青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2019.10.31日記(下):ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代

2021-08-25 10:13:15 | コロナ、差別問題と民主化運動、アメリカンポップス



A Short Story of The Cadence Record /3人の女性ポップス歌手ほか(抄) 【下】


ところで、「ケイデンス」「女性」と言えば、もちろんコーデッツですね。話が随分ケイデンスから外れてしまったので、元に戻しましょう。60年の映画「日曜はダメよ」の主題曲は、日本ではコニー・フランシス盤でヒットしましたが、アメリカでのヒット・シングルはコーデッツ盤です。 

コーデッツは、年齢的には「ポップス黄金期」の一時代前の、おばさん歌手達(全盛期は40歳前後)、と捉えられがちですが、最初のリリースでナンバー1ヒットの「ミスター・サンドマン(54年)」を除くチャートヒット13曲は56年~61年なので、「ポップス黄金期」を代表する女性ヴォーカルグループといってよいでしょう。白人女性ヴォーカルグループとしては、マクガイア・シスターズと並び、この時代(ゴールデン・ポップス初期)のNo.1かも知れません。

「ロリポップ」とか「日曜はダメよ!」とかの超有名曲をはじめとしたチャート上位ランクの曲は良く知っているつもりでいたのですが、今回、改めてチャート下位の曲やノンヒット曲を聴き直してみたら、これがもう、素晴らしいのですね。

【Cadence 1319】 The Chordettes/Echo Of Love(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=_KPJhQDvYjI 
*Joyce Hahnの「私の青い鳥」の次のリリース。

【Cadence 1425】 The Chordettes /In The Deep Blue Sea(non-hit)1962
https://www.youtube.com/watch?v=_KPJhQDvYjI 
*Johnny Tillotsonの「夢の枕を」の次のリリース(おそらく旧録音?)。

この機会に、今まで余りきちっと聴いてこなかった、アンディ・ウイリアムスの曲も、改めて聴き直してみることにしました。

これまで僕は、一時代前からのスケベな中年歌手という認識でいたのですが(その認識自体は変わらないけれど、笑)、単に甘いだけではなく、独特の渋みを帯びたの聲の、なかなか癖になる魅力を持っていることが、再確認できました。聴けば聴くほど「女たらしのオッサン」という印象は、今まで以上に強くなるのですけれど、まあ、歌が上手なら、それも良いと思います。57年の大ヒット曲の一つで、ペギー・パワーズ(*注)という女性歌手とのデュエットによる【Cadence 1323】「I Like You Kind Of Love(57年pop 8位)」なんて、もう最高です!

そのアンディのおかげで(?)ジョニー・ティロットソンは「優等生」に位置づけられています(“女たらし”という点では似たようなものなのですが、、、実態を暴いてはいけないことになっています、笑)。

ところで、アンディ・ウイリアムスと言えば「ムーン・リヴァー」、「ムーン・リヴァー」と言えばアンディ・ウイリアムス、と印象付けられているように思います。先にも記したように、ヴォーカルでのヒット・ヴァージョンは、黒人バラード歌手(元、The Impressionsのメンバー)Jerry butler(1939~)の大ヒット曲です。ヒットには至りませんでいたが、同じ頃、ケイデンスから女性歌手Jean Tomas盤もリリースされています(ジョイス・ハンのアルバムにも収録)。「Moon River=Andy Williams」の思い込みは、日本だけの現象と思っていたのですが、アメリカでの認識も同様らしく、ビルボード・チャート・ブックの、アンディ・ウイリアムスの項目にも、“アンディの歌として有名なムーン・リヴァーは、62年に録音されているが、シングル・リリースは為されていない”という訳注が、わざわざ入っています。

Andy Williams/Moon River(from an Album【Moon River and Great Movie Tame】)1962
https://www.youtube.com/watch?v=L_jgIezosVA
移籍したColombiaからのリリースで、これが彼の初トップ10チャート(3位)のアルバムとなります。

*「ケイデンス・レコード・リスト」を見たら、ケイデンスからリリースされた全てのアーティストの曲の紹介の後に、特別訳注の形で、こんな覚書が附されていました。「“アイ・ライク・ユー・カインド・オブ・ラブ”を(アンディ・ウイリアムスとのディエットで)歌っている“ペギー・パワーズ”とは誰のことか?」。かなり長くなるので結論だけ紹介しておくと、(たぶん、たまたま録音時に居合わせた?)レコード会社かスタジオの名もなき(一応本名は判明しているらしい)スタッフの一人らしいです。それがトップ10入り大ヒットとなって、60年以上経った現在でも知られているわけですから、面白いですね。

