面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「愛しきソナ」

2011年05月19日 | 映画
大阪で生まれ育った在日コリアン2世の映像作家、ヤン・ヨンヒ監督による、『ディア・ピョンヤン』に続く自身の家族を追ったドキュメンタリー。
70年代の「帰国事業」で北朝鮮に移り住んだ3人の兄と姪のソナに焦点を当て、近くて遠い二つの国をつなぐ強い絆と深い愛を巡る物語を紡ぎだす。


選択の機会が与えられない社会で育つソナと自由を謳歌しながら育った自分とを対比させつつ、二人の間に流れる無自覚の「似た者同士」の感覚を、思いっ切りの“おばバカ”目線で温かく描かれている。
日本に住みながらも、地元朝鮮総連の幹部だった両親のもと北朝鮮の人間として生きてきたヤン・ヨンヒ監督。
北朝鮮に住みながらも、監督の母親がどんどん送ってくる日本からの物資によって支えられ、時折訪れる叔母の話を聞いて、一般的な北朝鮮国民とは比べものにならないほど“情報通”のソナ。
二人は、日本と北朝鮮というダブル・スタンダードなアイデンティティを抱えていて、何となくどっちつかずな感覚をうっすらと持った似た者同士。
叔母としての目線もさることながら、ソナの中にかつての自分を見るようで、更に愛しくてたまらないのではないだろうか。

カメラを通じて監督は、父によって当時“地上の楽園”とされた北朝鮮に送り出された兄たちが辿った運命と、彼らの胸の内に思いを馳せる。
また、3人の息子達を北朝鮮へと送り出しながら、その後の思いもよらない状況に悔恨の念をにじませる父の心情をあぶり出し、病に倒れた後の姿を追うカメラに、監督の父親に対する複雑な思いが垣間見える。


家族の姿を収めた“ホームビデオ”であると同時に、そこに映し出される北朝鮮の様々な風景が新鮮。
そこには、声高に朗々とアジるように話すテレビアナウンサーや、一糸乱れぬマスゲームの迫力、あるいは路上で極貧の暮らしを送るコッチェビの姿などは登場しない。
そこに描かれるのは、ごく普通の暮らしを送る庶民の姿や、高度経済成長前夜の日本を思わせるような光景である。
我々の日常とあまり変わらない様子がかえって彼我の相違に思いを巡らされ、「国」や「思想」というものにある種の虚しさのようなものを覚える。
ジョン・レノンの「イマジン」が頭の中に流れてくるような気がしてくるのである。
(ちょっと大げさか)


北朝鮮の現状を等身大に映し出す貴重な映像が織り込まれた、ホームドラマ・ドキュメンタリー。


愛しきソナ
2009年/韓国=日本  監督:ヤン・ヨンヒ