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# 747 田淵よ、お前もか…

2022年07月06日 | 1977 年 



掛布の復帰でようやく阪神の追撃が開始されると思ったファンの喜びは束の間だった。ミスタータイガース・田淵選手がヒジ痛でベンチに。故障者続出の中を1人で頑張った田淵だったが吉田監督は「田淵よお前もか」と暗澹たる気持ちだろう。お祓いでもしたいような阪神の不運はいつ晴れるのか…

昨年のスタメン脱落と期せずして同じ時期の欠場
日本列島に梅雨の季節が訪れた。阪神ファンには例年以上に憂鬱な梅雨となった。そんな阪神ファンがスタンドから「オイ、吉田!田淵を出さんかい!最後くらい見せ場を作れ!!」と叫んだ。だが吉田監督は田淵選手を起用することはなかった。梅雨の晴れ間となった6月14日、ヤクルトと帯同した静岡・草薙球場での出来事だった。田淵はこの試合に代打での出場もなく、昭和49年から続いた連続試合出場も343試合で途切れた。「残念だけど仕方ありません。試合前の打撃練習もしていないし出場は無理だと諦めていました。こうなったらヒジが治るまでプレーしないと腹を固めました」と田淵は言う。

主砲を欠いた阪神は敗れた。勢いに乗ったヤクルトに場所を神宮球場に移した翌15日の試合も負けて6連敗を喫した。15日の試合は吉田監督は苦肉の策でスタメンを全て若手選手を起用したが功を奏さなかった。思い起こせば昨年の6月11日、ナゴヤ球場での対中日戦で田淵はスタメン落ちをしていた。中日戦の前の巨人戦で田淵は守りでミスを連発し、打つ方も不発で巨人戦は連敗。当時の吉田監督や山田ヘッドコーチら首脳陣は攻守ともに不振が続く田淵の処遇に苦慮していたが、遂に田淵のスタメン落ちを決めた。

このスタメン落ちはミスタータイガースであり主砲である田淵の心証を害した。試合に出たい田淵はソッポを向き、ベンチの雰囲気は悪化するばかりで困り果てた吉田監督は一札を入れた。それは「今後いっさい四番から外さない。どんな事態になろうとも…」と全面降伏だった。左ヒジ痛(正確には左ヒジ外顆炎)が6月10日に大阪厚生年金病院の黒津清明整形外科医師が下した正式診断だ。翌々日の12日の対中日戦(甲子園)からスタメンを外れて代打で途中出場、次の対ヤクルト戦では代打出場すらしなくなった。あれから1年、状況は多少の差異はあるが再び田淵は四番を外されベンチを温める事態に陥った。


故障者続出でヒジ痛を我慢していたマイナス
ここで一つ不可解な点はヒジ痛の症状である。田淵は診察を受ける前日に山内コーチ指導の下、150球も打ち込みをしていた。診察結果は左ヒジ炎症だったが試合出場に支障はないと言われた。ところが田淵はスタメンから消えたのだ。田淵本人の意思なのか首脳陣が大事をとっての措置だったのかは明らかではないが、昨年の一件を考えれば余りにもあっさりベンチ控えとなったのは腑に落ちない。恐らく田淵はかなり以前からヒジ痛を感じていたのだろう。だが故障者続出のチーム状態を考えて無理を押して出場し続けていたが、とうとう我慢の限界を越えて休養を余儀なくされたと考えるのが妥当であろう。

5月12日から6月9日の約1ヶ月間、74打数17安打・打率.229・1本塁打。安打の殆どが右方向であり本来の田淵の打撃の姿とは程遠いモノだった。この間チームは掛布選手や佐野選手ら故障者が相次ぎ、これ以上チーム内に混乱を招きたくなかった田淵は報道陣に多くを語らなかったがチラリとヒジの具合が思わしくないと漏らしたことがあった。田淵がプロ入りした当時の監督で田淵の状態を熟知する後藤次男氏は「5月の中旬あたりから振りの鈍さが目立ち始めた。下半身がグラついて手打ちばかり。あれでは長打は出ない。彼本来の豪快なスイングは見られず、ヒジを怪我しているなら治療に専念すべき」とズバリ指摘する。


深刻な田淵とチームの悩み、ミスターと共にある阪神
プロ生活9年目で30歳となれば若い頃の勢いを求めるのは少々酷というもので、やはり衰えは隠せない。だがいくら故障がちとはいえこうも急激に降下するものでもない。田淵は苦しい胸の内を「はっきり言って自分でもよく分からない。打撃不振の原因はいくつか考えられるけどヒジ痛だけとは思えません。キャンプで減量して逆にパワーダウンしたのかも…と考えてしまって。ホームランを打ちたい、チャンスには応えたい、と気持ちは人一倍あるのに結果が出ないもどかしさ。今回の休養をきっかけに何とか早く調子を取り戻したいと考えています」と打ち明ける。チームリーダーの打撃不振は当然のようにチーム全体に大きな影響をもたらした。

その間に首位巨人は着実に勝ち星を重ねて阪神とは8.5ゲーム差にまで広がった。ヤクルト、大洋にも抜かれて4位に転落し、もはや首位争いどころか中日や広島と最下位争いを展開中だ。ペナントレースはまだ3分の1程度を消化した時点なので優勝の灯が消えたと言うのは早計だが巨人との足取りを比較すると優勝は絶望的との危機感は否めない。巨人の王選手も一時は田淵と同様にスランプに陥っていたが、6月の声を聞く頃になると徐々にではあるが復調の兆しを見せ始めた。王は絶不調から自力で這い上がりつつある。両主砲の明暗はそっくりそのまま両軍の明暗に反映している。

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