ケイデンス・レコードの代名詞と言えば、そのアンディ・ウイリアムスよりも、コーデッツよりも、何といってもエヴァリー兄弟でしょう。

最初にも記したように、56年のエルヴィスに次いで、57年から58年にかけてのエヴァリーの快進撃は、それはもう凄いものでした。

しかし、大ブレークした後、普通なら一気に総攻勢をかけて、数多くのシングル盤やアルバムを短期間の間にリリースします。

例えば、リヴァティ・レコードにおけるボビー・ヴィーは、60年から63年の4年間に11枚のアルバムをリリースしています。

アーチ・ブレイヤーの方針は、それとは違ったのだと思います。上に例を挙げたBobby Veeとほぼ同じ時期のケイデンスに於いては、例えばジョニー・ティロットソンは在籍5年間にリリースしたアルバムは3枚だけです。最後の一枚は移籍が決まってからの寄せ集めですから、実質2枚。デビューヒットから丸3年間余、トップ10ヒット2曲を含む8曲のチャートヒットがあるのにも関わらず、正規のアルバムは一枚もリリースしていません(各6曲入りの「リトル・アルバム」が2枚)。

最初のアルバムが、61年暮の「ベスト・ヒット集」、相次いで62年に、意表を突く、全曲カントリー・ナンバーのアルバム「It Keeps Right On A Hurting」(ケイデンス・レコードのレーベル全体を通じて、始めてのトップ10アルバムです)をリリース。

エヴァリー・ブラザースも、在籍中の60年までにリリースされたアルバムは4枚(移籍後の63年に再発を含む2枚追加)に留まっています。そして、58年にリリースされた2枚目のアルバムは、これも意表を突く(人気絶頂のポップ・アイドルらしからぬ)アイルランドの古い歌を集めた、(一般受けという視点からは)ある意味非常に地味な「Songs Our Daddy Taught Us」(兄弟の父親が昔、故郷のアイルランドで馴染んでいた歌、というコンセプト、62年に別タイトルで再発売)。このアルバムからは、(レーヴェル移籍後の62年に)「I’m Here To Get My Baby Out Of Jail」がシングル・カット(pop76位)されています。

もっとも、リアル・タイム(エヴァリー・ブラザースがケイデンスに在籍していた57~60年当時)には、日本においては彼らのレコードはリリースされていないはずです。今ではポップス・ファンなら知らぬ人はいないだろう、「バイ・バイ・ラブ」や「夢を見るだけ」などの超有名曲も、ごく一部の日本人の知るところだけだったと思われます。しかし現在では、後発のビートルズやビーチ・ボーイズが触発されたということで、教祖的な存在に祭り上げられているわけです。もちろんのこと(ビートルズらの出現と関わりなく)それに値するに相応しい存在であることは確かなのですが。

むろん、ジョニー・ティロットソンの初期(58年~61年)ヒット曲も、日本で(リアルタイムでは)発売される事はありませんでした。もっとも、彼の場合、全盛期と言える62年~63年には既に「日本キング・レコード」からリアルタイムで本国ヒット曲のリリースが為されていたのですが、それらは全てカントリー&ウエスタン調のバラード曲、日本でのヒットは望めません。

そのまま、「日本ではヒット曲のない“伝説のティーン・ポップス歌手”」になるところだったのですが、63年の秋になって、旧録のB面曲「キューティ・パイ」を日本独自発売したら、これが大ヒット。

以降、片っ端から、旧録のB面曲をリリースし、数か月後に現れたビートルズら「新時代の音楽」の日本における対抗馬になります。

【Cadence 1384B-side】 プリンセス・プリンセスPrincess, Princess(non-hit)1960
https://www.youtube.com/watch?v=srOVTsVKLKQ
アメリカでは「ポエトリー・イン・モーション」のB面。自作。日本では63年暮から64年初めにかけてヒット。

【Cadence 1404B-side】 キューティ・パイCutie Pie(non-hit)1961
https://www.youtube.com/watch?v=2Bb6RJzJ7p4
アメリカでは「ウイズアウト・ユー」のB面。A面共自作。1963.6.8付けのアルゼンチンのチャートでNo.1に。

【Cadence 1437B-side】Judy, Judy, Judyジュディ・ジュディ・ジュディ(non-hit)1963
https://www.youtube.com/watch?v=ibjZpPNY2z4
アメリカでは「ユー・キャン・ネヴァー・ストップ・ミー・ラヴィング・ユー」のB面。作者の一人。日本では大したヒットにならなかったが、東南アジア各国やオーストラリアなどで大ヒット。

【Cadence 1441B-side】 素敵なガールハントA Very Good Year For Girls(non-hit)1963
https://www.youtube.com/watch?v=WHSUDdvnTDA
アメリカでは「ファニー・ハウタイム・スリップス・アウエイ」のB面曲。日本では64年春にヒット。

