面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

美しい夏カゴシマ③

2007年09月19日 | 放浪記

鹿児島を代表する人物と言えば、やはりこの人!?


本日も晴天なり。
砂風呂が異常にキモチ良かった指宿温泉の旅館を後にして、昨日は立ち寄らなかった指宿の“玄関口”であるJR指宿駅へ行ってみた。


<JR指宿駅遠景>
さすが温泉町の駅だけあって、駅前にいきなり足湯がある。


<指宿駅前足湯コーナー>
地元のおばさんが一人足湯につかっていた。
この辺りでは、足湯というのは当り前の“文化”なんだろう。
おそらくは日課にしてるんではないかと思えるくらい、ごく自然に当り前のように、おばさんは足湯につかっていた。

それにしても、駅前広場にはほとんど人通りが無い。
駅前から伸びるアーケードのついた商店街は閑散として、シャッターが降りたままの建物が多数並んでいる。


<駅前名店街入口遠景>
「名店街」の名称が痛々しい…
既に“街”を形成していないアーケードである。

昨日来た道を逆に走り、鹿児島市内へ向かう。
途中、また「道の駅いぶすき」で休憩。
天気が良すぎるくらいにイイ♪


<道の駅いぶすきからの眺望(一部)>
向うに見えているのは桜島…ではないのかな?(イマイチ自信が…)

国道226号線をひたすら道なりに走って鹿児島市内へ突入、時間がちょうど昼時分になったので、昼飯をとることに。
ガイドブックに載っていたラーメン屋がものすごく美味そうだったので目指していくと、店前には長蛇の列。
元来、行列に並んでまで食事をとることには抵抗があるうえに、炎天下に並んでまで食うほどの思い入れも無いので方向転換。
近くにあった、ちょっと高級感のある店で、薩摩黒豚のしゃぶしゃぶを食べることにした。
「華蓮(かれん)」というその店は、夜は結構高くつきそうな店だったが、昼は手ごろに豚シャブが楽しめる。
(そら、ラーメンよりははるかに高額だが)


<豚シャブの肉>
いや~!これが美味い♪
豚シャブ自体久しぶりに食べたからかもしれないが、こんなに美味い豚シャブは初めてではないかと思うくらい。
基本的にゴマだれで食べるのがすきなのだが、肉そのものが良いのだろう、ポン酢で食べても肉の旨みを楽しめた。
また行きたいものである。

天文館へ移動して土産物を物色。
うろうろ歩き回って土産物をそろえたところで、あとは鹿児島空港へ向かうのみ。
ちょいと休憩に入った店で再び「しろくま」を注文。


<正調「しろくま」?>
こっちの方が、初日の「むじゃき」の「しろくま」より白熊っぽく見える。
(ちょっと熊の顔を模している雰囲気が残っている)
しかし、かかっている練乳の味が違う。
スーパーなんかで売ってるコンデンスミルクの練乳のような味で、ちょっと味気無い。
「むじゃき」の方がバニラビーンズが入っているか?と思うような、ハーゲンダッツのバニラアイスのような濃さで味わいがあった。
フルーツはこっちの店の方が多めに(とくにメロンがけっこう多くて♪)入ってていいのだが、いろんな「しろくま」を食べ歩くのも楽しいかもしれない。

ゆっくり休憩をとって鹿児島空港へ。
途中で西郷どんの銅像の写真を撮ったが、撮影用のスペースがあったのが面白かった。
自分が写真を撮ろうとしている短時間の間にも、二組ほど観光客が撮影に立ち寄ってきた。

いよいよ鹿児島空港に到着。
空港の向かい側にあるレンタカー屋へ車を返却。
ふと空を見上げると、珍しい気象現象が。


<鹿児島空港上空の気象現象>
実際の太陽の右側に、もう一つ小さな太陽があるように雲間が光っている。
昔和歌山で一度見たことがあったが、なかなか見られない貴重な現象だ。

晴天に恵まれ、なかなか内容の濃い鹿児島放浪の最後を飾るにふさわしい(!?)珍現象に見送られ、帰阪の途についた。

また行ってみたい、美しい夏のカゴシマ。


美しい夏カゴシマ②

2007年09月19日 | 放浪記

快晴の鹿児島、雄雄しき桜島


鹿児島2日目も見事な晴天!空の色も海の色も青すぎる!
写真全体が青々しいことになっている(そんな日本語があるか?)

