青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

楽しい中国旅行 2011年年末~2012年正月(断片)

2012-01-04 20:26:09 | 雑記 報告


謹賀新年

再開第一話が、しょぼい話になってしまいました(笑)。現在、いつものごとく“楽しく”中国旅行中であります。

昨年の10~12月は、日本に帰国、室内に閉じこもって、必死でプレゼンテーションの制作を行っていました。よく考えると、2003年に「山の花1200」(平凡社)を出版して以来、まともな仕事はしていないわけで(2008年暮刊行の岩波ジュニア新書「樹と水と岩の島・屋久島を歩く」は、突発的な受注で、千明さんとのあれやこれやで、実質的にはやった意味がほとんどなくなってしまった)、言い換えれば、その間仕事に結びつく営業もほとんどやってこなかった、と言うことです。

さすがに危機を感じていて、一発念起、(春の出版企画に向け)真面目にプレゼンテーションの制作に取り掛かろうとしたわけです。その間2か月半、外出は歩いてちょうど100歩(きちんと数えました=約45秒)のコンビニと、徒歩3分のマクドナルドに行くだけ。電車に乗るのも、風呂に入るのも、10日に一回あるかどうか、一日の睡眠時間は4時間、食事も一日一回(あるいは3食をマクドナルドの100円ハンバーガー)、まあ極限の生活です。

その甲斐あって、プレゼンの大要は纏め終えた(当ブログでも近く紹介予定)のですけれど、いかんせんタイミングが悪く、メディア各社が年末年始の休みに入ってしまいました。体調は最悪、前回の日本長期滞在時に、某医師から「あと2か月も持たないよ!」と宣告された時と同じ状況です。それもあって、年末年始、一時日本を脱出することにしたのです(年内いっぱいは、香港~成田の往復チケット復路分が使える)。

もっとも、今回もちゃんとしたスケジュールがあっての中国行です。本来の予定は、11月から1月にかけ、昨冬も沖縄の各地で調査を行ってきた、「ヘツカリンドウ」の調査の続き。屋久島・伊平屋島産と、奄美・沖縄産の関係考察をまとめあげるには、未調査の地域の実態把握が不可欠です。台湾、沖縄県八重山、鹿児島県十島村&三島村が、今回の探索地域。まず中国南部でもう一つの「麦菜」関係の要件を済ませ、修理に出してあるカメラを引き取って、台湾→沖縄→鹿児島を回る。そのような計画に沿って12月20日の夜、満を持して出発したのですが、、、、しかるに、今回もまた、“楽しい”出来事が続出、窮地に陥ってしまっています。

まず、到着翌日の21日。インターネットが使えなくなってしまった。マイクロソフトに問い合わせたところ、詳細は略しますが、いわゆるコンピューターウイルスに感染したらしく、全面的な変更作業が必要とのこと。3日がかりで電話でやり取りをし、やっとのことで、リカバリーがなりました。しかし、本来の予定では、その間、出発直前に開かれた旅行関係の会合で知り合った日本の若者たちと、資金援助の交渉をメールでやり取りするはずだったのが、全てパーに。

なおかつ、電話代の支払い。目の前でパソコン操作をおこないつつ電話でのやり取りをせねばならず、携帯電話を持っていない僕ゆえ、ユースホテルフロントの馬鹿高い(一分間250円)携帯電話を連日何時間も使ったため、通話料金の総額が5万円!

やっとのことで、回復(その後も様々なトラブルの勃発が続いていますが、現時点では珍しく正常な状態にあります)、24日に広東省境近くの広西壮族自治区南端の都市・梧州に移って、「麦菜」関係の要件を済まし、あとは香港キャノンに修理に出していたカメラを回収した後、台湾に移る予定だったのです。

しかし、支援要請交渉が出来なくなってしまったこと(予定していた入金なし)と、多大な電話代の支払い(予測していなかった高額出費)で、カメラの受け取りも、台湾への渡航も、難しくなってしまったのです。いずれにせよ、この正月前後の期間は日本では祭日となるので、腹をくくって正月明けまで中国に滞在し、仕事はじめに交渉を開始しようと考えたのです。