というように、62年に「涙ながらに」で変身?する前のジョニー・ティロットソンは、典型的な「ティーン・ポップス歌手」だったのです。

一方、エヴァリー・ブラザースは、デビュー当時(57年)から、一貫してC&Wのスタイルを取っていました(とは言っても、ジョニーの「ティーン・ポップス」は「カントリー・フレヴァー」満載でしたし、エヴァリーの「カントリー」も「ティーン・ポップス」度数は限りなく高かったので、客観的には大して変わらないような気はしますが)。 したがって、仮にエヴァリー兄弟の一連の本国大ヒット曲がリアルタイムで日本で発売されていたとしても、ヒットには結びついていなかった可能性もあります。

ちなみに、エヴァリー兄弟とジョニー・ティロットソンが所属するレーベルということで、ケイデンス・レコードと言えば、「ポップ・カントリー」という印象があると思いますが、実際のところは、この2組以外には、カントリー系のアーテイストは、ごく僅かしか見当たりません。

C&W系歌手のヒット曲は、前出のジョイス・ハンの「二人の青い鳥」(57年、pop 84位)があるくらいです。

ほかに、数少ないC&W系の歌手として、ノンヒットながらケイデンスから5枚のシングル盤をリリースしている、ゴードン・テリーGordon Terry (1931~2008)がいます。
【Cadence 1317】Gordon Terry/Black mountain Rag(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=tbgysEVchnQ
【Cadence 1334】Gordon Terry/Wild Honey(non-hit)1958
https://www.youtube.com/watch?v=Hz1y95xECVs
【Cadence 1343B-side】Gordon Terry/Lost Her Somebody New(non-hit)1958
https://www.youtube.com/watch?v=JOM7EvmuulE
1316、1317は典型的な古い時代の典型的C&W音楽(ブルー・グラス?)。逆に1334、1343は現代的なカントリー・ロックで(1343はB面の自作のバラードを紹介)、エヴァリーやジョニーとも被るのですが、ちょっと時代に乗り遅れてしまったように思われます(後に、唯一のチャート・ヒットとして70年C&W 62位「The Ballad Of Johnny Cash」)があります。

女性C&W歌手が、ジョイス・ハンのほかに2人。

Martha Carson(1921~2004)という「謎?」の歌手。
【Cadence 1356】Martha Carson/Light Of Love(non-hit)1958
https://www.youtube.com/watch?v=IEppD9OYHds
Martha Carson 「Crying Holy Unto The Lord」
https://www.youtube.com/watch?v=U2ajOeFUXG8
Martha Carson 「This Ole House」
https://www.youtube.com/watch?v=Vi2MNJ9eQUo
カントリー・ゴスペル?白人女性で、60年代以降に別レーヴェルから数曲をリリースしています。デイスコグラフィーをチェックしたら、確かに56年にケイデンスからも一枚だけ(この曲を)リリースしています。しかし、全然カントリーとは関係なさそうな曲。下2枚はTV番組から。三つとも、曲を聴いたり、姿を見たりするだけでは、とても同一人物とは思えないのですが、多分同じ人なのでしょう。もっとも、ジミー・ヴェルヴェットの例(そのうち書きます、かなり悍ましい?話です、ちなみに最初に挙げたジョニーとエヴァリー兄弟の3ショットは、ジミー・ヴェルヴェットの情報を探しているときに、偶然見つけたものです)もあるので断定はできませんが。

もう一人は、正真正銘のメジャー(と言うよりも知名度の高い)歌手、C&W界の名門、The Carter Familyの一員で三姉妹の末妹のAnita Carter(ジョニー・キャッシュの奥さんJune Carterの妹:1933~)も、ケイデンスからシングル盤を一枚リリースしています。別レーベルでは、カントリー・チャートで51年に両面トップ5 に入ったHank Snowとのディエット曲があり、60年代後半以降も活躍を続けています(62年のTV番組ではジョニーの「涙ながらに」も歌っている)。
【Cadence 1333】Anita Carter/Blue Doll(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=zhVrt1RWrcM

ということで、ケイデンスにおけるC&Wが系の曲が占める割合は、印象とは違って意外に少ないのですが、ではロック(R&R)はどうでしょうか。62年前後にカントリー調ポップ・バラード、いわゆるナッシュビル・サウンドが押し寄せる前、50年代後半から60年頃にかけて(すなわちケイデンスの絶頂期)、ロックが全盛でした(エルヴィス、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジーン・ヴィンセントetc.)。しかし結論からいうと、ケイデンスには、(いわゆる不良っぽい)ロック・アーティストもごく少ないのです。

ほぼ唯一の例外と言ってよいのはリンク・レイで、彼については後程改めて述べます。

むろん、エヴァリー兄弟もロックを唄います(見方によっては大半の曲がロックです)。でも、彼らのは「品のあるロック」、、、ロックに品があっちゃいけないのです。ジョニー・ティロットソンも、ライブにはロック系の曲にかなりの時間を割いているのですが、録音となると、典型的なロック・ナンバーはほとんど見当たりません。明らかにロックと言えそうなのは、デビュー曲(1958年)の「ウエル・アイム・ユア・マン」と、現時点でのラスト・リリースである(2010年)「ノット・イナフ」ぐらいのように思います。

