<部活中に腹痛を訴えた高校2年の男子など・・>
当直業務に入ってすぐの午後6時過ぎに,救急外来のナースから電話が入った。
「開業の先生から右下腹部痛の55歳の女性をお願い,という連絡がありました。それで実は・・・その患者さんもう来られてるんですけど」
う〜ん,いきなりですか・・と思いつつ救急外来へ。
18:30
55歳の女性。4日前から心窩部痛があり,右下腹部痛が続いている。来院当日の朝の時点で37.1℃の微熱あり。食欲はない。歩くと右下腹部に痛みが響いた。便意がありトイレにいくと少量の排便のみで腹痛は変化しない。近医を受診して紹介にて来院した。経過がやや長いが十分に虫垂炎を疑う病歴である。
この女性から話を聞いているときに,さらにもう一件救急搬送が入る。
18:43
31歳女性の呼吸困難。夕方から同居の男性と話をしていて,途中から四肢にしびれ,呼吸困難を訴えるようになり救急要請。血圧,脈拍,体温は問題ないが,呼吸数24回/日,来院時は興奮状態で「苦しい,苦しい」と声を上げて,四肢は硬直させている。明らかな過換気症候群と判断したので,ちょっと考えたあと紙バックによるrebreathingにしておく(注)。ひとまず検査はなしで彼氏に付き添ってもらう。
19:00
虫垂炎疑いの女性の診察に戻る。全身状態は良好だが,体温37.4℃。頭頸部,呼吸音・心音に異常なし。腹部所見は,咳試験陽性,軽い叩打痛 percussion tenderness陽性の右下腹部に限局した圧痛があり,直腸診では圧痛なし。ほぼ急性虫垂炎と確信。腹部CTでは腫大した虫垂が確認されて急性虫垂炎と診断。外科当直医に相談して,外科病棟に入院の上,緊急手術を行うことになった。
19:40
そう言えばと,様子を見てもらっていた過換気症候群の若い女性のもとに行く。付き添ってきた彼氏によれば,二人で話をしていてちょっとした言い争いのあとから過換気になったとのことであった。紙バッグによるrebreathingにより徐々に自覚的な呼吸困難は改善して,四肢のしびれも消失した。呼吸回数も安定して,症状も良くなったので帰宅可とする。血液ガスもとっていないが,まあ良いだろう。本人と付き添っていた男性に簡単に説明する。
「過換気症候群は,高齢者の場合には,起こった原因をちゃんとはっきりさせないといけないのですが,あなたのように若い女性の場合には,器質的な原因があることは考えにくいです。しかも,原因はこちらに・・(と,彼氏を指さして)あるらしいことがはっきりしているようですから,まあ様子を見てもいいと思います」
この状況でギャグが通じるか微妙な状態であったが,二人とも少し笑ってくれたので,まあ通じたようである。笑いで(ほったらかしになっていたことを)ごまかして,気をつけて下さいね・・と,特に丁寧に説明して帰宅可とした。簡単にカルテ記載しておく。
20:20
虫垂炎の患者を外科当直医へお願いしたところで,待合室にいた16歳高校生男子を呼び入れた。胸に学校名が書かれたユニフォームを着ており,同じユニフォーム姿のおそらく先生と思しき男性が一緒に診察室に入ってきた。男性はやはりクラブの顧問の先生であった。男子学生は顔をしかめて辛そうに見える。部活はなに?と問うとハンドボール部とのこと。
15時頃から部活をやっていたが,18時半頃から腹痛を自覚するようになった。どのあたりが痛い?と訊ねると,心窩部からやや左季肋部のあたりだという。間欠的か,持続的な痛みかを問うと「持続的」だという。う〜ん,持続的な痛みか・・・何だかイヤな感じ。昼は普通に弁当を食べたという。ちょうどその話をしているときに,連絡を受けた患者の母親が到着して診察室に入ってきた。
「私が作った弁当でした。普段はお腹が痛いなんてほとんど言わない子なんです・・・」
バイタルは血圧92/57,脈拍49/min,発熱はない, SpO2 99%。
ベッドに横になってもらい診察する。痛みのため目をつぶって腹部を丸めてじっとしている。痛みがある部位はほぼ心窩部である。腹部はそれほど硬くはないが,軽い叩打痛 light percussion tendernessを認める。腸蠕動音はほとんど聴こえない。
ますます何だろうと思う。普通に昼も食べて,元気に部活をしていた高校生が,腹痛を起してきた・・・・持続的だからなあ。部位からは胆石ではなさそう,血管性の痛み?この年齢で血栓とかは,考えられないしなあ,膵炎??あとは腹膜炎だが,なぜ腹膜炎を起こすかが問題だ。少し考えあぐねる。緊急血液検査は,WBC 13200だが,貧血なし。生化学検査も炎症反応も異常なし。
