H's monologue

動き始めた未来の地図は君の中にある

使命の道に怖れなく どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じた道を歩こう

2月 穏やかな最期

2021-02-27 | 内科医のカレンダー


<浮腫と呼吸困難で受診した79歳女性>

 浮腫と呼吸困難で娘さんに連れてこられた79歳の女性。自覚的には軽い息切れがあり,下肢浮腫を認めた。来院された時点で,腎機能はBUNは60〜70mg/dl,血清Crは2.0mg/dl前後,eGFR 20 ml/minを切る程度。痩せ型で小柄の文字通りちっちゃくて可愛い感じのおばあさん。体重は20kg台で,まさに車椅子にこじんまりと収まっているような感じだった。娘さん夫妻が面倒をみておられるが,入院するとADLが低下するだろうなと予想された。幸い自覚症状はまだ軽いので,外来でゆっくり診ることにした。だた腎機能低下がさらに進行したとき,維持透析にまでうまく持っていけるかどうか正直かなり迷うな・・と思った。

 通院開始して半年が過ぎた頃から胸水貯留が出現した。自覚的な呼吸困難はない。フロセミドを少量からそっと使ってみる。胸水は徐々に減少してきたが,当然のことながらBUN/Crは上昇する。胸水が消失した頃は,BUN 120〜150mg/dl,Cr 2.5 〜2.7mg/dlまで上昇した。

 このような高齢の方に対する利尿剤の使い方で私がよくやるのは,”体重によるスライディング・スケール”である。最初は手探りだが,透析患者のドライ・ウエイトのように,その患者のおよその適正体重を設定する。そこから1kg増えたら,例えばラシックスを40mg 2錠を朝夕分2で,2kg増えたら1回を80mgに増量して,設定体重近くだった40mg朝1回のみ,さらに体重が1kg減少していたら,ラシックスは中止・・といった感じで服用してもらうようにする。ご家族や施設の方には体重や尿量を記録しておいてもらう。次の外来受診時に,その記録をもとに設定する体重と内服量を小刻みに調節するのである。患者の体重で利尿薬の内服量を調整するこのやり方は,研修医の頃に指導を受けたベテランの循環器内科の先生に教わった。高齢者が心不全症状で来院したが,せん妄の可能性が高くて入院させるのを躊躇するような時に意外と重宝する。実際,この方法で超高齢者の方を何人も外来で治療した経験がある。

 さて,この患者さんはその後,胸水は減少したものの娘さんによれば少し元気がなくなってきたという。それで一旦,利尿薬は中止にした。それに伴ってBUN,Crはやや減少してBUN 70〜90,Cr 3前後を推移。下腿の浮腫には目をつぶる。この間,自分としてはこのまま腎機能悪化が進んだらどうしようかと,外来で患者さんを診察するたびにいつも頭の中で思いを巡らせていた。数回,通常の外来とは別枠で時間をとって娘さんと透析に関してどうするか相談の時間も持った。すごく痩せた高齢女性であり,あの細い腕にシャントを造設して使える血管に育つかどうかは難しそうな気がする。娘さんは,何度お話をしても想いが逡巡している様子で最終的な結論を出せずにいた。話の内容からは,透析を積極的に受けさせたいと考えるわけではないが,さりとて可能な治療を行わないというのも決心がつかない気持ちが伺われた。

 通院開始して,半年以上過ぎた頃の11月のこと。胸水がさらに増加して,軽い心不全徴候も出現してきた。腎機能もBUN120,Cr 4.0まで上昇した。流石にこれは外来で無理だろうと判断して,入院で内服薬の調節を行った。幸いADLもそれほど低下せずせん妄の合併もなく3週間の入院を経て何とか退院できた。その時点ではBUN 150mg/dl,CR 3.53。この入院時にも,娘さんと何度も面談を繰り返したが,その度に「今は」透析は見合わせて保存的治療を継続することになっていた。正直なところ,この段階でご家族が強く透析導入を希望されたら,どうしようかなと思っていた。実際に維持透析にまでもっていけるかは全くもって自信がないなぁ・・と考えていたので,少しほっとしたのは偽らざる気持ちだった。