「キューティ・パイ」はどうでしょうか?確かにロックと言えば典型的なロックであるようにも思うのですが、ロックに漂うべき不良っぽい雰囲気が微塵も感じれない。明るく、健全?過ぎるのです。この曲を「“ポップン・ロール”の名曲」と言った人がいます。「ポップン・ロール」、、、、言い得て妙ですね。もっと広く一般的に使えわれて良いのではないでしょうか?(リッキー・ネルソンとかフレディ・キャノンとかチャビー・チェッカーとか、C&WにもR&RにもR&Bにも何となく括りにくい対象が、「P&R」に相当するように思います)

例えば、エヴァリー兄弟の「起きろよスージー」(リアルタイムでは、、、といっても日本ではワーナー移籍後の再発でしょうが、、、「スージーちゃん起きなさい」の邦題)。何しろ凄いのは、Pop/R&B/C&Wの3チャート#1。「涙ながら」のところで何度も述べていますが、この(P/R/C)組み合わせでの3チャートのクロスオーバーヒットは、60代に入ってピタリと消え去ります。50年代には結構あったのですが、でも3チャート1位というのは、どれほど凄い事か。

この曲なども、現在は「ロックン・ロール」として扱われているのだと思われますが、やや違和感があります。また、それぞれのジャンルで1位と言っても、典型的C&WでもR&Bでもないことは確かです。「ポップン・ロール」というジャンルがあれば、一番ピッタリ来ます。

もちろん、よりロックンロール的な曲も歌っていました。60年にレーベルを移籍した後しばらくは、旧所属 ケイデンスからも、新所属のワーナー・ブラザースからも、ともにシングル盤のリリースが為されていました。

移籍したワーナー・ブラザースでは、早速2年ぶりの(通算pop4曲目の)#1ヒット「キャシーズ・クラウン」を放ちます。ほぼ同時期にケイデンスからも旧録曲の「When Will Be Loved」【Cadence 1380】が発売され、こちらもpop 8位を記録する大ヒットとなります。なにより凄いのが、その両方ともが両面ヒットとなっていることです。ちなみに、ケイデンスからリリースされたシングル盤212枚中、両面hot 100入りは11枚(エヴァリー・ブラザース6枚、ジョニー・ティロットソン3枚、コーデッツ2枚)。このうち、エヴァリーの「バード・ドック/デボテッド・トゥ・ユー」(58年)は両面とも3大ジャンル(Pop/C&W/R&B)に跨ってtop10入りするという偉業を成し遂げています。

その両シングルのB面。ワーナーが「ルシール」。ケイデンスが「ビー・ヴァップ・ルー・ラ」。前者がリトル・リチャード、後者がジーン・ヴィンセントの(黒人と白人の違いはあっても)R&Rのルーツに位置づけされる名曲(ともに自身の作)です。この2曲に関しては、典型的なR&Rと言っても良いでしょうね。

ということで、エヴァリー兄弟の位置づけは、全体を通してみればポップ・カントリー(より正確には「カントリー・ポップ」)で、「ポップン・ロール」から純粋な?ロック系にも及んでいる、という事でしょう。全盛期は57年~62年ですが、ビートルズ出現後の64年暮れには「ゴーン・ゴーン・ゴーン」(pop 31位)で、一時復活を成し遂げています(この曲はカッコいいロックです!)。

ただし日本では、同じ64年に、本国ではヒットしなかった「素敵なデイトThat's What You Do to Me」が、数少ないリアルタイムでのヒットを記録しています。
https://www.youtube.com/watch?v=dChJATPkaoA

ケイデンス在籍は60年春までですから、ビートルズらが台頭しだしたころには既にワーナーに移籍していたのですが、62年に、ケイデンスの少年歌手、エディ・ホッジスによってリリースされ大ヒット(pop 14位)した「(Girl Girl Girl)Made To Love」は、エヴァリー兄弟の未発表曲(フィル・エヴァリーの作詞作曲)です。

ちなみに、エディ・ホッジスの日本でのヒット曲は2曲あり、最初が62年春の本国ヒット曲(pop 65位)「Bandit Of My Dreams」のB面曲「コーヒーデイトMugmates(Sue Wrightという女性歌手とのデュエット)」。
https://www.youtube.com/watch?v=xazlcRuUoOA
「恋の売り込みI’m Gonna Knock On Your Door」は本国61年春(pop 12位)、日本では62年になってリリースされ、共に大ヒットしています(僕が最初に買ったレコードの一つで、数少ない最後まで歌える曲)。

