自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

スポーツの原点はアマチャーリズム

2010年04月24日 13時09分49秒 | コラム
 スポーツはルールを定め勝敗を競う、勝って奢らず敗者へのいたわり、敗れて挫けず捲土重来を目指す、まさに人間讃歌を歌い上げられる人間が生み出した英知である。ルールのないバトルが、未だに人類が克服できないでいる戦争であろう。古代オリンピアードは争いを止めて、スポーツによる協調を目指したものであり、近代オリンピックもその精神を活かし、弱肉強食の帝国主義戦争を克服しようとするヒューマニズムの表れであった。

 競技の勝者は月桂冠のみであったし、その無償の栄誉のために、より早く、より高く、より遠く、を目指して日々トレーニングに励んだのがアスリートと言われるものの真骨頂であった。そのスポーツに商業主義が忍び込んだのは時代の趨勢かも知れないが、スポーツの世界的祭典、オリンピックに商業主義を積極的に導入し、プロの参加をを推し進めた前IOC会長サラマンチ氏の訃報が伝えられたが、功罪半ばだったのか、功>罪なのか、功<罪といえるのか、それぞれの立場で異なる評価となるだろう。

 そんな中で、全日本水泳大会での優勝者のインタービューを聴く機会があったが、素晴らしい若者達であった。まさにアマチャーとしての真のアスリート達と言えるだろう。プロ化があらゆるスポーツ界に及び、最もメジャーな競技でないとプロ化出来ないのは商業主義の建前上当然ではあるが、“金になる”が動機のアスリートを目指す若者には大きな落とし穴があると言えるだろう。ゴルフがスポーツであるかは疑問だが、世界的なメジャー競技であり、スポンサーが莫大な金を提供するの中で、女子プロNO1の、メキシコのオチョワ選手が、普通の生活に戻りたいと引退を声明したのは爽快そのものと言えるだろう、、、。

 商業主義の手先と化したメディアもプロスポーツの報道のあり方を十分に反省し、今までの報道姿勢で如何に多くの有為な若者を堕落させてしまったかの自戒の下、マイナーではあるが、真のアスリートを目指すものへの支援(金銭ではない)をすると同時に、具体的に石川君、雄星君のような、将来メジャーな競技での成功者になりそうな若者には、報道規制をかけ、暖かくその成長を見守る姿勢が必要だろう。