舞台、「サロメ」も、月がモチーフです。常に人々の真上にあって、登場人物たちの心理状態に合わせて月も七変化する。青い月。赤い月。死んだ女のような月。男を探すかのような月。不吉な月。そうかと思うと、処女のような純粋な月。
翻訳は、なんと、「マチネの終わりに」を書いた、北九州市出身の芥川賞作家、平野啓一郎さん。しかも! 英語ではなく、フランス語からの翻訳だそうですよ、皆さんっ! 英語のみならず、フランス語も読み書きできるのかぁ~ なんてインテリジェントな方なの~! 作家・劇作家、オスカー・ワイルドが、英語もフランス語も両方出来たらしく、原作はフランス語で書かれたそうです。
「サロメ」は小説ではなく、劇の脚本です。登場人物の名前と台詞。舞台の説明。ト書きがあったりする点が、これまでとは違います。シェイクスピア作品以外、不慣れではありますが、面白く読めました。
宮本亜門さんが「サロメ」の舞台をするため、「どうしても新訳が必要だ!」と感じたらしく、平野啓一郎さんに依頼したらしいです。この新訳シリーズには、宮本亜門さんの後書きや、平野さんの翻訳にまつわる話も、巻末...とはいえ、本の3分の1を占める!かなりの分量が掲載されています。それとは別に、専門家による解説も。サロメがワイルドによって書かれたのは、1891年。ただ、「サロメ」は新約聖書、ヨハネによる福音書に登場する、預言者ヨハネ、英語ではジョン、そして、この本、「サロメ」では、ヨカナーンという名で登場します。
大学で、最も詳しく読んだのがヨハネによる福音書でしたが、ここでは、ヨハネではなく、ヨカナーンと呼ぶことにしましょう。 ヨカナーンは30歳と若く、黒い髪、白い肌、ザクロのような赤い唇の魅惑的な青年だったのですねぇ。そんな風には全く ”想像すらしたことがなかった!”
新訳聖書を文学的に読んだことなんて、一度も無かったため、「オスカー・ワイルド、お主、やるなぁ~ 聖書に興味を抱かない人も、聖書を読んでみようか、と思うかもね?」と思ってしまいました。 ただ、当時のフランスでは不評だったり、上演が取りやめになったり。聖書のパロディーなど、けしからん!ということだったのでしょうか。
カエサルも、名前だけですが、何度も登場します。当時のローマ人をどう描写しているか、ここも興味深い点です。(古代ローマ・ファンの私としては、あまり面白くないけどね)
主な登場人物は、ヘロデ (ユダヤ四分封 領主)
その妻、ヘロディア
二人の娘、サロメ
そして、預言者、ヨカナーン
ここで少しだけ、あらすじを~;
ヘロデ王は、預言者ヨカナーンを恐れ、閉じ込めているが、預言を行うヨカナーンの声は、美しい娘、サロメの心を掴む。
ヨカナーンを外へ出すことをヘロデ王は禁じている。
しかし、サロメは、自分に夢中な若いシリア人(護衛軍隊長)に命じて、ヨカナーンを連れて来させる。
ヨカナーンに恋をしたサロメは、ヨカナーンに触れようとするが、不貞をはたらいたヘロディア (ヘロデとヘロディアは、不倫の末、結ばれた)の娘であるサロメをヨカナーンは激しく拒絶し、叫ぶ。
「おお、娼婦よ! 黄金の瞳を持つバビロンの娘よ!主なる神は告げられた。群衆をその女の許へと来たらしめよ。そして、石を拾わせ、その女に投げよ、と...」
そこへ王がやってくる。娘、サロメの美しさにうっとり。自分のために踊ってくれという。サロメは拒否。ここで、父はリア王のようなことを言う。「自分のために踊ってくれたら、望むものは、何でも与えよう」と。
サロメが望むものは、ヨカナーンの首だった!
...。
いやはや、衝撃的な展開ですよ。
親は親、子は子。母親が娼婦(不倫)なら、娘も同じ罪を背負う!?違うだろう、と言いたくなりますが、キリスト教では、人は生まれながらに罪を背負っているという教えですから... その為に主イエスを探しだして、許しを請うように、とヨカナーンはサロメに言ったけれど、サロメは言うことを聞かなかった...
サロメは(詳細はここでは省略します)ヨカナーンを我が物にしようとし、拒絶され... 遂には、彼の首をご所望とは! 愛は憎しみに? と思いましたが、ラストシーンでは、なんと、その首、いや、ヨカナーンの物言わぬ唇
にキスをするという...。
純粋真っすぐだとしても、恐ろしい...。恐ろし過ぎるサロメです。
これが舞台で演じられたら、観客は血の気が引いてぶっ倒れそう。
怖いもの見たさで...ちょっと見てみたい気もするけれど??