ケイデンスのアーティストで、日本に於いてリアル・タイムで最初のヒット・シンガーとなったのは、ジ・エヴァリー・ブラザースでも、ジョニー・ティロットソンでも、アンディ・ウイリアムスでも、ザ・コーデッツでもなく、エディ・ホッジスということに成ります。

「コーヒー・デイト」「恋の売り込み」「ガール・ガール・ガール」どれも典型的なティーン・ポップスです。ジョニー・ティロットソンの日本でのヒット曲や、エヴァリー兄弟やコーデッツの一部の曲も「ティーン・ポップス」なので、印象的には「ケイデンス=ティーン・ポップス」との印象もあります。

しかし、カントリー系のアーティストやロック系のアーティストが意外に少ないのと同様、ティーン・ポップス系のアーティストも意外なほど少ないのです。チャートヒットは上記4組の曲だけです(ノンチャートでは、Don Carrollの「Seven Up & Ice Cream Soda」【Cadence 1405】や、エディ・ホッジスに続く2匹目の泥鰌を狙った子役歌手Barry Gordonの「You Can Lie To A Liar」【Cadence 1431】など)。

C&W系も、ロック系も、ティーン・ポップス系も、受ける印象に比べて意外に少ないわけですが、じゃあR&B系は、となると、それもごく少ないのですね。黒人アーティスト自体、チャート・ヒットを持つのは、レニー・ウエルクとドン・シェリーだけ(両者については改めて後述)。もう一人、ノンヒットながら、ケイデンスから3枚をリリースしている後の有名歌手に、Ocie Smith(O.C.Smith 1932~2001)がいます。
【Cadence 1304】 Ocie Smith/Slow Walk(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=XVcbkBA3XZ0
【Cadence 1312】 Ocie Smith/If You Don’t Love Me(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=sSHojx9s52w&spfreload=10
【Cadence 1329】 Ocie Smith/Lighthouse(non-hit)1957
https://www.youtube.com/watch?v=_Aq1K1VzNk4

ケイデンス時代にはチャート・ヒットは有りませんが、O.C. Smithの名で、60年代後期から70年代にかけて10曲以上がpop/r&b/adult各ジャンルでチャート・インしています。中でも良く知られているのが68年の「Little Green Apples」(pop 2位/r&b 2位/adult 4位)。
https://www.youtube.com/watch?v=B6UJOb4oVfU
Bobby Russellの作で、やはり同年にボビー・ゴールスボロで大ヒットした(pop/c&w/adultで1位)Russell作の「ハニー」とそっくりな曲調。スミス自身はR&B歌手なのですが、何故か68年グラミー賞の「Country Song of the Year」に選ばれています。同じ68年に、カントリー歌手のロジャー・ミラー(1936~1992)や、パティ・ペイジ(1927~2013)でもヒットしている(前者はPop39位/C&W 6位/Adult 5位、後者はPop96位/adult 12位)ので、その関係で代表してO.C.Smith盤が受賞したのではないかと思われます。

それにしてもアーチ・ブレイヤーは(57年に3枚リリースのO.C.Smithはともかく)、レニー・ウエルクに関しては、60年初頭に初ヒット(「You Don’t Know Me」Pop45位/R&B28位)を放ってから、レーベル解散後の64年初頭に「Since I Fall For You(Pop 4位/Adult 3位)」の大ヒットを放つまで、丸4年間に亘り7枚のノンヒット・シングルをリリースし続けたわけで、その我慢強さは(アーチ・ブレイヤー/レニー・ウエルク共々)素晴らしいと思います(数少ない所属黒人歌手だからこそ寵愛したのかも知れません)。

レーベル解散後にチャートインした3曲を合わせケイデンスから4曲、その後にも5曲のチャート・ヒットを持っていますが、レニー・ウエルクでネットを検索すると、それらのチャート・ヒット曲よりも、62年のノン・ヒット曲「A Taste Of Honey蜜の味」ばかりが検索に引っかかります。素晴らしい曲なので、それはそれで嬉しいことなのですが、その由来を思うと、なんか納得が出来ません。

この曲は、もともとインストルメンタル用に作られた由(後にハーブ・アルバート楽団で大ヒット)、当時ボーカル歌唱はレニー・ウエルク盤しかなかったようです。それが(まだアメリカに上陸前の)ザ・ビートルズのポール・マッカトニーの耳に留まり、彼らの米初アルバムにチョイスされました(ジョン・レノンは反対した由)。その際ポールは、レニーの歌唱を基に、忠実に歌った故、後にそのことが広く知られるようになったのです。現在、一般的な意味では、レニー・ウエルクの評価は、彼自身の実績よりも「ポール・マッカトニーがお手本にした」という一点に集約されてしまっているきらいがあります。とても残念でもあります。

【Cadence 1416】It’s Just Not That Easy(non-hit)
https://www.youtube.com/watch?v=Xxa4SyynPIc
↑レニー自身の作詞作曲です。

