フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

麓では白梅が満開

2011-03-21 | 日記

昨夜からやや強い雨が降り出した。外気温は8度と非常に暖かい。室温15度、湿度25%。
今日は春分の日、まさに「暑さ寒さも彼岸まで」だ。

朝食を食べながらテレビを見る。80歳の女性とお孫さんの16歳の男子高校生の9日ぶりの救出が報じられている。奇跡としか思えない嬉しい報道だ。がれきの下のわずかなすきまで冷蔵庫にあるヨーグルトを飲んで飢えを凌いでいたという。
一方、福島、茨城、栃木、群馬県産にホウレンソウ、福島さん原乳から規制値を超える放射性物質が検出され、出荷停止となた。いずれも「人体に影響は無い」とのことだが、今後の推移を見守る必要がある。

家を片づけ荷物を車に運び込む。計画停電は今日の午前のグループは中止となったが、今日夕方に予定している第3グループはまだ発表されていない。野鳥の餌台にヒマワリの種を補充しておく。

地元のAさんに、「畑を整理しました。お世話になりました今日大阪に帰りますと」と挨拶する。「それじゃ、耕運機かけておいてやらあ」と言ってくれてうれしい。種苗家のKさんとペンション「銀の森」さんに声をかける。「寂しくなる」と言われて、少しつらくなる。

11時からフルートレッスン教室へ行く。今日は妻も一緒だ。18課の変え指練習NO3は、シンコペーションをリズム感を持って演奏するよう指導を受ける。合わせてNO4もやるが、これもテンポとリズムがなかなか難しい。練習を終えて、奥さんと子供さんに会う。昨年10月に生まれたお子さんが、すくすく元気に育っているのがほほえましい。

先生の家の前の白梅が満開になっていた。北杜市にもようやく春が訪れようとしてる。

途中、図書館に借りていた本を返し、長坂ICから高速に乗る。昼食は八ヶ岳SAで食べる。午後からは雨がやんだので運転は楽だ。車中で、先日頂いた「吉田正」のCDをかけると、「異国の丘」が流れてきた。

♪ 友よ辛かろ 切なかろ 我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る 春が来る ♪

避難生活を強いられている人たちのことを思う。

恵那峡SAに立ち寄ると、少し少ない感じだが、3連休なので結構客が来ていた。

6時過ぎ大阪に帰る。パチンコ店や飲食店の灯りがともり、全く何事も無いかの様な町の様子だ。


2011農作業の準備

2011-03-20 | 

今日の空は曇っている。外気温マイナス3度、室温12度、湿度20%。
朝起きて、モーツァルトのバイオリンソナタK378、K379、K380のCDを流しながら、テレビのスイッチ入れる。
昨夜は福島第1原発3号機への東京消防庁の注水活動があったが、今度は格納器の温度が上がっているとの話だ。
次々と問題が持ちあがってくるものだ。
ウィーンフィルが今回の被災を受けて、モーツァルトのピアノ協奏曲を演奏し、演奏終了後黙祷したと報じられていた。
庭ではクロッカスが黄色に続き、紫色が咲き始めた。

テレビの「日曜美術館」では中川一政特集をやっていた。97歳の時に書いた「正念場」という書が素晴らし迫力だ。
本人は「人間には完成というものはない。一つの山を越せばさらに大きな山がある」と語たったとのこと。しかし、その年に97歳の生涯を閉じた。

食後、畑に出て今シーズンの農作業の準備をする。使い終えたマルチを剥がし、支え棒を抜き、ヒマワリなどの丈の高いものを抜く。その後、アスパラガス、ルバーブ、ルピナスの苗を移植する。地元のAさんが耕運機をかけてくれるので、そのままおいておことができないからだ。ルピナスの苗は、ゴボウのように地中深く入っていて、なかなか抜けない。仕方がないので、途中で切ることにする。それらの苗を畑の端を掘り、そこに移植した。

