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↑城跡の碑
桂浜番外編として、浦戸城址をご紹介。
これは桂浜を望む高台の小山にあり、「坂本龍馬記念館」の北側に位置している。
現在はうっそうとした森になっていて、天守台付近への小道を行こうとしたが、いきなり蜘蛛の巣に行く手を阻まれたり雑草が道に覆い被さるように茂っていてうっとうしくなって断念。
麓の駐車場の一角にひっそりと立つ碑だけを撮影した。
戦国時代、長宗我部家の居城でもあったところ。
大きな内湾である浦戸港の入口に築かれ、湾を行き来する船の押さえとしては抜群のロケーションである。
一代で四国全土を統一した長宗我部元親も、土佐一国を平定してからは岡豊城(おこうじょう)を政治的拠点としていたが、さもありなん。
やはり政治の舞台としては手狭でもあり不便。
これも現地で知った話であるが、山内一豊が関ヶ原の恩賞として土佐一国を与えられ、入国して最初に居城としたのがこの浦戸城。
更に書けば、まず一豊の弟・康豊が先に入国し、領民に対して長宗我部時代の政治政策を踏襲すると説明して“地ならし”をしたうえで一豊が入国したとか。
浦戸城に入った一豊は、ひとまずここを拠点にして領内を巡視し、先に紹介したように大高坂山に新城を築くことを決めた、という次第である。
桂浜番外編として、浦戸城址をご紹介。
これは桂浜を望む高台の小山にあり、「坂本龍馬記念館」の北側に位置している。
現在はうっそうとした森になっていて、天守台付近への小道を行こうとしたが、いきなり蜘蛛の巣に行く手を阻まれたり雑草が道に覆い被さるように茂っていてうっとうしくなって断念。
麓の駐車場の一角にひっそりと立つ碑だけを撮影した。
戦国時代、長宗我部家の居城でもあったところ。
大きな内湾である浦戸港の入口に築かれ、湾を行き来する船の押さえとしては抜群のロケーションである。
一代で四国全土を統一した長宗我部元親も、土佐一国を平定してからは岡豊城(おこうじょう)を政治的拠点としていたが、さもありなん。
やはり政治の舞台としては手狭でもあり不便。
これも現地で知った話であるが、山内一豊が関ヶ原の恩賞として土佐一国を与えられ、入国して最初に居城としたのがこの浦戸城。
更に書けば、まず一豊の弟・康豊が先に入国し、領民に対して長宗我部時代の政治政策を踏襲すると説明して“地ならし”をしたうえで一豊が入国したとか。
浦戸城に入った一豊は、ひとまずここを拠点にして領内を巡視し、先に紹介したように大高坂山に新城を築くことを決めた、という次第である。
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