20:48
ここで救外ナースが「先生,あの発熱の男性,もう1時間も待たせてますよ・・」と耳打ちをしてきた。
「え?どの男性?もう一人の患者? あ,高校生の診察をしている時に,もう一人患者さんが受付されていたんだ。」
そちらの方を急ぎ診察する。
37歳男性,前日の夜から37.8℃の発熱があったが無理して出勤した。19時に帰宅したが,38.8℃の発熱,頭痛,関節痛があるため受診した。診察所見は咽頭の軽度発赤程度で,めぼしい所見なし。気分的には,原因不明の腹膜刺激症状がある男子学生の方が気になってしようがない。この若い男性は,上気道炎として経過をみてもよかろうと判断。「解熱剤を出しておきます。もし症状が続くなら内科外来に来てくださいね・・」と”やさしく”説明して帰宅とした。
21:00
さて腹痛の高校生である。母親には「原因はまだよく分かりませんが,腹膜刺激症状と思われる徴候があるのでこれから検査は行います。いずれにしても入院になると思います。」と説明する。すると「私は〇〇大学病院の職員なので,もし入院になるのであればそちらにお願いしたいんですけど・・・」という申し出があった。
わかりました,と大学病院の救急診療部に直接電話をして話をすることに。電話がつながり,救急の当番医と話す。
「原因はまだはっきりしませんが,とにかく腹膜刺激症状があるので入院は必要です。」
「緊急手術が必要な場合に,受け入れが可能かどうか外科の方とも相談させてください。」
ほどなく,手術も可能で受け入れできるとの返答をもらった。
「検査はどうしますか?」
「そちらの判断で結構です」
(んなこと言われてもなあ・・・。でも高校生の男子に何度もCTで放射線を浴びせるのもどうかと思うし・・・)
「こちらで検査をやったとして,結果は持参するようにしますが,その場合もそちらで検査はされるのですか?」
「やります(キッパリ)・・・」
(だったら,こちらではやらずにさっさと搬送してあげた方がいいか・・・救急車なら30分以内だからなあ)
一応,そのまま転送にする方向で動くことにした。
21:05
顧問の先生が,ぼそっと一言男子学生に尋ねた。
「おまえ,接触は大丈夫だったのか?」
「はぁ? 接触ってどういうことですか?」
「いやあ,ハンドボールって,結構激しい接触プレーがあるんですよ。ラグビーみたいに・・」
それを聞いた瞬間に「あ!」と,ある疾患が思い浮かぶ。
Blunt abdominal trauma =鈍的腹部外傷
それによる内臓損傷(とくに脾臓破裂spleen rupture)である。まさかとは思うが心配である。
しかし,今のところバイタルが安定しているので,さっさと搬送してしまえば,二度手間にならないので,そうしてしまおうか。ただ痛みが改善しないようなので,とにかく鎮痛薬の指示は出した。それで,あまり声を出さなくなったが,痛みは改善しない様子である。やっぱり腹部CTはこちらでとっておこう。何が原因か分からないままでの搬送は危険だ。とりあえずさっと単純で撮ってみて,大きな問題がないか見たほうがいい。腹部CTを行うことにした。
21:15
CT室でモニタに表示されてくる画像を見て,脾臓の周囲まで切れたところで,周囲にisodensityがある!fluid=血液だろう。やっぱり腹腔内出血だ!!
追加で造影CTも必要だ。母親のところに急いで行き「原因はまだ特定できていませんが,腹腔内出血が疑わしいです。詳しく調べるためには造影CTが必要です」と説明して同意書をもらう。
21:20
造影CTでは,脾臓周囲だけでなく肝臓周囲にもはっきり液体貯留が確認できた。やはり腹腔内出血である。
搬送は難しいか・・・危険を伴うかもしれない。うちの外科で開腹術をやってもらった方が安全ではないだろうかという思いがよぎる。
21:32
その時,シニアレジデントのN先生が,大慌ての様子で自分を呼びに来た。ピッチを診察室に置き忘れていて,病棟からの緊急コールに気づかなかったらしい。
「先生!!!Kさんが誤嚥で心肺停止だそうです?!!すぐに行ってきます!!」
「なに〜っ!?」
Kさんは脳幹部梗塞で入院中の76歳の女性である。経口摂取ができない状態で,最近,頻回に喀痰吸引が必要になっていた。その方が心肺停止!?