今回は、香港地域からあまり離れた地域には出向かぬことにして、インターネットが最もスムーズに使える梧州(香港から半日の行程)の常宿に滞在して正月休みをやり過ごすつもりだったのだけれど、梧州から桂林までは3時間半、どうせならば久し振りに(と言っても9月にも会っているけれど)スーリンと会ってこようと(それと宿泊費の問題や日本への電話利用の問題もあって)26日の夜桂林に移動、27日、28日と桂林に滞在し、29日を含めた3日間、マクドナルドでスーリンと一緒に昼食と相成りました。

スーリンは、今月35才になります。“羊水が腐るから云々”で、常々“35歳までに結婚して子供を産まねば”と言っていたのだけれど、未だ見通しが全くついていないようです。

“結婚よりも社長になるのが夢”というスーリンですから、朝4時から10時まで仕事、午後もフルに仕事、ということで、とてもそんな余裕はない、と言うのが言い分ではあります。加えて、未だ未婚の理由の一つは、どうやら僕との“解消した婚約の復活”というのも、視野にあるからなのかも知れません。

今回知らされた新たな情報によると、年齢差を第一の理由に断固反対していた母堂が、最近になって「54才と25才だった10年前と、64才と35才の現在では、同じ年齢差ではあっても、実質上の意味合いが違う」と、柔軟な姿勢になってきているというのです。ただし、2005年以来ほとんど全く僕に収入がないことは先方も良く知っていて、それを考えると、現実問題としては、まだまだハードルが高い、と言うことなのでしょう(他人事のように言ってて良いのでしょうか?)。

ところで、あや子さんは、第三者の名をブログに出すときは、イニシャルなり伏字にするべき、という意見なのですが、僕が思うに、スーリンやテンテン(彼女のシリーズも追々紹介予定)、友子さんに千明さん、それにジン君やなっちゃんらに関しては、伏字にしたりイニシャルにしたりすることの方が、むしろ不自然で相手の尊厳を損なうことになるのではないかと(僕だったら伏字やイニシャルにされるのは絶対に嫌!)。

中国の人に対しては、当局の検閲で何らかの理不尽な問題に関わってしまうというような心配が絶対ないとは言えないので、前回は伏字にすることを了解したのですが、カタカナ表記だと何ら問題はないはず。よって、上記した各人については、普段の呼称で通したいのです。それに、彼ら彼女らに対しては、誹謗中傷をするのではなく、愛情籠った内容の記述を行う(ただし千明さんを除く、笑)わけですから、伏字などにするのはかえっておかしいと思います(千明さん以外の誹謗対象者の場合は、伏字なりイニシャルにします)。

話を戻しましょう。桂林からふたたび梧州経由で、センツェンに戻ってきました。

僕はよくよく運が悪い人間なのです。しばしば(理不尽に)パソコンが動かなくなってしまうこともその一つなのですが、生活の中でのごく些細な部分で、あまりに悪運が付きまとうのです。

ものを探すと、その対象物が必ずや出てこない。比喩で“必ず”と言っているのではなく、本当に必ず出てこないのです。今回も、別の地に移動するたびに、泊まるホテルや訪ねる人の連絡先を記した名刺やメモが見つからなってしまうという状況の繰り返し。次に必要なものをすぐに見つけ出せるようにと、確実で分かりやすい場所に移動させるのですが、どうしたことか、そのように準備した時に限って(最近はいつもきちんと準備しておくように心がけている)、必ず(“度々”とかではなく、100%必ず!)出てこないのです。

その都度必死になって、前に入れてあった場所や、有りそうもない場所までも繰り返し探すのだけれど、どうしたわけか断じて出てこない。毎回、その時々に必要な名刺やメモ、それに筆記用具なども、出てこなくなると困るからと思って、万全に選り分けて、すぐ取り出せるように然るべき場所に移しておいても、いざ必要な時になると(ついさっきまで目にしていたものが)まるで神隠しにあったように消え去ってしまうのです。だから最近は、「いくらなんでも今度こそそのようなことは起こらないだろう、もしまた起こったなら、もう笑ってしまうしかない」と、気持ちに余裕を持って取り出そうとするのだけれど、やっぱり出てこない!