2泊目は指宿。
その前に車を飛ばして開聞岳と池田湖を見に行った。

サンロイヤルホテルを出て、国道をひたすら南下する。
とにかく空が青い!ひたすら海も青い!

途中、休憩に喜入の道の駅に立ち寄った。
道の駅と言いながら、近所のお年寄りの憩いの場となっていた。
最近流行りの「スーパー銭湯」のハシリのような、大衆浴場的な施設だったのだ。
しかも人影もまばらで、全体的にうら寂しい佇まい。

そんな銭湯の裏にある駐車場からの眺めは圧巻。
遠景の大隈半島も見事な風景であったが、なんとすぐ近くに石油コンビナートの基地がある。


<喜入の石油備蓄基地>
巨大なコンビナートが整然と並ぶ光景は迫力満点。
しかし、長居していて怪獣ペスターに襲われては大変なので、出発することにした(このネタ、何人わかるかなぁ…?)

途中「いぶすき道の家」に立ち寄って青汁なんか飲んだりしながら、国道をひたすら道なりに走り続け、どのくらい経っただろう。
目の前に開聞岳が雄姿を現した。


<開聞岳(山川方面より)>
あまりに見事な円錐形の山影に、写真だけを撮りにわき道へそれた。
「薩摩富士」とはよく言ったものであるが、本家本元の富士山よりも形は美しいのではないだろうか。
また快晴の青空によく映える。

国道をひた走ると開聞岳はどんどん迫ってくる。
しかし、真下の麓から見上げれば、開聞岳の標高はそんなに高くはない。
一旦近くで全景を見てから行き過ぎて、再び遠巻きに見てみると、富士山ほどの大きさが無いのがわかっただけに可愛らしさを感じたり。


<開聞岳(頴娃方面より)>
頴娃の方へ抜ける途中、国道沿いに絶景のビューポイントがある。
次々に車が停まってみんな写真を撮っていく。
開聞岳が正面に見えるテラスのようなところから撮った1枚であるが、手前の松がまるで風景のために生えたようで、実に絵になる風景を作っている。
東海道五十三次のようだが、ふと風呂屋の壁を思い出したのは自分だけか!?

さんざん開聞岳を見たあとは、UMA好きとしては行かねばなるまい池田湖へ!
開聞岳の麓から、来た道の分岐を内陸部へ。
山間をひたすら走っていくと、目の前にパーッと湖が広がる。
ドライブイン…ちゅうのかな。腹も減ったし、昼飯を確保する目的もあり休憩施設を目指した。


<イッシー!>
やはりお出迎えはイッシーだ!
かつては、北のクッシーと人気を二分したが(ちゃう?)、いまや本家のネッシー同様、大スポの表紙を飾ることもない…

ちなみにこの施設には土産物コーナーのはずれに大うなぎが展示されている。
デカイ水槽には覆いがかぶせてあり、大うなぎが夜行性であることもあってか陰に隠れて見にくい。
カメラにも写りにくいので撮影を断念したが、水槽を覗き込んでいると、なぜか自分の方へウニウニと泳いで寄ってきた。
はるばる大阪から来た観光客だということが分かるのだろうか?

土産物屋店内をウロウロしていたとき、とても気になる飲み物が売られていた。


<黒酢ウォーター>
絶対、驚くほど美味くはない!と思いつつ、どんな味か確かめずにはいられない。
酢やし、カラダにも悪くはないし、飲んでみたれ♪と買ってみた。
鹿屋体育大学の自転車部がこれを飲んで世界的な大会で好成績を挙げているとか。
ほほぉ。
…やはり、ぶっちゃけそんなに美味いものではなかった。

腹ごしらえも済んだことで、レストハウスを出て再び開聞岳を望む。


<池田湖から望む開聞岳>
やや雲がかかっているのが残念。
相変わらず抜けるような青空。

本物のイッシーに出会えなかったのは残念であったが、池田湖も堪能し、宿泊地の指宿温泉へ。
池田湖を尻目に殺して山間の道をひたすら指宿へ向かって走っていく。

指宿の温泉街へと突入したが…人影がほとんど無い。
まあ、盆休みも明けた平日の昼間とあっては仕方あるまい。
とりあえずチェックインした。


<部屋からの眺望>
部屋は海側にあり、いわゆる「オーシャンビュー」。
はるか向こうに大隈半島の山々が見え、“眺めのいい部屋”である。

少々休憩してから指宿名物の砂風呂へ。
旅館で浴衣に着替え、フロントで手拭と入浴券を受け取って砂風呂センターへ。
そんな名前ではなかったが、まあそんな感じの市営の施設があって、そこから砂風呂に入るのである。

