世の中になぜ暴力があるのだろうか。それは暴力で人を従わせることができるという考えがあるからだ。たしかに、人は脅しに弱いところがある。それでも、脅かされていると思いたくなくて、従う理由を求める。理由にならない理由でも、無理して受け入れる。
いま、社会はどのような状況なのだろうか。暴力がなくて平和が保たれているのだろうか。それでも、暴力の存在に目をつぶって、従う理由を信じて、逆らわないだけであろうか。
いじめや家庭内暴力は厳然とある。それらは例外なのか。生活に困窮して死ぬ人がいるのは、何かの手違いなのか。
日本には、政党として、日本維新の会があり、かたや、れいわ新撰組がある。名前だけを聞くと、まるで、喜劇のようである。みんな、政治をお芝居かのように思いたいのだろうか。
いろいろな政党があり、それらが選挙に参加すること自体は、暴力でものごとを決めることが肯定されないために、良いことである。
しかし、90年前に、ナチスが国政選挙に参加し、形式的には、合法的に独裁制をしいた。その裏には暴力が使われていた。
ドイツだけでなく、そのころ、日本でも、帝国議会と憲法があったにもかかわらず、暴力が社会に横行していた。昭和維新と改革が叫ばれていた時代である。そのなかで議会は自ら議論することを放棄し、政権の翼賛機構となることを選んだ。
ナチスのドイツは1939年に開戦をフランス・イギリスに告げ、第2次世界大戦がはじまった。大日本帝国は1941年に開戦をアメリカに告げ、太平洋戦争がはじまった。ドイツも日本も、その開戦を告げる数年前に、日本は10年ほど前に、周りの国々に軍事進攻をして、他国の人びとを従わせようとしていた。
戦争は、暴力の最大の形態である。すべての人に暴力を振るうだけでなく、すべての人を暴力に参加させようとする。
現在、目に見える暴力が機動隊によって振るわれるのは、沖縄だけである。沖縄以外では、政府と国民の間に意見の相違がないのだろうか。暴力がなくても、従うようになっているのだろうか。
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日本維新の会の選挙公約に、「解雇ルールを明確化するなど規制改革で労働市場の流動化・活性化も促す」がある。解雇は雇う者の暴力ではないか。「労働市場」というが、雇われて働く者は、商品なのか、人間でないのか。
同じく選挙公約に「世界平和に責任が果たせる国に向け、防衛費のGDP1%枠を撤廃し、テロやサイバー・宇宙空間への防衛体制を強化する」という。防衛力は強化するということは、暴力を振るいたいということではないか。どうして、それが世界平和に責任を果たすのだろうか。また、その分だけ、社会保障費を圧迫しないのか。
また、公約の「廃炉技術の伝承と使用済み核燃料の有毒性低減のため、小型高速炉など次世代の原子炉の研究開発を強化・継続」も意味不明である。「高速炉」は原子炉を稼働してできたプルトニウムをもう一度燃やす炉のことである。プルトニウムに高速の中性子をぶつけないと燃えないから「高速炉」というのである。「廃炉技術」とは何の関係もない。プルトニウムは再処理して取り出さないかぎり、長い時間をかけて自然崩壊するので、放射性物質としての危険性は低い。危険のある原子炉の再稼働をおし進めるのも暴力である。
公約の「憲法改正に正面から挑み」もびっくりする。天皇制の廃止ではなく、「教育の無償化と統治機構改革」である。教育の無償化は憲法の問題ではなく、行政上の問題である。現在、私立高校、私立大学にも政府が援助している。問題は、政府がお金を出すことで、ひきかえに、教育の自由を奪っていることである。政府は、ひきかえに、政権の考え方を子どもや若者に教育することを、教師に強要しているのである。
日本維新の会のいう「統治機構の改革」とは何なのか。憲法を変えてまで「統治機構の改革」とな何なのか。政治の効率化とは、話し合いを否定することになる。それは暴力につながらないのか。民主主義の否定とならないのか。
日本に、政党として、日本維新の会とれいわ新撰組があるのは、みんなが、政治に「お笑い」を求めてか、それとも、政治に「熱狂」を求めてか、どちらだろう。「お笑い」ならば良いのだが、「熱狂」なら、明示的暴力の時代の訪れのサインである。人はそれをファシズムと呼ぶ。
[補遺]
日本維新の会のサイトで調べると、「統治機構の改革」はつぎのことをいうようだ。
《憲法を改正し、首相公選制、一院制(衆参統合)、憲法裁判所を実現する。地方課題については地方自治体が国家の意思決定に関与できる新しい仕組みを創設する。》
憲法裁判所なくても、憲法を変えなくても、裁判所が、法令が憲法に沿っているかどうか、判断できる。単に現行の裁判所が判断にビビッているだけで、日本が米軍の占領下にあったとき、アメリカとの関係に及ぶことは、高度に政治的判断として裁判所が避けたことが、現在、慣習として固定化しているだけである。
問題は、「首相公選制」、「一院制」、「地方課題については地方自治体が国家の意思決定に関与できる仕組み」である。どうも統治の効率化を狙って、政府権力の強化を狙っているようだが、それは国民への抑圧を招くようになる。
また、国会が国民の代表として機能していれば、「地方自治体が国家の意思決定に関与できる仕組み」など必要ないはずである。地方自治体の問題は、住民へのサービスを国の代わりに行なっているのに、その財源を国が支給する交付金の原則が明確化されておらず、政権の思惑で支給額が左右されることにある。公平な支給額のルールを国会で議論し、決めることが大事で、憲法改正を行うというのは、安易すぎる。
日本維新の会は、何か自民党にご機嫌伺いをしているのではないか。
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