【Cadence 1428】A Taste Of Honey蜜の味(non-hit)
https://www.youtube.com/watch?v=4glzb5lVnzA

後の「空気」による評価、という事では、もう一人のケイデンス所属黒人アーティストDon Shirleyについても言えそうです。彼のバイオグラフィーを調べようと、ネットであちこち探していたのですが、詳しい情報はなかなか得れないでいました。それが一年ほど前のある時点で、一気に(溢れかえるごとく)ネットに上がってきた。彼を主人公にした映画が、アカデミー賞を受賞したのだそうな。今まで一般的な知名度が無かったのが、一気に知られるところになったわけです。

レニー・ウエルクにしろ、ドン・シェリーにしろ、「空気」だけで、大衆の評価や認知度が決まってしまう。なんかムカつきます。

*Lenny Welch、Don Shirleyの日本語表記は、現在はそれぞれ「レニー・ウエルチ」「ドン・シャーリー」とされていますが、僕はリアルタイムでは「レニー・ウエルク」「ドン・シェリー」と発音してきたため、間違いを承知の上で(腹が立つため、笑)従来の通りの表記をしておきます。

それはともかく、僕だけでなく、多分多くの人(アメリカン・ポップス愛好家)が感じているだろう「ケイデンス・レコード」のイメージは、ティーン・ポップだったりポップ・カントリーだったりするのですが、そのジャンルのアーティストは、意外に限られている。といって、ロックやR&Bという訳でもない。

じゃあ、ケイデンスの特徴は何か、と言えば、、、、最も比重が置かれているジャンルを敢えて探すならば、ポップス黄金期とは全く関係な、モダン・ジャズであるような気がします(アーチ・ブレイヤーは「ケイデンス」とは別に「キャンディックス」という、ほぼジャズ専門のレーベルも持っていた)。

ドン・シェリー(エヴァリー兄弟やアンディ・ウイリアムスらの大スターでさえケイデンスからは余り多くのアルバムをリリースしていないのにも関わらず、20枚近いアルバムをリリースしている)は、どちらかと言えばジャズの分野の人ですね。でも、ポップスとの親和性も非常にあるように思います。61年のヒット曲(pop 40位、adurt 10位)「ウオーター・ボーイ」は、囚人(たぶん死刑囚)のワーク・ソングだそうです。そう想ってこの曲を聴くと、心に染み入るものがあります。むろん後付けでしょうが、ユーチュブに紹介されている映像も秀逸です。一枚一枚の画像が、やはり心に染み入ります。

改めて、紹介しておきます。
【Cadence1392】 Don Shirley Trio/Water Boy(7-61, #40 pop, #10 AC)
https://www.youtube.com/watch?v=YR9d1l6oOxI

結局のところ、ケイデンスレコードの特徴は、突出した特徴がないことが特徴、もう少しポジティブに言うならば、いろんなジャンルがごちゃまぜ、という事なのかも知れません。あくまで僕が感じた雰囲気的なものですが、「売るため」にレコードを出しているというより、楽しんで、皆で遊んでいる、といった雰囲気。何気に、Johnny Ray【Cadence 1387】「Let’s Forget It Now」(non-hit)とか、Liza Minnelli【Cadence 1436】「You Are For Living」(non-hit)とか、良く知られた名前があったり、いろんなジャンルがごちゃまぜで、結果としてポップス黄金期を象徴するようなレーベルになっているわけです。

ジョニー・ティロットソンの「ポエトリー・イン・モーション」において、ブーツ・ランドルフのサックスが重要な役割を占めているのと同じく、アルバム「涙ながらに」収録の数曲も、チャーリー・マッコイのハーモニカが彩を添えています(ちなみにチャーリー・マッコイはCadenceから、pop 99位のチャート・ヒットを含む2枚のシングルをリリースしていて、それらはハーモニカでなく自身の歌唱です)。

また、御大アーチ・ブレイヤーの「Harnando’s Hideaway」も、カスタネット(演奏者:Maria Albaの名もクレジットされている)が主役ですし、他にも、様々なアーティストの曲に、ピストル音とか、手拍子とか、口笛とか、指パッチンとか、頬っぺたポンとか、様々な効果音が取り入れられていて、遊び心が感じられます。

アーティストの国籍も多岐に亘ります。例えば、Yiddish(旧ソビエト連邦の西部)の姉妹ディオ、Barry Sisters[Minnie Bagelman 1923~1976)/Clara Bagelman1920~2014]は、54年から57年にかけて、ノンヒットながら、5枚のシングル(Reckless And Romantic【Cadence 1248】-The Door Is Open【Cadence 1326】)をケイデンスからリリースしています。