ぶっちゃけ、砂浜で熱い砂に埋もれるだけのことなのだが、これがなかなかバカにできないくらい快適♪
夏とはいえ、実は冷房でカラダが冷えていたことを実感した。
それくらいカラダの芯から温まっていくのがわかるのである。
昔は湯治として利用されたというが、これだけカラダを温められるなら、こりゃぁ万病に効くわ!
1週間くらい逗留したくなる。

この部分は文章ばかりなのだが、これはカメラを持っていっていなかったため。
実はカメラを持ち込むことが可能で、砂をかける係の人が写真を撮ってくれるのである。
ちなみに、べつにカメラマンのおっちゃんがいて、グアムの観光地よろしく勝手に記念写真を撮ってくれる。
あとで宿泊先に置かれるので、欲しい人は買ってください、というシステム。
海外の観光地でよくみかけるスキームだが、日本にもあるとは知らなかった!

いや~それにしても砂風呂はよろし♪
是非ともまた来よう!
(次はカメラ持参か!?)


美しい夏カゴシマ①

2007年09月19日 | 放浪記

鹿児島を代表する桜島の雄姿


いささか旧聞になってしまったが、先月、遅めの夏休みを利用して鹿児島へ行ってきた。
九州地方は、福岡、大分、長崎、熊本には行ったことがあったが、鹿児島はまだ足を踏み入れたことがなかった。

夏真っ盛りの鹿児島は台風に見舞われることもなく(正確には台風は通り過ぎた後だった)、スコールのような雨に降られることはあったが、毎日抜けるような青空。
今回の放浪にはレンタカーを利用したが、これは大正解。
大阪とは違い、電車(正確には「汽車」、もっと正確には「ディーゼル機関車」)の便は圧倒的に悪いため、車での移動を思いついたのだが、2泊3日という短い行程でも十分に楽しめた。

初日、鹿児島空港から宿泊先の鹿児島サンロイヤルホテルへ向かう途中、有名な「磯庭園」に立ち寄った。
(自分はそんな庭園の存在は知らなかった)


<「磯庭園」入場口>
鹿児島と言えば島津の殿様だが、その島津家の別邸である。


<御殿正面>
広大な敷地からは桜島を真正面に見ることができ、藩主の別邸にふさわしいロケーション。
今でこそ屋敷前を国道とJRが走るため些か興趣を削がれるが、その昔は遮る人工物など無く、絶景であっただろう。


<御殿の前庭から見える桜島>

ちょうど庭園に入るころから雲行きが怪しくなり、雷雨に見舞われた。
あわてて茶店に駆け込み、この「磯庭園」に近い海水浴場の浜茶屋の名物という「ぢゃんぼ餅」を食べた。


<「ぢゃんぼ餅」残照…>
食う前に写真を撮り忘れた!(口いやしい!)

夕立が晴れると、日中の暑さが嘘のように涼しくなった。
当時の大阪では日中は平気で35℃を超えていて、夕方になっても夕立が降っても、蒸し暑いだけという状態であったが、さすが鹿児島は違う!
(なにが「さすが」かはわからないが)

茶店を出てウロウロ。
なんせ広いので、端まで行く気力は失せていたが、桜島(錦江湾)を背に山側を見れば、そこには「千尋巌」と名づけられた岩がある。


<「千尋巌」>
写真では分かりにくいが、岩肌に白い“何か”が付いているのが見えるだろう。
なんと、切り立った崖に「千尋巌」と文字が書かれているのである!
思わず「何じゃそら!?」とツッコんでしまったが、何代目かの島津の殿様が、3千人以上の人間を動員し、3ヶ月余りの期間を費やして作り上げた名物とか。
中国の故事に因んだとか何とか謂れが書かれていたが、やはり「何じゃ、そら!」である。
もっと他にやるべきことがあったやろ!?
まあ、江戸時代の鹿児島の平和を象徴するものと考えれば、それも一興か。

