猫じじいのブログ

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知的レベルが低いのは小泉進次郎だけではない、メディアはもっと低い

2024-09-08 23:12:09 | 政治時評

(John Kenneth Galbraith)

9月8日現在、自民党総裁選の告示がまだないのに、メディアは小泉進次郎を有力総裁候補として大々的に取り扱っている。2日前に進次郎を知的レベルが低いと質問した記者がいたが、メディアの非知性的な風潮への反抗のつもりだったのだろうか。とにかく、メディアが総裁選を劇場型に煽るのは、やめにして欲しい。ジャーナリストが政治に知性的な視点を失っては、その使命を果たしたことにならない。

進次郎が総裁選出馬会見で規制緩和を訴えていたが、規制を緩和したからといって、経済が好況になるわけではない。規制があるのは、富裕層の経済的自由のために、貧困で不自由な生活を強いられる人々を救うためにある。したがって、規制緩和が社会正義であるかのような誤解は正さないといけない。

J. ガルブレイスは、1957年出版の『ゆたかな社会(The Affluent Society)』で、歴史的な視点から、経済的自由主義や資本主義社会が生んだ好況と不況の波を論じている。経済的自由主義とは、経済的活動に規制をかけてはいけない、という考えだが、はじめは、君主からの規制を想定していた。それがいかなる政治的規制をかけてはいけないという考えになったのは、「社会進化論」の学説の影響である、とガルブレイスは言う。

ガルブレイスによれば、経済学の主流は、経済には自立的な法則がある、たとえば、資本の蓄積とともに、労働者の賃金は低下していく、といったことを明らかにすることだった。ところが、「社会進化論」はそこに価値観をもってくる。

「経済社会は人々の競走場裡である。戦いの条件は市場によって決められている。勝利者の報酬は生き残ることであり、立派に生き残ればさらに富という報酬が与えられる。これに反して敗北者は獅子の餌食になる」「弱者を淘汰することによって弱者が再生産されない」「無慈悲であればあるほど、弱者がより淘汰されるので、その効果もいっそう慈悲深い」

19世紀のハーバート・スペンサーはこう主張して、チャールズ・ダーウィンにさきだって「適者生存」という言葉を使った。

好況・不況の波は19世紀から起きていたが、その不況がどんどんひどくなって、1928年の大恐慌のときに、政治が経済活動に介入することを、全世界的に社会が受け入れた。岸田政権が「新資本主義」という言葉を使う90年前のことである。

このときの政治による経済活動への介入は、単に政府が公共事業に財政支出するだけでなく、アメリカは金融業にも規制を行った。株価操作を防ぐため、銀行業と証券業とは同一の法人が経営してはならないなどである。1928年の大恐慌は株価暴騰の後の株価暴落で始まった。

新自由主義とは、この90年前に始まった規制の撤廃を唱えることを指す。この逆行の背景には、ケインズ型の財政支出による景気対策が効果を発揮しなくなったことや、貧困層のために国が出費することの富裕層の不満がある。じっさい、スペンサーは公的教育制度にも反対していた。

菅義偉や岸文雄は自民党総裁選で新自由主義を批判した。その菅が、今回、規制緩和を唱える小泉進次郎の推薦人になっている。菅の「新自由主義批判」はウソだったのだろう。



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