H's monologue

動き始めた未来の地図は君の中にある

使命の道に怖れなく どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じた道を歩こう

追悼 徳田虎雄 先生

2024-07-11 | 臨床研修


徳洲会の創始者である徳田虎雄先生が10日夜に亡くなられたことをニュースで知りました。

 卒後すぐに茅ヶ崎徳洲会病院(当時)に研修医として入職して,都合10年を過ごしたこともあり少し感慨深いです。私が入職した頃は,徳洲会がまだ各地域の医師会とも"いろいろ"あったりした時期で,関東に徳洲会が初めて進出した病院で私は4期生として研修の第一歩を踏み出しました。入職が決まったあと,大学のクラブの大先輩からは「何でそんなとこに行くんや」と言われたものでした。当時の世間での報道とか限られた印象からの発言だったようで,実際にその先輩は具体的なことは何もご存知ないように感じました。ですから病院実習など自分の目でみて判断した選択に全く迷いはありませんでした。

 5年間のレジデント,その後半年の米国臨床留学を経て腎臓内科を専門としてさらに5年勤務しました。,救急の患者を断らない,自分の限界は知った上で「No」とは言わない(言いたくない)自分の医師としての根っこの部分を形作ってくれたのは,このレジデント時代であったことは間違いがありません。その意味では本当に良い経験をさせてもらったと思っています。

 縁あって卒後10年で徳洲会病院を離れましたが,徳田虎雄先生の政界進出など自分が出てからの徳洲会についてとやかく言うつもりはありません。徳洲会関連で多くの先生方との交流は今も続いていますし,修行時代を過ごした,いわばもう一つの母校のような感謝の気持ちは今も変わりません。(ただ10年在職しましたが,直接お目にかかったのは2回くらいしかありませんでした。)

 思い返すと発端は大学5年のときに病院実習に訪れた沖縄南部徳洲会病院でした。2週間の実習の中日の日曜日にちょっとだけ観光でも・・という甘い考えは,徳田虎雄先生が沖縄にこられたため講演会への(半ば強制的?)参加で吹っ飛びました。そのときのエネルギッシュな姿は今も印象に残っています。
個人的なつながりはほとんどありませんでしたが,自分にとって大きな転機を与えて下さった先生だと思います。なにより一時代を築いた凄い人であったのは間違いありません。

 

謹んで御冥福をお祈りいたします。

 

合掌

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