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面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

太平洋クラブライオンズ

2006年11月14日 | 野球
太平洋クラブライオンズというチームをご存知だろうか。
現在の西武ライオンズの前身である。
正確には、西武の直前はクラウンライターであり、その前が太平洋クラブなのだが、このチームが球史に残したインパクトはなかなかのものがある。
いや、我々プロ野球ファンに残したインパクトと言うべきか。
更に言えば、古田監督や山本昌、長嶋一茂氏と同年代のファンに残したインパクトか。

写真は、その太平洋クラブが1976年の前期にだけ使用した“胸番号ユニフォーム”である。
(この頃のパ・リーグは前後期の2期制)
この頃、プロ野球界は全体的にユニフォームが派手めだったのだが、中でも太平洋クラブは際立っていた。
球界初の真っ赤な生地をユニフォームに採用したのも太平洋クラブだ。
そんな太平洋クラブだからこそ(?)ピンクをベースとして胸番号付という画期的なデザインのユニフォームを採用したのだろう。
ちなみに、当時の資料などによると、色合いは「ピンク」ではなく「ワインカラー」ということであるが、当時どうみてもちょっと濃いめのピンクだった。

当時は、大阪にいてパ・リーグの試合をテレビ中継で見ることなどほとんどなかった。
(漫画「あぶさん」では大阪球場のテレビ中継がいつもあるかのような描写があるが残念ながらほとんど無かったのが事実)
また父親は大のタイガースファンであったが、プロ野球全体が好きということもなかったので、プロ野球中継はタイガースの試合ばかり。
たまにパ・リーグのナイター中継があると、自分の部屋にあった白黒テレビ(いまや死語中の死語!?)で見ていたものだ。
一度だけ、平和台球場での太平洋の試合をNHKが中継するのを新聞の番組欄で見つけ、いそいそと自分の部屋で中継を見たのだが、ユニフォームの色が見られないので、面白さが半減したことがあった(当たり前やがな)。

そのため、家族と共ににオールスターをカラーテレビで見たときは感動モノだった。
太平洋の大田がホームランを打ってダイヤモンドを一周するシーンは、今でも脳裏に焼きついている。
ピンクのユニフォームとともに。

今となってはカラーリングのデザインも古臭い。
しかし、このピンク(ワインカラーではなく、あくまでもピンク!)のユニフォームは、一生忘れることはないだろう。


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