トルコ帝国で然程期待もされずスルタンとなったマホメッド2世は、先に読んだ『ローマ亡き後の地中海世界』を通じてある程度、どのような人なのか頭の中でイメージしていた。ローマ帝国の皇帝に憧れ、かの有名なアレクサンドロス大王と同じ栄光を夢見るスルタン・マホメッドに対して、ヴェネツィア人など当時の人々は、「領土に関しては現状維持で、守ることに費やすだろう。父を超えることはない」というようなことを読んだ。ローマ皇帝に憧れたにしては、野心的にただ領土拡大を目論び、獲得後は放置状態で荒れ果てた地としてしまう点など違いすぎる気もするが…。そんなマホメッドが東ローマ帝国の首都として千年以上栄えたコンスタンティノープルを地図上から消し去り、オスマン・トルコ帝国の首都としてしまう… 現在もトルコの都市であるイスタンブール。
ただ、私が最初にこの都市名を知ったのは、多分、小学生の頃「飛んでイスタンブール」という日本の歌謡曲だったっけ。エキゾチックな曲で、トルコぷんぷんな感じ? 自分が生まれた時からイスタンブールは中東で、西洋文化との交差点のようなイメージだった。ずっとイスタンブールはイスタンブールのような気さえしていたが、かつてはローマ帝国であり、古代ローマ帝国のコンスタンティノープル皇帝がキリスト教国家と定め、その都市名もコンスタンティノープルと命名して以来、キリスト教国家の首都として君臨してきた。運命的にも最後の皇帝は創立者と同じコンスタンティノープル皇帝。白馬に乗って、「我に続くものはいないのか?」という台詞を残し、そのまま帰らぬ皇帝となったという。当時はビサンチン帝国の首都であったコンスタンティノープルで暮らすギリシャ系住民のみならず、古代ローマを起源にもつイタリア半島や、ガリア(フランス)、ゲルマン系の人々にとっても、都市陥落という物理的事件もさることながら、心のよりどころというか、起源としての祖国を失った心情的ショックも大きかったことだろう。
前評判を覆し、「ただ野心的なだけでなく、支配することに特別の野望を感じており、地理と軍事技術に最も強い関心を示す」(1983年 新潮社文庫 塩野七生:著『コンスタンティノープルの陥落』273ページ8行目)
これを機に、闘戦の仕方も変化している。騎士の時代から、大砲の時代へとシフトされた。日本でいえば、『大河ドラマ真田丸』で見た映像が思い出される。大阪城にイギリス製の大砲が一発飛んでいき、天守閣の一部が崩れ落ちた。コンスタンティノープルを囲んでいた要塞にも同じようなことが起こる。不落の城といわれた大阪城も大砲の威力には敵わなかったというよりは、一発の砲弾が人々の心を動揺させたように、「当時では最強の城壁とされていたコンスタンティノープルの三重の城壁を破壊したということだけが、ヨーロッパのすみずみまで伝わったのであった」(274ページ7行目)
ヴェネツィア共和国も他の西洋各国も新兵器の開発に乗り出す。(もちろん、西洋にはすでに大砲はあった。特にヴェネツィアは船に設置していた)ただ、この兵器の威力に注目し活用したのは塩野さんによると、マホメット二世が最初であったらしい。騎士が最も活躍した時代から、大砲によるアマチュア軍団に備えるべく、以後、ヨーロッパ諸国の城塞も大砲の威力をやわらげるものに変化していく。ちょうど真田丸を最後に甲冑をつけた武士が活躍した時代が終わりを迎えたように…。中世から近世へと移行していく地中海世界の歴史に触れながら、何故か先月、終わったばかりの『真田丸』の最後のシーンと重ねてしまうのだった…。