無国籍といえば、Archie Bleyerの「Mustafa」なども、その典型で、幾つかの国の言語が、ごちゃまぜで歌われているようです(坂本九/パラダイス・キングの初ヒットとなった「悲しき60歳」は、このバージョンを参考にしていると思われます)。
【Cadence 1383】(non-hit、60年Johnny Tillotson「Poetry In Motion」の一つ前のリリース)
https://www.youtube.com/watch?v=qrPmHAv6ci8

というわけで、出来れば様々なアーティストの「何でもあり」ごちゃまぜノンヒット曲を紹介していきたいところですが、それらの音源を遂一探していれば、何時になったら本項を書き終えられるか目途が付きません。で、一曲だけ、僕のお気に入りを紹介しておきます。

【Cadence 1375B-side】Commander Shea School Boy Choir/White Christmas(non-hit)1960
https://www.youtube.com/watch?v=JQ9TGPVK9O0

Archie Bleyer名義の曲は、見方によっては支離滅裂ですね。本人?歌唱曲があると思えば、シレっと、イージー・リスニング楽団、といった風に、ごちゃまぜ感満載です。
【Cadence 1320】Archie Bleyer/Amber(non-hit)1954
https://www.youtube.com/watch?v=YAECqe4MVcU 
【Cadence 1426】Archie Bleyer/Moonlight Serenade(non-hit)1962
https://www.youtube.com/watch?v=N4_COjpT-rE

アーチ・ブレイアーは、自信名義の曲だけでなく、大半の曲を自ら企画・構成し、バックのオーケストラ演奏を受け持っています。ジャズであろうがロックであろうがカントリーであろうがR&Bであろうが子供の唄であろうが、お構いなしです。なおかつ、50歳越えようとする御大自身が、若いアーティストに混じって次々とリリースしているわけです。

スタート時自体が(それまで司会を努めてきたTV局と喧嘩別れして?)20歳以上年下のジュリアスを引き連れての独立ですし、同時にそのTV番組の看板女性ヴォーカル・グループ(コーデッツ)を引き抜いて、リーダーを奥さんにしてしまった。のみならず、彼女が前夫との間に授けた娘さんを、自社の看板アーティストのエヴァリー兄弟(フィル)の奥さんにして、、、と、家族経営でなるアーチ・ブレイヤーの個人商店の面目躍如というところです。

良いものは(古い/新しいに関わらず、ジャンル・人種・性別等々に関わらず)何でも取り入れる柔軟な姿勢、、、でも(良きにつけ悪しきにつけ)リミットはあったのです。いかに柔軟と言えども、ブレイアーは50歳台半ばの大人です。急激な時代の流れには、最後(63-64年)にはついていけなかった。

前に、寄り道してJohn D.Loudermilkの「Indian Reservation」の話題を述べました。それと直結する、「空気」の“流れ”についての話です。

リンク・レイ(1929~2005)のトップ20(pop16位)ヒットにして、唯一ケイデンスからリリースされた「Rumble」を、もう一度紹介しておきましょう。それと共に、ケイデンスからレーベルを移籍して一年も経たぬ間に、同じ曲を全く異なる構成(曲名も変えて)で再び大ヒットさせた「Raw High」も。
【Cadence 1347】Link Wray/Rumble(4-58, #16 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=BuAD_sQUgpw
Link Wray 「Raw High」(1-59, #23 pop)
https://www.youtube.com/watch?v=Fn5hl2IA7_s [59年「Raw High」の曲名で別レーベルから発売(pop23位)]

「ランブル」の大ヒット放ちながら、ケイデンスからはそれ一枚しかリリースされませんでした。その理由は、アーチ・ブレイヤーの怒りを買ったから、と言われています。ブレイヤーは元々この曲のリリースには乗り気じゃなかったようです(娘さんがファンだったので渋々リリースした、という話もあります)。

(おそらく曲と共に紹介された)この「ランブル」の映像を見ても分かるように、あるいはディック・クラークのアメリカン・バンドスタンドでリニューアル紹介された「ローハイ」のライブを見ても分かるように、「不道徳」的極まりない曲です。アーチ・ブレイヤーにとっての、“健全なロック”とは、エヴァリー・ブラザースが唄うような曲(例えば「バード・ドッグ」とか「起きろよスージー」とか)であって、のち(60年代中期)にポップス界の主流となるブリティッシュ・ビートやフォーク・ロックやソウル・ミュージックなどの「反抗的」音楽は、邪道と考えていたのだと思います。

後に評価は逆転します。不良っぽい音楽こそロックなのだ、と。いわゆる「カウンター・カルチャー」とかいうやつです。リンク・レイは、ジミー・ヘンドリックスとかジミー・ペイジ(僕は彼らについては良く知らないのですが)とかいった、新時代の旗手たちから「教祖」的な存在に祭り上げられます。そして、アーチ・ブレイヤーの目指した「楽しい音楽」は、「つまらない取るに足らない存在」「お子様の文化」として、やがて忘れ去られてしまうのです。

