自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

瑞穂の国は何処へ、、、

2010年04月09日 11時28分56秒 | コラム
 この国の農作業で一番肝心な田起こしが始まった。俗に米作りには88の手作業が必要だったと言われ、一粒の米も無駄にしないのがこの国の精神的風土であった。稲作の伝来にはその技術と人の渡来があったのだろうが、“豊葦原”つまり温暖多雨で、急流の河川が河口に作る三角州は稲作には最適だったのであろう。米の飯が食べられるのが最高の悦びであり続けたのだがこの国の一般民衆であった。臨終前に、庄家様から竹筒に入った米を借りてきて、耳元でその筒を振って音を出して聴かせたり、現代でも、配給の米が入って久しぶりの米のご飯を炊くと、子どもが“おめでとうございます”等と言って食したものである。

 トラックターに油を差し田起こしの準備に余念のない篤農家。息子は別な仕事に就き、百姓は俺で終わりだといかにも寂しげである。手仕事で米作りをしてきた経験があるだけに重労働であった。田起こし、畔張り(水漏れ防止)、田植え、稲刈り、脱穀、これらは全て今は機械化され、仕事そのものは楽になったのに、購入した機械の代金はまだ残っているとのこと、、、。

 後継者がいないのだから、この国の稲作はやがて集約した農地で、営利目的の企業体になってしまうかも知れない。そうなると省力化のために、農薬(除草剤や消毒剤)、化学肥料に頼った、自然の摂理に反する産業になりかねない。工業化した農業には未来はない。
 この国の生業としての農業にとって最大の敵は“雑草”である。視点を変えれば、この国こそ農業に最適の自然条件を持つ国だと言えるだろう。

 農業中心の国造りをしている国は平和国家である。憲法9条を持つこの国は、原点に戻って“東洋のスイス”を目指すべきである。食糧自給率、江戸時代は100%だったはずだ。 現政権は何とか50%にしようと、農家所得保障を打ち出しているが、メディアを含めてバラマキとの大批判、独立国なれば100%を目指すのは当然である。それを可能とするのは、『アイガモ稲作』である。ノーベル委員会は世界平和に貢献するノーベル平和賞をアイガモ稲作に授与すべきであろう。

 戦後、米を食っていると頭が悪い、なんて宣伝した御用学者がいたけど、確かに白米はミネラルやその他の栄養素をそり落とした、美食には違いないが本来の農産物でないことは事実である。玄米食をやっている人は体験的に米が最高の食品であることを理解している。残留農薬がないのがその条件であるが、、、。最高の食品を提供してくれるのが『アイガモ稲作』であることには間違いがない。現在は一部の“好事家”に限られているが、かつての手仕事に比べたら雲泥の差であり、国家プロジェクトとして成功させ、他国にも輸出すれば、平和な地球、戦争のない世界は可能となる。

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