その年の12月半ば,退院後のfollow up外来では,BUN 170,Cr 3.68mg/dl。いつものように車椅子に小さく収まった患者さんは,話しかけると頷いて返事はしてくれる。でも何を言っているのかはよくわからない。年が明けた1月もほぼ同様の感じだったが,受診時の尿毒症臭は著明。uremic breathという特有の臭気がみられる。「痛み止めを下さい」という言葉を繰り返すが,会話は成立する。意味不明の言動はない。だが話しかけないと傾眠傾向である。血液検査はBUN200,Cr 4.0 を超えた。その月末からは訪問診療にすることにした。

 2月になってから,そろそろかもしれないと訪問看護師と聞かされていた。2月半ばのある朝,看護師が自宅を訪問して心停止となっているのが確認された。電話連絡を受けて,時間的に何とかご自宅に伺うことが可能だったため,あらためて看護師と一緒に軽自動車で自宅に向かった。病院から15分ほど走った道を右折して,細い坂道を登っていったところに,患者さん(の娘さん)のお宅があった。屋内に入ると畳の部屋にベッドが置いてあり,壁にはご先祖と思われる2組の夫婦と思しき写真が飾ってあり,反対側には仏壇が置かれていた。玄関の壁には,お孫さんがクレヨンで描いたと思われる可愛らしい絵が飾られていた。

ああ,普段はこのお部屋で日常を過ごされていたんだなあ・・とちょっと感慨深い。

普段,訪問診療をしない自分にとっては,患者さんの生活の場を直接見せていただくのはとても新鮮だった。病院で自分が診てきた患者さんは,あくまでも彼女にとって特殊な時間帯のごく一部であることをあらためて思い知らされた(訪問診療をされている先生からみれば,何を今更とあきられるかもしれない)。

 布団に横たわった患者さんは,きれいなお顔で眠っているようだった。小さな身体が更に小さくなったような気がした。深く一礼した後に死亡確認させていただく。枕元で娘さんご夫妻とひとしきり話しして,おいとまする。病院にもどって診断書を書きながら,娘さんと何度も相談を繰り返し,その度に結論は先延ばしにしてきたこの2年間を思い出した。保存的治療だけで最期を迎えることになったが,結果的には自宅で過ごす時間をなるべく長く持つことができて本当に良かったと思った。

 

<What is the key message from this patient ?>

高齢者の透析導入に関しては,いつも迷うことばかりである。単に数字としての年齢は,透析導入するかどうかの判断材料ではないと私は考えている。透析導入するか(してよいか)は「自分が受ける治療に関して理解がきて,少しでも元気でいたい,まだ何かしたいことがある」と患者が望むのであれば,数字としての年齢は大きな問題ではないと考えている。また自分で判断が出来なくても,親しい身内の方が強く望むのであればそれは十分な理由になりうると思う。一方で,医療経済的には透析というのは今でも高額医療(一人あたり年間500万円)である。ほとんど全額が公費が負担してくれる。だからこそ,限りある医療資源を全体として考えたときに現場の医師は悩むのである。

血液透析という治療は,ある意味人間の自然歴を強制的に伸ばすことができる治療である。高齢の患者さんに,初めて腎不全について説明するときには,いつもこのように説明している。

「身体の寿命と腎臓の寿命と,どっちが長持ちするか競争みたいなものです。」

もし腎臓の寿命が身体の寿命より先に来たら,そのときには透析という方法があります。ただし,その時に腎臓の寿命が「自分の身体の寿命」と考えるかどうかは,その人の「いわば人生観というか死生観」みたいなものです。そこをどうお考えになるか,まだその時は来ていないけれど,ご自分で考えてくださいね。いずれご自分でその判断ができなくなることもあるので,頭がしっかりしている今だからこそ考えて,できればお子さんとか周りのご家族に伝えておくことが大事ですよ。それがいざとなったときに周りのご家族の心の負担を軽くしてあげる方法でもありますからね。