単にケイデンスの問題(リンク・レイに対するアーチ・ブレイヤーの想い)、あるいは音楽全体の問題のみならず、世界の若者の価値観や文化的志向が一変してしまったわけです。

それはそれで、否定も肯定も出来ないでしょう。ただ確かなことは、「新しい文化」を受け入れることで、「古い文化」が否定されるようになってはいけない、という事です。

*書き終えているのはここまで。以下、書きかけの草稿が延々と続きます。その記述を整えていたら、それこそいつに成ったら完結するのか、わかったものじゃありません。(僕は彼らについては良く知らないのですが)おいうことで、書き終えている分を、全く手を加えずにアップしておくことにしました。

最後に、以前、あや子版の「狭間の世代24人衆+1組」の“補遺”として紹介した、レニー・ウエルクのインタビューの中から、彼の語ったアーチ・ブレイヤーの話を再録しておきます。

大好き! 素敵な、素敵な、素敵な男。彼は商売を知っている。私が彼に出会ったとき、彼は50歳代か60歳代だった。彼はオフィスに来る前にジムに通っていた(He used to go to the gym before he would come to the office)。彼はケイデンスレコードの社長で、アレンジャーであり、プロデューサーでもあった。彼は彼自身も含め、全てを取り仕切った。僕の場合、まるで子供のようだった。僕がまだ大きな旅をしたことが無かったときに、彼は僕を旅に連れ出してくれた。彼は(TVの)アーサー・ゴッドフリー・ショー(The Arthur Godfrey Show)のミュージカル・コンダクターだった。そのショーが終わり、彼がそこから去ったあと、自らのレコード会社“ケイデンス”を立ち上げた。彼は、コーデッツのメンバーの一人と結婚した。そして共に作成した“Mr. サンドマン"は、彼のレーベルでの大ヒットとなった。そして、ジュリアス・ラ・ローサとアンディ・ウイリアムスを配下に擁した。数多くのアンディの大ヒット曲は、彼と共に成された。そしてまた、エバリー・ブラザースを発掘した。彼らの大ヒット曲群もまた、彼と共に作成された。彼の元を去ってから後は、彼と共に成されたときのような、真の意味での大ヒット曲は持ち得ていない。彼はまた、ジョニー・ティロットソンを擁した。ジョニーと僕は、今素敵な友達だ。ジョニーもアーチ・ブレイヤーのことを、僕と同じように“世界一の男”と思っているだろう(Johnny thinks the world of Archie Bleyer and so do I)。



Johnny Tillotso , Fill Everly and Don Everly 1960年頃/Johnny Tillotson with Archie Bleyer 1962年/  Johnny Tillotson with Lenny Welch 2000 ‘s(右2枚はJohnny Tillotsonの旧Home pageより引用)



Cadenceレコード1962年度、CLP-3052からCLP-3059のラインアップ。僕にとっては、、、、奇跡の宝物、としか言いようがありません。

ジョニーと、僕の神さまである、ドイツのベルト・ケンプフェルトは、もちろん(音楽の性格やジャンルとかが全く異なるので)何の接点もないのだけれど、実はジョニーの初アルバムの「Johnny Tillotson’s Best」【CLP-3052】の次の【CLP-3053】が、ドイツの複数のアーティストをベルト・ケンプフェルトが紹介したアルバムなんですね(このアルバムに収録されたアーティストの曲は、今のところユーチュブで見つかりませんが、いつか是非聞いてみたいもの、と思っています)。

【CLP-3054】がアンディ・ウイリアムスのケイデンスに於ける最高傑作「Andy Williams’s Best」。【CLP-3056】がコーデッツの最後の大ヒット曲「日曜はダメよ」をフィチャーしたアルバムで、「さらば故郷」「ハイ・リ・リ・ハイ・ロー」「ケ・セラ・セラ」「トゥルー・ラブ」「」「夏の日の恋」と、選曲が、もう、、、。それを挟んだ【CLP-3055】【CLP-3057】に、ケイデンスの「アルバム・スター」ドン・シェリーの作品、前者は彼がプロデュースしたマーサ・フォロワースの唄、後者は彼自身のピアノによるヒット曲集。

【CLP-3058】がジョニー・ティロットソンの最高傑作であるポップ・カントリー・バラード集「涙ながらに」(ジョニーは、まあ言えば、下手くそなティーン・アイドルに過ぎないわけですけれど、このアルバムだけは、ファンとして自信を持って皆に勧められる素晴らしい作品です)。

そして【CLP-3059】が、2年前に別レーベルに移籍したエヴァリー・ブラザースの、(これも最高傑作と言ってよい)ケイデンスから2枚目にリリースされたアイルランド民謡集の(タイトルと曲順を変えた)再発売盤。、、、、これらのアルバムの並びを眺めているだけで、楽しい気分になってくるのです。









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