午後は、付き合いのある方の別荘の様子を見に行く。今回の地震で家が影響を受けていないか心配だが、事情でこちらにこれない。いつでもいいから様子を見に言っていただけないかと頼まれていたもの。2件の別荘に行ったが、いずれも全く問題がなかった。そのことをメール連絡すると良かったと安心していた。帰りに、大泉のパノラマ温泉の横を通ると、沢山の車が止まっていた。地震があったが、3連休ということでこちらに来ている人が多いのだ。

3月5日にこちらに来てから、KITAHOさんに助けられて、ブルーベリーを植えている庭の樹木を伐採し、今シーズンに向けた畑の準備をした。明日予定していた音楽愛好家の勉強会が残念だが中止となってしまって、さしあたって急を要する仕事が終わってしまった。

3月26日に帰阪する予定だったが、子どもたちも心配し、おばあちゃんの介護、父親の墓参りもあるので、明日大阪へ帰ることにする。
次来る時は春たけなわの頃となるであろうが、一日も早い被災地の復興、福島原発事故処理の成功などを祈らざるを得ない。


八ヶ岳情報交換会

2011-03-19 | 人々との交流

今日はうっすらと曇っているが晴れている。
外気温マイナス2度、室温10度、湿度21%。

その後空が晴れてきて、いい天気になった。気温もぐんぐん上がってきた。
今日9時20分から予定されていた計画停電は、電力需給から、中止となったのはうれしい。

昼から、八ヶ岳に移り住んだり、別荘のある4家族8人が集まり、「八ヶ岳情報交換会」を行った。

青葉さん夫婦は11日の地震の時、スーパーに行っていた。ご主人が駐車場に出ていて青葉さんは車の中だ。車がやけに揺れるので、車が故障したのかなと驚いたとのこと。富士見の自宅は全く問題がなかった。長野県なので計画停電をやっていないがいい。

大阪を朝5時に発ってこちらにやってきたYAMAさん。こちらに来るまでの道路は全く問題がなかったとのこと。
お聞きすると、奥さんが14日(月)こちらに来られていて、お一人で静岡地震や計画停電を体験されたとのことだ。なかなかの精神力だ。
家には全く被害がなかった。

サンライスさんは、金曜の18日(金)の夜遅く大阪を発ってこちらに来られたが、家は全く被害はなかったとのこと。
阪神淡路大震災を経験した時のことを、色々話してくれた。

その後はよもやま話だ。私がフルートの下手な練習を「やり過ぎて」指が腱鞘炎になっているというと、YAMAさんも
ゴルフで腱鞘炎になり、痛いときは掌に注射を打ったとのこと、この注射も痛いらしい。

薪ストーブや薪の確保の煙突掃除の話など盛り上がった。その後、YAMAさんご夫婦と青葉さんに庭をご案内した。
YAMAさんの奥さんが、巨大な蛾クスサンの繭に関心を寄せていたのに驚いた。皆さん、車のガソリンは補給しているとのことだった。

都会から八ヶ岳に移り住んだり、別荘で暮らしている私たちは、ともすれば孤立してしまい、情報が偏ってしまうが
こうして、皆さんに来ていただいて、あれこれの情報を交換し、話をしていると心が明るくなってくるのがいい。

夜は、青葉さんから頂いた「吉田正作品集」のCDをかけ、懐かしい歌を聴きながら夕食をとった。

 


人々との交流

2011-03-18 | 人々との交流

今日は空は雲ひとつなく晴れ渡っている。
外気温は、なんとマイナス14度まで冷え込んだ。室温8度、湿度20%。
テレビでライフラインが断たれた被災地の厳しい冷え込が報道されていて胸が痛む。

庭は霜で真っ白だ。南アルプスは美しく輝き、赤岳では雲が舞いあがっている。美しい山々の姿が心に滲みる。

午前中、近くの貸別荘「野分け」さんのところへ行く。オーナーは非常に明るい人柄の人で、快く迎えてくれた。
「野分け」の庭は、春になると美しいバラやクレマチスで覆われる。日本ガーデニングコンテストで銅賞を受賞されたそうで、オーナー夫人の熱心なガーデニングの努力の結果だ。