そろそろ出るかということで(閉園時間も迫っていた)入り口近くまで戻ってきたところで、せっかくなので大砲を撮る。


<そのまんま大砲>
大砲の向こうは砲台だった(確か)。

この観光スポット「磯庭園」は、庭園だけではない。
鹿児島の歴史をたどれる資料館が別にある。


<「尚古集成館」>
こういうところもしっかり見学し、その土地の歴史にも触れておかねば。
しかし館内は写真撮影禁止なので、中身の紹介はあまりできないのが残念。

閉園時間となって「磯庭園」を追い出され、鹿児島中心部へと向かった。
ホテルは中心部から離れているため、まずは鹿児島の繁華街「天文館」で腹ごしらえすることにした。

そこでせっかくなので、「正調薩摩料理」とやらを味わうことに。
やはり季節柄、キビナゴの刺身は外せまい。


<キビナゴの刺身>
キレイな銀色に光る皮。
アジとかサンマとかの系統になるか。そんな味でもあった。
美味い美味い♪

そして鹿児島といえば「さつま揚げ」である。
もちろん地元では「さつま揚げ」とは言わない。
よその土地の人間が、薩摩の食べ物だからということで名づけたわけで、大阪で言う「明石焼き」は明石では「卵焼き」、「広島焼き」は広島では「お好み焼き」と呼ぶのと同じだ。


<薩摩名物「つけ揚げ」>
そう、鹿児島では「さつま揚げ」は「つけ揚げ」と呼ばれる。
(地域によっては「ちけ揚げ」とも)
熱々の作りたては美味いねぇ♪

夕食後はデザートである。
鹿児島といえば「しろくま」。
カキ氷の一種であることは知っていたが、調べてみると天文館にある「むじゃき」という店が発祥の、わりと近年になって名物となったもののようだ。
さっそく地図を頼りに行ってみる。


<「むじゃき」店頭>
辿り着いて驚いた!
ビル一軒、まるまる全部「むじゃき」グループ。
地階に喫茶店、1階に中華、2階に“ファミリーレストラン”、その上には居酒屋が入った“雑居ビル”。
大阪で言えば、さしずめ「大和実業」か?

そんでまた、1階の店頭に置かれている「しろくま」の見本がデカっ!
しかも「しろくま」にも、いろんな種類があった。
どの店に入ろうかと迷いつつ、結局2階の“ファミリーレストラン”へ。
お世辞にもオシャレとは言い難い店内に入り、最も基本形の「しろくま」をオーダーする。


<本家「しろくま」>
ぶっちゃけ、このカキ氷はデカイ。
女性なら、一人で食べきるのは至難の業であろう。
店にも注意書きがあり、女性の場合は2人で分け合うようだ。
ちなみに地階の店ではハーフサイズがあり、女性の場合はこちらを勧められたりする。
山盛りの氷に練乳がかかっており、フルーツが散りばめられている。
このフルーツの盛り付け方が白熊の顔をなぞらえていた…ようにモノの本にはあったはずだが、どう見ても顔に見えない。
今は昔の物語なのだろうか?


<「しろくま」と紅茶>
半分ほど食ったところ。
自分はカキ氷が好きなので「しろくま」だけをイッキに食えるが、それほどでもない方はホットの紅茶などを飲みながら食すのも一興。
…ティーカップには、うっすら茶渋が残ってるけどね(安モンの場末の喫茶店か!?)。

鹿児島初日は無事に過ぎ、「夜は全て事も無し…♪」


「土佐日記」について

2006年09月03日 | 放浪記
さて、十数編に渡ってアップした「たけとら版土佐日記」であるが、せっかくなので本家「土佐日記」について少し触れる。
ご存知の方、または覚えておられる方が何人いらっしゃるかわからないが、本ブログの“連載”第1回は、この「土佐日記」をもじって記事にしており(正確には土佐日記+徒然草をパクッて書いている)、実は縁がある(…って勝手に縁を作り上げてるだけではないだろうか!?)

