<手足がぱんぱんになっていると訴えてきた78歳の男性>
78歳の男性が不思議な訴えで受診してきた。近隣の眼科の先生から「眼瞼の腫れ,身体のむくみ感,尿が出にくい」とのことで腎疾患の可能性を疑われて紹介されてきたが,患者の直接の訴えは「手足がぱんぱんになっている感じ」だという。
2ヶ月位前,背部に痒みがあり全体に細かい発疹が出現。もともとからある乾燥肌と違っていた。1ヶ月半前から,手足が全般的にむくんでいる感じを自覚。顔(目の周り)もむくんできた。そして体全体がかったるい感じがする。関節の痛みはないが,とにかく全体に「手足がぱんぱんになっている感じ」がつらいという。この方は初診なので以前の様子が分からないので,実際のところどう変化したかは不明である。ぱっと見た感じでは,そんなふうには見えなかった。
話を聴き始めた当初は「手足がぱんぱん」と言われても正直何だか全く思いつかなかった。途中からは(パルボかな?)と思ったが,少し違う気がする。筋酵素や炎症所見の有無など一般的な血液検査をまず出してみることにする。ただ高齢者のよくわからない訴えのときには,必ず甲状腺機能はチェックすることにしているのでTSH,FT4を提出した。
結果はTSH 277, FT4 0.26と明らかな甲状腺機能低下症。そういえばそうだ。あとから考えれば,いかにも・・のケースである。なぜ甲状腺機能低下症を最初に思い浮かべられなかったんだろう。
<What is the key message from this patient ?>
甲状腺機能低下症は,症状が多彩である。しかも患者さんが自分が感じている症状を「どのように言葉に表現するか」は,ときに我々の想像を超える。今回は「全体に腫れぼったい感じ,手足がパンパンになっている感じ」という表現だが,これを「浮腫」という言葉に脳内変換できたらすんなり甲状腺機能低下症を思いついただろう。医学の素人である患者さんがうまく説明できないのは当然である。それをどう医学的な意味にとらえ直すかは,言ってみれば病歴聴取の醍醐味みたいなところがある。以前,ある先生に「同じことを3回聞き方を変えて聞け」と教えてもらったことがあるが,まさに患者さんがうまく表現できないときは,こちらから何度も聞き方を変えてみることが必要で,いわば患者さんとの共同作業みたいなものである。
さて,同時に測定したCK 657,Cr 1.32だった。甲状腺機能低下症に伴うCK上昇は比較的よくみる所見で,UpToDateによればその上昇は軽度で正常の10倍以下くらいとされる。個人的には2000 U/L位まで上昇した症例の経験がある。Hypothyroid myopathyということになるが,自覚症状として筋症状はあまり経験ががない(あるcase seriesでは筋症状痛は40%位とUpToDateに記載があったがが,個人的にはそんなにあるかな〜と思う)。さらに興味深いことにCK上昇と同じ機序なのかもしれないが,Crもわずかに上昇している。この場合のCr上昇は腎機能低下とは関係がないと考えられる。この方の場合は治療の経過でCr値は1.10程度になった。わずかの変化なので見逃されているかもしれない。興味深いことに,甲状腺機能亢進症では逆の動きをする。治療開始前は,Cr値は低めで治療を開始するとわずかに上昇する。もし体格に比して血清Cr値が「正常以下」のときには甲状腺機能亢進症を考えるというのはちょっとしたパールである。
さて肝心の症状の経過だが,補充療法を始めて約2ヶ月後には甲状腺機能は正常化し,手のむくみや「パンパンに張った感じ」は消失した。自覚的な倦怠感も完全になくなったという。あとで判明したことだが,奥さんは声の変化を心配していたという。曰く「喋り方がなんとなく変で,この人,脳梗塞にでもなったのではないかと思っていた。それが治療を始めてから元に戻って安心した」とのこと。Hypothyroid speechも実はあったわけだ。初診時に声や喋り方を聞いてhypothyroid speechとまでは思い至らなかった。普段患者の声を聞き慣れている家族だからこそ気付ける変化だったのだろう。
機能低下症の原因に関してだが,橋本病だと予想したが抗TPO抗体は陰性で意外なことにTSAbが陽性だった。調べてみるとと,TSAbの中には阻害型抗体 Blocking antibodyというのがあるそうで,機能低下の原因になることがあるらしい。
SRLのHPを確認してみると,現在のところは次のような記載になっていた。
TSBAbはTSH受容体に作用し生理的濃度のTSHの作用を抑制し、甲状腺機能低下症の発現に重要な役割を果たしているものと考えられている。このTSBAbは甲状腺腫の腫れない原発性粘液水腫(萎縮性甲状腺炎)の患者やバセドウ病の治療経過中に甲状腺機能低下症となった患者に検出されることが報告されている。
ただし測定法や臨床意義の文献は準備中となっていて,通常の受託項目ではないとのことだった。
同僚の内分泌に詳しい先生に聞いてみても
・実臨床で,抗体陰性の甲状腺機能低下症はそこそこいる
・抗体に関してはよくわかっていない
・以前,超有名な甲状腺専門病院に抗体陰性の機能低下症を紹介したら,戻ってきた返事は「甲状腺機能低下症で補充療法をして下さい」ということだった。
ということでは,まだ分かっていないことも多い・・ということが分かったのであった。