青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代 【再開第2回】

2013-04-20 08:32:07 | アメリカン・ポップスearly60’s

今日はジョニー・ティロットソン74歳の誕生日です。Happy Birthday Johnny !!

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昨日とりあげた、Bobby Vinton「Halfway to Paradice」と、Johnny Tillotsonの「I Love Loving You」の2曲を紹介しておきます。


■Halfway to Paradise (Carol King/Gelly Gofin)

Tony Orland(1944年生まれ)
1961年 Billboard Hot100第38位
Billy Fury(1940年生まれ)
1961年 英Melody maker 第3位
Bobby Vinton(1935年生まれ)
1968年 Billboard Hot100第23位/Adult-contemporary第8位

客観的にみればBobby Vinton盤が最もヒットしたと言えそうなのだが、、、、一般的には前2者のヒット曲としての印象が強いのだと思う。ただし僕はBobby Vinton盤を聴いてきた。Bobby Vintonは、実績から言えばこの時代のナンバーワン男性歌手だろう。50年代後半はエルヴィス、60年代はヴィントン。実は2人は同じ年で、上記2人やジョニーより4~9歳年上である。初ヒットは逆に3~4年後。後年、しばしば“3ボビー”の一人として認識されているようだが、本当の“3ボビー”(Bobby Darin/Bobby Vee/Bobby Rydel)より1~8歳上、逆に3ボビーやジョニーよりも数年遅れてブレイクし、第一線での活躍は、ずっと後まで続いた。

60年前半の“Pops黄金期”に全盛期を迎えた「狭間の世代」の歌手たちは、60年代後半以降、軒並み表舞台からフェイド・アウトして行ったのだが、(70年代中期になって突然復活したポール・アンカとニール・セダカはともかく)60年代~70年代を通じて第一線で活躍したのは、御大エルヴィスを別とすれば、Bobby Vintonただ一人である。日本では余りに知名度が低いのだが、大物中の大物であることには間違いない。

その大物歌手の謎。放ったヒット曲に、他人のヒット曲の焼き直しが実に多いのである。それも直近の、格下年下歌手の持ち歌。普通カバーの場合は何らかの工夫を凝らすものなのだろうが、ボビーの焼き直し盤はオリジナルよりシンプルで、おおむねチャートポジションもオリジナルに及んでいない。

その嚆矢がジョニー1964年秋~65年春のヒット曲(Billboard Hot100第31位、同・Adult-contemporary 第4位)「シー・アンダースタンズ・ミー」のカバー。ボビー盤は何故かタイトルを「ダム・デ・ダ」と変え、1年半後の66年夏にヒットしている(Billboard Hot100第40位、同・Adult-contemporary 第20位)。ちなみに本当のオリジンは、ジョニー盤の1年前、ベテラン女性歌手Teresa Brewerによる「ヒー・アンダースタンズ・ミー」(Billboard Bubbling-under第130位)。日本ではテレサ盤はむろん、ジョニー盤も(前後の大ヒット曲「恋のウルトラC」と「涙くんさよなら」に挟まれて発売されたこともあり)まるでヒットしなかった。しかし、ボビー盤は「恋する2人」の邦題で、彼の曲としては珍しく日本でも結構ヒットように覚えている。

その後、同様に「格下年少歌手のヒット曲のカバー」を繰り返し発表し続け、そのひとつが前曲に似た曲調の「Halfway to Paradise」(邦題「虹のパラダイス」)。珍しく米オリジナル盤より上位チャートにランクインしている。トニー・オーランド(ボビーの9歳下の親友)とビリー・ヒューリー(イギリスに於けるクリフのライバル)については、別の機会に紹介する予定。




■I Love Loving You(Johnny Tillotson/Lucille Cosenza)


1982年、Buddahよりリリースされた、Johnny通算20枚目のアルバム「スクラップ・ブック」(録音は1972年、15枚目のアルバムとして準備されるもノンリリース)収録。

ヒットを連発していた65年まで(せいぜい68年のC&Wヒット「ユアー・ザ・リーズン」まで)の曲は、同じ 曲をいろいろな組み合わせで、何10種類もの編集盤が組まれているのだが、以降の10数年にリリースした30枚近くのシングル盤は全てハズレ(良くて下記2曲のような情けない成績)、従ってアルバム収録曲を含めた70~80年代の100曲以上が、現在に至るまでどの編集盤にも再収録されないままでいる。

上に通算20枚目、と記したけれど、それぞれ5年間在籍したケイデンス・MGMの両レーベルを離れてからの15枚目以降は、1~2年ごとに移籍を繰り返したそれぞれのレーベルから、過去のヒット曲を再収録してお茶を濁した3枚も含まれる。

しかし、72年(リリースは82年)のBuddahからの「Scrapbook」(71年のPop128位「Apple Bend」を含む)と、77年のUnited Artistsからの「Johnny Tillotson」(同年C&W99位「Toy Hearts」を含む)に関しては、完全オリジナル楽曲。自作曲を含む意欲作が目白押しで、最近になって、そのほとんどをユーチュブで聴くことが出来るようになったのは、嬉しい限りである(残念ながら中国ではYou tubeを開くことが出来ない)。