ここの水は大変美味しいと評判なので今日も貰うことにした。オーナーさんの話では、ガソリン、灯油は確保されているが、お客さんは、計画停電があるので、「野分け」さんのほうからキャンセルしているとのこと。東京にいる息子さんから物資が不足しているとの連絡がある。同時に、企業活動がストップしているので、派遣職員の仕事がなくなって、派遣切りが始まっているとのことだ。

11時過ぎ、「野分け」を出る。途中の道からは南アルプスの全貌を見ることができた。春の様な陽気、真っ青な青空を背景に堂々たたずんでいる。

午後は、計画停電中に入ったが、ペンション「銀の森」のオーナー夫妻がやってきてくれた。計画停電があるので、この3連休中のお客さんは、全てペンションからキャンセルしたとのこと。ペンション経営が厳しくなってきている。ガソリンは安定して供給されているとのことだった。
「野分け」さんといい「銀の森」さんといい、会って話をし状況や情報を交換することができるのがありがたい。

「銀の森」さんが帰ってからは、昨日に引き続き、森へ出てたきぎ拾ろいを行った。二日分ほど確保する。

今日で東北関東大震災後1週間が過ぎた。停電が終わったのでテレビのスイッチを入れると、被災地の小学校の卒業式がおこなわれていた。子どもたちの顔をみるにつけ一日も早い回復を祈りたい。


意外と近い長野県のスーパー

2011-03-17 | 日記

今日は晴れているが冷え込みが非常に厳しい。南アルプス、赤岳は見えない。
外気温マイナス12度、室温8度、湿度20%。

庭にアオジあるいはノジコと思われる野鳥が群れてやって来た。庭の地面からしきりに何かをつついている。ほほえましい光景だ。

午後、昨日ペンション銀の森さんに聞いた川上村のスーパー「ナナーズ」に行くことにする。いつも使っているガソリンスタンドに寄る。1台2000円までということだが、それまでかからなかった。特に車が並んでいるということもなかった。灯油はあるので、これ以上買うことはないが、尋ねてみると一人一缶としていますということだ。ガソリン・石油が足りないという気配は全くなかった。
清里郵便局に寄り、夫婦各々で、僅かばかりだが「東北関東大地震義捐金」を送金した。送金料は無料だ。

R141を北上し、野辺山を右折してしばらくレタス畑を走ると、川上村に着いた。スーパー「ナナーズ」はこのあたりに展開している店らしい。清里からは30分ほどで意外と近い。

店内はかなり広かった。ここも、米はほとんど無くなっていたが食料品は沢山ある。土地柄、レタスやホウレンソウは99円と安い。握り寿司も並んでいて食欲をかきたてられたので買うことにする。ティッシュペーパーは沢山あった。

乾電池は単3、単4があったので、懐中電気用の単3乾電池を買う。カセットボンベは一人1パックまでだが、売られていた。新潟県の地酒「たかの井」というのが酒コーナーに麗々しくおかれていたので、買うことにする。レジの女性に長野県は計画停電がないのでいいですねと言うと、「助かっています。」との返事が返ってきた。

今日は15時20分から計画停電だ。15時30分過ぎに清里の交差点を通過した時は、信号が点灯していたが、15時40分頃に家に着いた時には
停電していた。外は寒いが、たきぎ拾ろいを行う。森の中を何度か登り降りし、たきぎを運ぶと身体が暖まってきた。拾ってきたたきぎをチェーンソーで切ったり、手足で折ったりする。

それが終わったので周辺を歩るくことにする。地元の婦人が犬を散歩させに来たので、「どうですか」と声をかけると計画停電が大変ですね、との返事。私ところは電磁調理器で煮たきができないので大変だというと、「がんばりましょうね」との返事が返ってきた。こうしたささいなやり取りが意外と大事なのだ。

室内に戻り、夕食の準備をしていると室内は暗くなってきた。外を見ると夕焼けの残照が美しい。

薪ストーブでビーフシチューや鍋を炊き、お湯を沸かしておく。18時30分過ぎに灯りが点ったので夕食を食べることにする。今日は握り寿司と、変な組み合わせだが、醤油ラーメン鍋を食べた。