それはさておき、「土佐日記」は古典の授業で習い、日本史の授業でも史料として習う、日本国内においては歴史的に有名な日記文学の魁である。
土佐国司だった紀貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行を、女の作者を装ってひらがなで綴ったものである。
ちなみに、この時代は公式文書が漢文で書かれていることに倣い男性の日記は漢文で書くのが当たり前であった。
そのため、紀貫之に従った女性と言う設定で書かれている。
また、醍醐天皇の勅命により『古今和歌集』を選者の1人として編纂し、「三十六歌仙」の一人でもある紀貫之らしく、57首の和歌も含まれている。
本格的なひらがなによる表現は、その後の文学史上に大きく影響したといえるだろう。
ことに女流文学には多大なる影響を与え、「紫式部日記」「和泉式部日記」「蜻蛉日記「更級日記」などの日記や随筆が登場した。

紀貫之が任官していた土佐国司というのは、官位としては中国(山陽山陰地方やCHINAではなく国力に応じた昔の分類)の守であることから、正六位下に相当し、いわゆる殿上人ではなく、そう高い官位ではない。
帰京後8年ほど経ってから、従五位上まで昇進しているが、藤原氏全盛期にあって、官職に恵まれていたとは言えない。
紀氏という武内宿禰由来の古代からの名族ではあるが、朝廷における本流ではなかったことが影響しているのだろう。
しかしながら、文人としてその才能をいかん無く発揮し、特にこの「土佐日記」においては日記文学というジャンルを日本文学史上に切り開いた功績は、ヘタな政治的貢献を凌駕する輝かしいものである。

その他の詳細については、ネットで「土佐日記」で検索すれば様々なサイトが見つけ出せるのでそれらをご参照いただくことにして(結局大して触れてへんやんけ)、本記事にて「たけとら版土佐日記」全編終了とさせていただく。

「土佐日記」番外編

2006年09月02日 | 放浪記
↑大歩危の渓谷…小歩危やったかな!?

四国を縦断する特急「南風」は、香川~徳島~高知と3県を走り抜けるのだが、その途中、渓谷美で有名な大歩危・小歩危を通過する。

行きは昼間に通過し、天候に恵まれて車窓から絶景を眺めることができた。
しかし、これをデジカメに収めるのは至難の業だった。
シャッターチャンス!と思った瞬間と、実際にカメラのシャッターた切れる瞬間とにタイムラグがあるため、撮れたと思ったら線路脇の草木で隠れていたり、鉄橋の柱が邪魔していたり。
席を離れて入り口の窓にへばりつき、都合10数回シャッターを押した中で、なんとか渓谷の様子がわかる写真3枚のうちの一つ。

ちなみに帰りは夜に通過したので、真っ暗でな~んにも見えなかった(当たりまえやね)。

「土佐日記」18

2006年09月02日 | 放浪記
↑特急「南風」その2

こちらは帰りに乗った特急「南風」である。
行きとは“顔”が違ったので撮ってみたのだが、帰りはさらに一風変わった列車に乗ることができた。

まずこの「南風」、高知駅で車両前方にもう3両連結され、それが高松行きの特急「しまんと」になった。
大阪でも、前方が和歌山行きの「紀州路快速」、後方が関空行きの「関空快速」となる快速があるが、特急でこういう構成は初めて見た。

そして列車後方となった特急「南風」に乗ったのだが、またこの車両内がなかなか珍奇であった。
なんとなれば、同じ車両のうち、1番から7番までの座席が指定席、8番以降は自由席なのである。
同じ車両に指定席と自由席が一緒に設置されている列車なんて初めてであった。

ドル箱路線を持たない地方のJRの企業努力の一端を見た気がした。

「土佐日記」17

2006年09月02日 | 放浪記
↑特急「南風」

今回の土佐紀行は、列車を利用した。
新幹線で岡山まで行き、そこから高知行きの特急「南風」に乗り換え、瀬戸大橋を越えて四国を縦断するルート取りである。

鉄道オタクではないが、列車に乗るのが大好きで、とりあえず普段見ることのない列車であるので写真を一枚。

「土佐日記」16

2006年09月02日 | 放浪記
↑高知駅直結の路面電車

高知市内は土佐電鉄の路面電車が走っている。
JR高知駅には改札を出て正面に路面電車のホームがある。
高知で“トデン”といえばこの電車のことを指していた。
(都営はありえないので当然だ)
市内の要所を訪れるには最適の、高知市民の足である。

ちなみに「MY遊パス」というチケット(700円)を買うと、このトデンの180円区間は乗り放題、桂浜までのバスも乗り放題で、大変お得なのでお勧め。
(但し一日限りなので注意)