前者のA面2曲目に収録されている「I love loving you」は、ジョニーと最初の奥さんのルシルの作品。同じ世代 のキャロル・キング&(キャロルの最初のご主人)ゲリー・ゴーフィン組や、ボビー・ヴィントンらと比べれば、才能の差は余りに歴然としているのだが、平凡極まりないメロディーや歌詞といい、以前の伸びのある高音とは違った絞り出すような苦しげな声といい、それはそれでジョニーの魅力となっているような気がする。

ちなみに、この曲の歌詞紹介はYou tube上に見当たらない(「Johnny Tillotson~I Love Loving You」で検索すると、彼の代表的ヒット曲「Why Do I Love You So」と「You Can Never Stop Me Loving You」ばかりがドサッと出てくる)ので、リスニングによる記述が正しいかどうかは自信なし。でもまあ、前曲の“your friend is all I’ve stayed”と言ったような、僕の貧弱な語学力では到底解読出来そうもない言い回し(「your friend」とは自分のこと?)とは対照的な、小学生でも分かりそうな単語やセンテンスのみで構成されているので、おおむね当たっているとは思うけれど(笑)。

Bobby Vinton の声色は「7色の虹」。Johnny Tillotsonの声色は「春の霞」。歌詞内容も歌声も、余りに差のある2曲だが、まあ、そういったところで了解して頂き、ご勘弁(?)願いたい。

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今日4月20日はジョニーの誕生日ということで、、、、。フランスのMr.Migandさんにより多数アップされている70~80年代のJohnnyの曲のうち、2曲を追加紹介。

●Big Ole Jean(written by John E. Beland & Johnny Tilotson:song by Johnny Tillotson)


1975年、米Columbiaよりリリースされたシングル盤で、ジョン・エドワード・べランドとの共作による、コミカルなカントリー・ナンバー。ブランドは70年代にジョニーのバックミュージシャン(ギタリスト)としてツアーなどに帯同するほか、幾つかの曲を共同制作するなど、相棒的な存在でもあった(その後、リック・ネルソンのバックミュージシャンとしても活躍)。ジョニーとは、この「ビッグ・オレ・ジーン」の他にも、「A song for Hank William」などを競作している。べランド本人のヒット曲としては、「Baby You Come Rolling Close My Mind」(68年Billboard Bubbling-under第115位)がある。この曲のオリジナルは「Peppermint Trolley Company」というグループで、こちらも彼ら唯一のヒット曲(68年Billboard Hot100第59位)。なお、ジョニーの親友Bryan Hylandによるカバーもあり、ジョニー自作のデビュー曲「夢見る瞳」をカバー(ノンヒットシングル)フィチャーしたアルバム「Stay and Love Me All Summer」(69年)に収録されている。ブライアン・ハイランドのレパートリー中、僕が最も好きな曲。

ジョニーの持ち味は、コミカルなカントリー・ナンバーを歌ったときに、最も良く出ていると思う。ヒット曲「トーク・バック・トレンブリング・リップス」「ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー」「ユアー・ザ・リーズン」も、ノベルティー・ソングまでは行かなくとも、コミカルな曲。自作の曲としては、ビートルズやローリングストーンズをからかった「Long Hair Committee」(67年、僕は勝手に「ビートルズなんて怖くない!」という邦題をつけています)、C&W界の大御所Ernest TubbとLoretta Lynnのデュエットに提供した「Who’s Gonna Take Your Garbage Out」(69年、Billboard C&Wチャート第18位)などがあり、このあたりはノベルティー・ソングと呼んでも良いだろう。

この「ビッグ・オレ・ジェーン」も完全なノベルティー・ソンでグ、曲中に“ナッシュビルのスーパースター”として、コンウエイ・トゥエッティ、ウエィロン・ジェニングス、ウィリー・ネルソン、メル・ティリス、マール・ハガード、トム・T・ホール、デビッド・ヒューストン等々、C&Wのビッグネームが次々登場する、実に楽しい歌。ちなみにC&W界で“Jean”といえば、女性歌手のジェーン・シェパード。ジョニーの「涙ながらに」は数多くのC&Wシンガーに取り上げられているが、僕が最も出来が良いと思っているのは、このSheperdのバージョン。

70年代以降、ヒットチャート的には、ほとんど全く実績を残せないでいたジョニーの経歴だが、どうして、この時期の活動は、純粋に内容面だけを見れば、ある意味60年代前半の全盛期以上に充実しているように思う。


●Freckles(written by S.Whipple:song by Johnny Tillotson)

1977年、United Artistsよりリリースされたアルバム「Johnny Tillotson」収録。“Freckles”は“そばかす”の意。クリフ・リチャード英ヒットチェーンのカバー「Wind Me Up, Let Me Go」や自作の「Country Boy, Country Boy」 (共に66年)、77年ジョニーの小ヒット曲で、「Freckles」と同じアルバムに収録された「Toy Hearts」など、詩情溢れるカントリー・バラードも、ジョニーの得意分野。これらの曲では、伸びを欠いた掠れ気味の声が、むしろ効果的に現れているように思う。4分を超す曲中、幾度か繰り返される“Special”という語が、実に優しく、かつ大きな意味を含んで胸に伝わってくる。



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