もうひとつ,これも自分が年をとったから言えるようになったのかもしれないが,最近は患者さんには単刀直入に聞くことにしている。

「ところで○○さん,何歳までが目標ですか?」

大抵は,笑いながら

「そうだね〜,80もずいぶん超えたし,もういつお迎えが来てもいいですヮ・・」

といった答えが返ってくることが多い。でも,ときには90代なかばの男性から,

「高望みはしません。あと5年でいいです・・」

なんて言われてひっくり返りそうになることもある。何ごとも聞いてみなければ分からない。

透析患者を診るようになって,30年が経つが未だに答えは一つではないと思う。

「この患者さんには透析の適応がある(ない)」

という表現は,医者の不遜な言い方かもしれないと自戒を込めて,簡単には口にすべきではないと思っている。

 

※遅れに遅れた慢性腎不全に関する原稿を書いていて,何人かの患者さん達の記憶が鮮明に蘇る。原稿には詳細を書けないが,記録として残しておきたいのでこちらに。(個人情報は分からないようにぼかしてあるが,いずれも実際に拝見した方です)

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第50回大船GIMカンファレンスのお知らせ(最終)

2021-02-19 | 臨床研修


皆様,このところ連日のように強風(湘南では南西の風)が吹いていますね。昔の私なら気もそぞろに心穏やかではいられなかったのですが,WSFから足を洗ったのであまり気にならないのでした。(そもそも,さすがに海に入る体力もないし・・)

さて先週お知らせした大船GIMの最終のご案内です。Zoom開催ですが,もう少しなら参加の受付は可能です。明日の午前中までにご連絡いただければ,URLをご案内できます。



●日時:2021年2月20日(土曜) 17時から20時頃まで
 前回同様に16時頃からZoomに入室できるようにしておきます。早めに参加された方が,適当に雑談できるようにします。以前参加されていた先生方,初めての先生も村の青年団の自己紹介よろしくアイスブレークにできればいいかなと思っています。私も16時からは入室しておきます。

実際のカンファレンス開始は17時です。いつもどおり,最初に5分くらい私がイントロをやって開始させていただきます。

●症例提示と討論(Clinical problem solving)

 1)症例1 57歳男性  右下腹部痛
   国立病院機構栃木医療センター 内科 小澤 労 先生

 2)第50回記念小ネタ 大船中央病院 須藤 博

 3)症例2 35歳男性 発熱
   諏訪中央病院 総合診療科  前田 晃宏 先生

いつもどおり私が司会(ちゃちゃを入れる役)をやります。小ネタは,かなり昔に別の会で一度だけやったもののUpdate版です。今回も,皆さんとわいわい楽しみにながら勉強したいと思います。オンラインになっても,大船GIMの雰囲気を残してできるようにしたいと思います。

参加ご希望のかたは直前でもご連絡いただければ,URLをお送りします。参加のご連絡は大船GIM事務局のアドレスofunagim(あっとまーく)ofunachuohp.netにお願いします。このブログのコメント欄で連絡いただいても結構です(オモテには出ません)が,メールよりチェックが遅くなってしまう可能性があります。

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第50回大船GIMカンファレンスのお知らせ

2021-02-13 | 臨床研修


皆様,

大変遅くなりましたが,第50回大船GIMカンファレンスのお知らせです。

今回もコロナ関連に追われて直前(なんと1週間前)になってしまいました。毎度のことで申し訳ありません。

前回初めてオンラインでやってみて,新しい可能性を感じました。対面でのカンファレンスは当面できそうにないので,何とか雰囲気を残しつつ新しいカタチにできればいいと思っています。今回も症例検討2例+小ネタを予定しています。

症例提示は1例すでにご連絡いただいていたので決定済みです。小ネタも珍しく決定済みです(笑)。2例めの提示は大船から出そうと思っていますが,もし,こんな直前でも提示していただける奇特な先生がおられましたら是非ご連絡下さい。よろしくお願いいたします。

●日時:2021年2月20日(土曜) 17時から20時頃まで
 前回同様に16時頃からZoomに入室できるようにしておきます。早めに参加された方が,適当に雑談できるようにします。私も16時からは入室しておきます。カンファレンス開始は17時です。

