功夫電影専科

功夫映画や海外のマーシャルアーツ映画などの感想を徒然と… (当blogはリンクフリーです)

『猛虎下山』

2015-10-10 23:09:14 | 倉田保昭
猛虎下山
英題:Rage of the Wind/Fists of Death/The Ninja Warlord
製作:1973年

▼1972年――香港で鮮烈な銀幕デビューを飾った倉田保昭は、独立プロの雄・呉思遠(ウン・スーユエン)から出演依頼を打診されますが、諸事情により断ってしまいます。
この作品はのちに『蕩寇灘』として完成し、その年のベスト10に入る大ヒットを記録。倉田はチャンスを逃す形となるも、再び呉思遠から熱烈なオファーを受けたため、無事にコラボを果たすことができました。
 こうして監督・呉思遠、悪役・倉田、そして主人公・陳星(チェン・シン)のトリオで製作された『餓虎狂龍』も大ヒットし、当然のように新作の企画が立ち上がります。
それがこの『猛虎下山』であり、武術指導も引き続き梁小龍(ブルース・リャン)が務めていく事になるのですが…。

■第二次大戦下(1932年)の中国では、日本軍との衝突で上海事変が勃発。その影響は小さな港町にも波及し、倉田をボスとした日本人グループが我が物顔で歩き回っていた。
地元民の黄元申・韓國材らはその状況を憂うが、そこにアメリカでボクサーとして活躍していた陳星が、妻の黎愛蓮を伴って帰国してきた。誰も歯が立たなかった日本人に一泡吹かせた陳星は、たちまち町のヒーローとなる。
 その後も何かと悪事を働く倉田たちに対し、陳星は持ち前の度胸と腕っぷしで立ち向かっていく。そんな中、黄元申が日本人グループの1人を仕留めてしまった事で、報復により町人が連れ去られる事件が発生した。
ついには黄元申と黎愛蓮も誘拐され、世話になっていた黄元申の父・[赤β]履仁(『燃えよドラゴン』では李小龍の父親役)も殺されてしまう。激怒した陳星は、最後の戦いを倉田たちに仕掛ける!

▲本作は充実したスタッフとキャストを動員し、見事にヒットを飛ばしたそうです。しかし残念ながら年間興収6位の『蕩寇灘』、同じく8位の『餓虎狂龍』に匹敵する成績は残せませんでした。
理由は『餓虎狂龍』からの大幅なペースダウンにあります。前作は抗日要素を超えた男同士の戦いを描いていましたが、今回は単なる抗日功夫片の枠に留まっており、ストーリーは大幅に簡略化…カタルシスはそれほど得られません。
 また、アクションの密度もやや低下していて、恒例のマラソン・バトルが無い(!)という大きな問題を抱えています。代わりに日本人たち(染野行雄・李家鼎など)との連戦があるものの、マラソン・バトルの迫力には及ばないと言えるでしょう。
とはいえ、最後の陳星VS倉田はやはりクオリティが高く、実力者同士によるファイトシーンは見応え十分! 波打ち際での戦いはザコ戦を経て、殴り合い→棍とヌンチャクの激突→再び殴り合いへと切り替わり、激しい死闘が続きます。
 途中で韓國材が死ぬシーンは明らかに蛇足ですが、マラソン・バトルとは関係のない戦いとして見れば、本作はなかなかのマッチメイクだったのではないでしょうか。
その後、呉思遠はマラソン・バトルの必要性を見直したのか、梁小龍の『必殺ドラゴン 鉄の爪』で再び起用。公開延期というアクシデントに見舞われるも、功夫映画史に残る名勝負を生み出していく事になりますが、それについてはまた別の機会にて。

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