CT室の前では,高校生の母親が心配顔で待っているのが見える。まず検査結果を簡単にでも説明をしなければならない。努めて平静を装って説明する。
「先ほどお話したように,腹腔内にどこからかは分かりませんが,大量に出血しているようです。緊急手術が必要かもしれないし,転院は危険かもしれません。対応が可能かどうか私どもの外科の先生に相談してみます。」
と話したものの,外科当直の先生達はさっきの虫垂炎の手術にまだ入っている。
ここで,また病棟から電話。「先生,すぐに来て下さい!!」
あ,そうだKさんが急変してN先生が対応してくれてるんだった。
心配そうな母親に
「すみません。病棟でもう一件,急変があったのでちょっと行かなければなりません。またすぐに戻ります。」
と慌ただしく説明して病棟に走る。
76歳の女性。脳幹部梗塞で入院中。経口摂取はできない状態であった。最近喀痰が多くなり吸引を頻回に行っていた。21時30分に看護師が巡回してもどってみると心肺停止の状態であった。病棟に残っていた研修医と看護師で直ちに蘇生が開始された。駆けつけたN先生によって気管挿管も行われた。おそらく誤嚥らしい。その後,自己心拍が再開したためドパミン持続が開始,自発呼吸は微弱のため人工呼吸器が装着された。すぐにご家族に連絡して説明をしなければならない。慌ただしく,処置をして手はずを整える。
21:40
ここでまた救急の看護師から電話が入る。
「男の子,すごくお腹を痛がっています。嘔吐していますけど,どうしましょうか。お母さんが心配そうに待っています」
その場は,N先生と研修医の二人にお願いして,救急外来の腹腔内出血の高校生のところに再度走る。バイタルは,一見安定しているが,やはり転送は危険な気がする。しかし,外科はまだ手術が終わらない。手術室に電話をかけると,手術 の真っ最中だが何とか外科のT先生が電話口にでてくれた。
「腹腔内出血です。まだ出血しているかもしれません。緊急手術が必要かもしれないですが・・・」
「う〜ん,ちょうどこっちのオペはいま佳境なんですよ。あと1時間位かかりますね〜」
「わかりました。」(くそ〜!)
21:50
またピッチが鳴った。
「○大救急の先生からです。」
「わかった,つないで下さい」
「あの〜転送依頼の患者さんはどうなりましたか?」
腹腔内出血であることが判明したと説明する。○大病院は,手術室もスタンバイできるので受け入れは可能であるとのこと。当院だと,あと1時間は待機。転送では,最低30分,救急車での転送のリスクは?途中で何かあったらどうする?迷う・・・よし!ただ外科の手術が終わるのを待っているより,転送したほうが時間的には少し早いだろうと判断する。
「では,先生,大変申し訳ありませんがそちらにお願いできますでしょうか。救急車で搬送します。」
再度,母親に当院の外科が今は手術中ですぐに対応できないこと,○大病院は緊急手術も含めて対応可能であり受け入れていただけることを説明する。
「移しても大丈夫なんでしょうか・・?」
質問はごもっともである。でもこのまま待っていても時間が過ぎるだけだし,転送しても同じだけ時間がかかるのであれば,バイタルに注意しながら転送した方が良いだろうと判断したことを説明。母親からも了解を得る。急いで紹介状を書きはじめる。
21:50
ここでまた別の救急搬送の依頼。○○療養所の嘱託医の先生からの外線電話が入ったと受付から連絡。
「先生,うちにかかりつけの施設入所中の患者さんが,喀血だそうです。どうしますか?」
「なに〜っ!!喀血?今は無理だよ!でもかかりつけかぁ・・うーんどうしよう。どんな感じか聞いてみて?」
「今は喀血は止まっているらしいです・・・・施設の人が見つけて,一時サチュレーションが下がったのと,喘鳴が取れないそうです。」
「じゃ,やっぱり診るしかないじゃないか・・・。わかった,いいよ,診ます。」
22:00
さて今度は,病棟で急変した患者の家族が到着したとの連絡が入る。まずは起こったことについて説明しなければならない。気が重いが病棟に急ぐ。自己心拍は再開して昇圧剤で何とか血圧は得られている。この状況では,高校生の転送はN先生に頼むしかない。紹介状も書きかけであることを話して,追加で書いてもらうようにお願いする。
22:45
病棟での家族への説明が一段落して,再び救急外来に戻る。
転送の準備をしているときに,ストレッチャーの上にたわっている高校生にもう一度確認する。
「おなかを打ったりしなかった?」
「そう言えば,横っ飛びにシュートを打つ練習の時に,左の肘を下にして床に落ちたような気がします・・・」
(やっぱり脾臓破裂かな〜?)