●場所:Zoom開催,URLは参加申込みをいただいた方にご連絡します。

●症例提示と討論(Clinical problem solving)

 1)症例提示1 小澤 労 先生
   国立病院機構栃木医療センター 内科

 2)小ネタ 須藤より

 3)症例提示2 大船からの予定(提示いただけるなら大歓迎です)

いつもどおり私が司会(ちゃちゃを入れる役)をやります。小ネタは,かなり昔に別の会でやったもののUpdate版を予定しています。


●懇親会
 Zoom懇親会もいずれは考えたいですが,現状ではオンラインの作業を病院からやっている関係で大船GIMの「名物」懇親会はできません。16時からが,いってみればアイスブレーク・懇親会代わりです。ご自宅の先生方はもちろん「飲みながら」で結構です。

////////////申し込みフォーマット///////////////

お名前(   )
ご所属(   )

カンファレンス 参加 (   )
もしあればコメントをどうぞ (  )


参加のご連絡は大船GIM事務局のアドレスofunagim(あっとまーく)ofunachuohp.netにお願いします。このブログのコメント欄で連絡いただいても結構です(オモテには出ません)。その場合は私か事務局からご案内を差し上げます。

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春よ来い!

2021-02-10 | 写真


いい加減,寒いのも飽きてきましたね。

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【発掘】 日野原先生とのツーショット!

2021-02-08 | 臨床研修


古いMacを処分するために中身をチェックしていて,行方が分からなくなってずっと探していた写真ファイルを発見!嬉しい!!

10年前に「日本オスラー協会」の総会のあとの懇親会で,創設者である日野原重明先生のほぼ100歳のお祝いも兼ねた会のときの写真でした。以前,このブログで書いていましたが記録のために再掲しておきます(こうすれば失くさないし)。

大学5年生のときに日野原先生の著作『医療と教育の刷新を求めて』という本を読んで衝撃を受けました。そして卒業後は日野原先生のおられる聖路加国際病院で研修したいと思い,6年の夏休みには見学にも行きました。結果的には,聖路加ではなく茅ヶ崎徳洲会病院(当時)での研修を選んだのですが,William Osler先生やPOSシステムについて知り,自分の卒後研修について考えるきっかけになった日野原先生はずっと私にとっては遠い憧れの先生でした。

日本オスラー協会への参加は,前年に協会の幹事をされている先生から,突然ご丁寧な手紙でお誘いいただいたのがきっかけでした。医学界新聞か何かで,私がオスラー先生に言及していたのを読んで連絡いただいたようで,曰く「先生のような”若い”先生にも是非参加してもらいたい」とのことでした。

初めて参加した総会は,すごい重鎮の先生方ばかりで,私などは「場違い感満載」で端っこの方に小さくなっていました。それでも毎年,総会だけには参加させていただき,翌年の総会が,冒頭にあげた日野原先生の100歳の年(正確には99歳)だったように思います。

このパーティでは,ひな壇のように置かれた椅子に日野原先生が座っておられ,参加者が代わる代わる隣に座って短い間お話しさせてもらい記念写真を撮ったのでした。私の番になったとき,緊張しつつ学生時代に先生の著書を読んで感動したことなどをお話ししました。日野原先生に

「先生はお幾つですか?」と尋ねられて年齢を告げると,あの少し甲高い声で
「ああ,それはボクの半分だね〜」とおっしゃって,食事や日頃の生活など健康の秘訣をお話ししてくださったのを覚えています。

その時のツーショットは宝物だったのですが,その後何度かMacを買い替えたときにファイルが行方不明になっていたのでした。今回,たまたま見つかって本当に嬉しい限りです。

その後日野原先生が亡くなられてから,日本オスラー協会も一旦解散という形になりました。しかし今度,徳田安春先生,山中克郎先生,平島修先生らが中心になって「新日本オスラー協会」(なんかプロレス団体みたいですが・・笑)が立ち上がることになっています。本来なら昨年にキックオフの会があるはずだったのですが,コロナの影響で延期になったのがとても残念です。いずれまた,仕切り直しでイベントも行われるだろうと思います。その時を楽しみにしています。

 

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