日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 アジアカップ、対バーレーン戦の劇的勝利で盛り上がりたいところですが、もうひとつ、やはり某巨大掲示板の某スレで昨日の内容に引き続き問いかけられたときのレスを以下に書いておきます。

 御親戚が外国にしばらく居住していたら、思想が左から右に変わったらしいという方がいまして、その方に「ネットも含めて見聞が広まると、今までの日本の姿勢がおかしく見えるのでしょうか」との御質問を頂きました。

 以下は私のレス(やや加筆)です。

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 これは滞在国にもよりますし、それまで持っていた考え方にもよりますから、一概には言えないのではないでしょうか。

 ただ、置かれた環境(仕事とか生活面で)が日本人=少数派であればあるほど、自分が日本人であることを強く意識したり、日本についてあれこれ考えたりするようになるのは自然なことだと思います。

 その過程で、みえてくるものが色々あるでしょうし、日本はこんなんでいいのか、と考えることもあるでしょう。

 私個人の体験でいうと、例えば某地でたまたま出くわした反日運動のレベルの低さ(無論民度の低さに起因する訳ですが)とか、それが実は反日の名を借りた市民のうさ晴らしにすぎなかったとか、骨董品屋に並んでいる旧日本軍の軍票の値段が、対日訴訟のたびに値上がりするのを見て、なるほどねえと思ったりしました。

 こんな連中の相手を御丁寧にしていたら、こりゃ大変だと。

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 ――以上、ちゃんとした回答になっていません。私の頭の悪さを露呈しているようなレスです。

 ちなみに個人的に体験した「反日運動」とは、1996年の香港での「保釣運動」(尖閣諸島奪回運動)です。実に民度の低い運動でして、日系デパートの中まで入ってきてシュプレヒコールを叫ぶのです。あと日本人学校の門前で気勢を上げたり。

 でも結局のところ、この運動の本質は翌年に控えた香港の中国返還への不安を紛らわすためのもので、本気で尖閣云々を考えていた人は少なく、ストレス発散が主目的でした。

 が、運動自体は熱を帯びていましたから、そう指摘するコラムニストは新聞に叩かれたり、コラム連載を打ち切られたりと、香港では珍しい自発的な言論弾圧が起こったりしました。あと軍票云々も香港でのことです。

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 もともと香港は興味の対象ではなく、たまたま仕事でいただけということもあって、私はこれを機にはっきりと香港が嫌いになりました(特に言論弾圧)。

 あと香港人の民度というものを再認識させてもらえたのは良かったと思います。他の業界は知りませんが、私の仕事の分野においては、日本と香港の実力差というのはレアルと日本のユースか、あるいはそれ以上の開きがあります。その実力差がどこから来るか、というのがこれでよくわかりました。

 ただ香港人のために弁護しておくと、それでも香港人は中国大陸の連中に比べればはるかにマシで、日本や欧米からみれば野蛮に見えるところがあっても、一応受け入れられるレベルだと思います。

 香港人と大陸の中国人の民度の差というのは、人間と猿ほど違うとはもちろん言いませんが、社会の成熟度としては30~50年の開きがあるように思います。香港人が大陸中国人をどこか見下すというか馬鹿にする気持ちは、もちろん、私にはとてもよくわかります(とはいえこれは一般論として、です。私には香港にも中国にも、愛すべき知己がたくさんいます)。

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 ちなみに当時の運動の中心だった連中は尖閣諸島に船を出しましたが、その顔ぶれはどんな問題でも騒ぐ活動家たちで、どこまで本気だったか、実際は選挙向けの宣伝目当てだったんじゃないかと思います。

 それでも中には真面目に取り組んでいた人がいて、しかしながら脳味噌が致命的に足りなかったのでしょう、尖閣諸島の近くまで来たとき、あとは泳ごうとしたんです。荒れた海で船長以下皆が止めるのを振り切って、命綱をつけて海に飛び込みました。名前は陳某だった筈です。彼もそれまでに選挙で幾度か落選していたことを付記しておきます。

 さてその陳某、飛び込んでから海の荒れ方が尋常じゃないとようやく気づき、慌てて引き上げてもらおうとしたのですが、ロープが首に巻き付いたのか、溺れたのか、とにかく御陀仏です。中国の反日分子には今でも英雄扱いされてていますが、運動に命を捧げたというより中学生並みの判断すらできなかった阿呆というのが実情です。いや本当に阿呆なんですから仕方がありません。有権者は正しい選択をしていたということでしょう。

 で、この陳某が運動のリーダーでしたから、連中のレベルが知れるというものです。ちなみにもう一人飛び込んだ若いのがいましたが、こちらは足かどこかを怪我して、しかしながら船内には医療設備などロクにないので、それまで憎み切っていた海上保安庁のヘリに助けを求めて、石垣島の病院まで運んでもらう始末。

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 何だか筆が滑り過ぎたような。まあ、とにかく非常にカコワルイ運動だったのですが、香港と香港人を理解する上では、とてもいい機会だったと思います。――と、とりあえずまとめておきましょうか。



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