連日、同じことが続くのです。もう、必要な時に必要なものは、どんなに慎重に準備をしていても、絶対に出てこないものだ、と諦めの境地に達しています。僕の不注意によるものではなく、ただただ運が悪いとしか言いようがないのです(その極たる例がくつ下で、例えば20足を取り出したとしても、左右ペアになったのは一組も入っていない、、、毎回そうなのです)。

さて、29日。桂林~梧州のバスチケット、3時間半で126元。スーリンからはいつもうるさく「切符は前もって買って置け!お前はいつもぎりぎりになって慌てるのだから、、、」と命令されます。で、今回も先にチケットを購入してから、マクドナルドで一緒に昼食。「ポケットのどこそこに入れてはいけません、零れ落ちたり盗まれたりする危険性がある」と事細かく指示されます。僕は子供か!と思うのですが、スーリンによると“紛いなき子供”なんだそうな。

で、スーリンと別れ、バスに乗ろうとしたら、切符がない! マクドナルドで食べ残したものと一緒に捨ててしまったのか、スーリンの言いつけに反してジャンパーのポケットに入れていたのが零れ落ちてしまったのか、、、、。改めて買い直す羽目になってしまいました。

梧州で一泊、翌30日、センツェンに向かいます。バスの出発前に銀行に行きATMでお金を引き出しておこうと。ところが、お金が出てこない。そんなバカなと行員に質したら、ATMの中にお金が入っていない、よってキャッシュカードでの引出は不可であると。このようなATMのトラブルは、カードが吸い込まれて翌日まで取り出せなくなるとか、偽札が出てくるとか、数多の理不尽な現象共々(さすが後者は最近は滅多にないと思う)しょっちゅう起こることなのです。

で、別の銀行のATMに誘導されました。800元(一万円余)を引き出そうとしたら、出てきた金額は500元。もちろんクレームをつけます。しかし、「マシーントラブルで銀行業務の責任範囲ではない、ATMを製作した企業にクレームをつけてくれ」と、取り合ってくれません。バスの時間に間に合わないこともあって、泣く泣く引き下がりました。

実は、300元の損失だけでは済まなかったのです。このあとセンッエン到着後、心配になって預金額を確かめたら、300元の損失どころか、有るはずの残金がほとんどない!! 約2万円、1600元分が消えてしまっているのです。そんな馬鹿な!というわけで、原因をいろいろと考えてみました。どうやら、お金が入っていないカラのATMで800元を二回引き出そうとした時、それが引き出されたことになってしまっているようなのです。以前フィリッピンでも同じようなことがあったのですが、中国ではATMのカラ利用は度々起こっても、実際に減ってしまったのは初めて。フィリッピンの時は即手続きをして帰国後に戻ってきたので、今回も最悪の事態は避けられるのかも知れませんが、、、(ただし正月休みで連絡が付かない)。 

800元引き出して500元しか出てこなかったATMと、1600元が消えてしまった(?)ATMは別の場所なわけですから、続けざまに別個に災難にあったわけです。なんて運が悪いのでしょうか!

ただし、500元しか出てこなかったATMのあるビルというのは、前日梧州に到着後、ビルの上方から、歩いていた僕の鼻先10㎝ほどのところに、レンガの塊が落下してきた、まさにそのビルです。あと10㎝(コンマ1秒)ずれていれば、頭を直撃して即死だったでしょう。それを考えれば、、、、なんと運が良いのか、とも言えなくは有りません(僕の乗っていた飛行機が翌日墜落するとか、乗り損ねたバスが谷底に転落するとか、、、そのような事例は枚挙にいとまない)。

そんなわけで、この正月三が日、一文無し(宿泊費のみ確保)で、ホテルの室内に籠っています。時間もたっぷりあるので、久しぶりにブログの更新を、と言う次第なのです。





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