を上げた。この勢いに押されたのか二度目の交渉で球団は11%減に譲歩し200万円ダウンの1600万円を提示し星野はサインした。「まぁお互い痛み分けってところかな。最初から公傷扱いして金額提示してくれていたらもっと気持ちよくサインしたのにね」と破顔一笑とはいかなかった。

契約更改を終えた星野は各方面からの誘いを全て断り、年も押し迫った12月20日に右足の回復具合を診てもらう為に広島の住田師を訪ねた。「うん、もう殆ど大丈夫だ。後は怪我をした右足を鍛えていくことだ」とゴーサインを得て早速ランニングを開始した。周囲は急に走ることに反対し年が明けてから徐々に動けと忠告したが星野には1日でも早く体作りを開始したい理由があった。星野は現在、名古屋市内に新居を建設中なのだ。「ローンを返す為にも来年は頑張らなくちゃ。200万円のダウンは痛いよ。早く体を元に戻してキャンプに備えたい」と気持ちは既に戦闘モードになっている。

プロ入りして7年間、星野は毎年昇給していて年俸ダウンは今回が初めて。それが星野の負けん気に火をつけた。今季にかける意地が痛いくらいに感じられる。「正月三が日くらいはゆっくり休養しますよ。休み明けからスケジュール通りのトレーニングを開始しますよ。まぁ見てて下さい、開幕戦では後楽園球場の連敗ストッパーになってみせますから」と星野は威勢のいい台詞を言い放った。周囲はこんな相変わらず強気のエースを頼もしい気持ちの一方で心配しハラハラしながら見守っている。



本当の本物は一味ちがいます
静かだった浜松キャンプにウイリー・デービスが合流した途端、" デービス旋風 " を巻き起こした。しかしそこは大リーグで17年間活躍してきた選手だけに周囲のお祭り騒ぎにも決して振り回されていない。普通、日本に来た外人選手は練習初日の打撃練習で長打をポンポン連発し「どうだ、オレの実力はこんなもんだぜ」と言わんばかりにデモンストレーションをかけるのが通り相場になっているがデービスにはそんな欠片さえも見られない。「本格的なバッティングはまだまだ先(デービス)」と軽く流して打撃練習を終えた。これには待ち構えていた報道陣も「無理をしないところはさすが大物」と感心しきりだ。

練習開始3日間の打撃練習で空振りはゼロで低目はバットを巻き込むように引っ張り、高目は上から叩きつけるダウンスイングで打ち方に無理がない。いかにミート中心を心掛けていたかが分かる。徐々に体が出来上がってくるとデービスは得意の足技を披露し始める。全選手の前で二盗のお手本を見せたが、大きなストライドは勿論だが日本人選手とは比べ物にならないくらいの大きなリードに「あれだけ一塁ベースから大きくリードしたら盗塁できて当然だ」と選手らは驚いた。来日前は足と肩の衰えを懸念する声もあったが一掃した。与那嶺監督は「全てが本物だったね」と相好を崩した。

毎朝7時になると宿舎の浜松グランドホテルの615号室から「ナムミョウホウレンゲーキョウ…」と何やらお題目が流れてくる。声の主はデービスで30分間続く。これには隣室の杉山コーチが「いつもあの声で目が覚めてしまう。それにしても陽気なデービスがお経を唱えるとは意外。外見では分からない真面目な一面もあるんですね」と半分は迷惑しつつも半分は感心し驚いている。今後キャンプを怪我無く順調に過ごし体調が万全に仕上がったら「今以上に我々が驚くプレーを披露してくれるに違いない」と関係者は首を長くしてその時を待っている。



反射神経に体がついていける
日ハムとのオープン戦の初回、三塁に谷木選手を置いて打席には高木守選手。高橋直投手が投じた直球にバットを一閃すると打球は左翼席に飛び込んだ。これまで貝のように口を堅く閉ざし黙り込んでいた高木の口元から白い歯がこぼれた。オープン戦で初めて見せた笑顔だった。「カウントが1ー1で次はきっと外角に来ると読んでいたが内角に来た。咄嗟にコンパクトに振り切った(高木)」と振り返る。高橋直は高木が苦手とするタイプの投手で読みが外れると中途半端なスイングで凡退することが多かったが、ようやく自分の体がいうことをきくようになったのである。「もう大丈夫だ」これが高木が笑顔になった理由だ。

オープン戦で二番に入った高木にとって長く苦しい道のりだった。浜松キャンプ中盤の守備練習中に背中にズキーンと鈍痛が走った。「まずい、またやってしまった…」と高木は目の前が真っ暗になった。周期的に襲って来る死球の後遺症による痛みで防ぎようがないのだ。かかりつけの名古屋市内の医師のもとへ行き治療しキャンプを1週間ほど離脱した。昨季も痛みを騙し騙し試合に出場していたが、とうとう体が限界を迎えて長期の欠場となってしまった。それを教訓に痛みが酷くなる前に治療に専念したのだ。

その甲斐あって痛みは酷くならずオープン戦に出場することができた。それでも当初は痛みの再発を恐れて思い切ったプレーは躊躇することもあった。それがあの試合で高橋直投手の内角球を咄嗟の反応で打つことができた。つまり気持ちとは関係なく反射的に体が反応したのだ。「これで開幕を迎えられる」と高木は久々に確信を得た。「キャンプで西沢さん(元監督)にこう約束したんです。例え体がボロボロになっても動けなくなるまで頑張ります、って。その約束を果たせそうです」と高木は嬉しそうに話した。チーム最古参の高木は間違いなく欠かせぬ攻守の要である。

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