母親と一緒にN先生が添乗して○大病院に向かう救急車を見送った。
23:10
電話で依頼があった喀血の78歳女性が施設から救急搬送されてきた。非定型抗酸菌症の診断で1年前に入院歴あり。来院前に喀血して一時SpO2が77%まで低下した。酸素投与で,SpO2は改善したが喘鳴が続くため救急搬送された。来院時には喀血なく,SpO2もそれほど悪くないため,酸素投与と止血剤の指示を出してただちに病棟に入院とした。
そしてもう一度,病棟の蘇生後の患者のところへ戻って,指示書きとカルテ記載を続ける。まだ長い夜は続く。
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その後,高校生の救急転送に付き添ってくれたN先生が戻ってきてから聞かせてくれた話。搬送途中に血圧が低下して,救急車内にあるラクテックを全開で2本滴下して何とか持ちこたえたとのこと。彼は頼りになる後輩だ。
「いや〜あのときは,戻るのと行くのと,どっちが近いか考えましたよ。お母さんは心配して救急車の中で立ち上がってしまうし・・・。ホント焦りましたよ・・・」
さらに○大病院に入院してからの後日の経過は,脾臓破裂だったが何とか保存的治療で改善したとのことだった。
<What is the key message from these patients?>
これは10年以上前にあったことだが,今でも鮮明に覚えている。まさに「同時多発テロ」のように,次々といろんなことが押し寄せてきて,正直二度と経験したくない夜だった。たまたま優秀な後輩医師と研修医が残ってくれて手伝ってくれたので事なきを得た。これが完全に一人だったらと想像するとぞっとする。二次救急病院であっても,中規模の病院では内科系,外科系それぞれ一人当直でこなしている病院が今でも多いはずである。そんな状況の中たった一人で,時間的にもプレッシャーがかかった中で正しく(というよりも大きな間違いを犯さず)安全に医療を行うかが常に要求される。何人ものスタッフがいて,救急車の受け入れを行っているERばかりが脚光を浴びるかもしれないが,一般病院ではまだまだこんな状況も少なくないはずである。一般の方々には,おそらく想像がつかないと思う。こんな状況の中,必死になって対応していても受け入れ困難なことは実際にある。それを「たらい回し」という言葉を使って批判されてしまうと,医師にとっては「心が折れる」ことである。昨今の新型コロナウイルス感染がこれに加わると,慎重な感染予防対策が要求されるので,より困難が伴うだろう。
診断に関して言うと,高校生の腹痛では「若い人の腹痛→腹膜刺激徴候から急性虫垂炎」は頻度的にはまず考えたくなる。しかしこの症例では経過が合わなかった。当初,私は外傷がすぐに想起できなかった。部活中に起こったこと,しかもコンタクトスポーツなので,後から考えれば最初からヒントは沢山あった。しかし内科医にとって(少なくとも自分は)外傷は意外に鑑別診断にすぐに出てこないものである。それでも付き添ってきた先生の一言がきっかけで,直ちに「鈍的腹部損傷」を想起することができた。個人的には,脾臓破裂は過去に2例経験していたのも大きかった。いずれも20年以上前の症例だが「診たことがある」という経験はやはり重要だと思う。
過換気症候群(HCS)に対する紙バッグによるrebreathingの問題点も指摘しておこう。HVSの疑いが強い患者であっても,呼吸困難,胸部圧迫感を訴える患者では無条件にぺーバーバッグ法を行うことは,実は危険とされている。心筋梗塞・気胸・肺塞栓などの患者が,見逃されて死亡例のが報告されている。 そのような患者では,CO2の増加,O2の低下を誘発することによって致死的になる場合がある。
この若い女性の場合には,おそらく問題となりそうな原疾患はまずないだろうという予測と,救外の混み具合で様子を見てもらうための時間稼ぎの要素はあったと正直に白状しておく。
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このカテゴリーで示す症例記録は,私の実際の経験(過去のある時期)に基づいていますが患者さんの個人情報が分からないように,一部変更を加えています。また記載した治療などは当時の医療であり,最新の正しい医療であることは保証しません。あくまでも思考過程を振り返る目的であることをご理解の上お読み下さい。(一般の方を読者の対象とは考えておりません)