日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 中国社会は相変わらず剣呑な空気に包まれているようです。まずはストライキから。

 安徽省・蕪湖市のタクシー運転手が12月17日、一斉ストライキに突入しました。同市のタクシーは1台残らず姿を消した模様。

 運転手たちはストだけでなく、蕪湖市政府庁舎前の道路に屯集し、交通を遮断。これに対し当局は防暴警察(機動隊)を出動させ、政府庁舎の向かいにあるホテル前に待機させているとのこと。







 ●「博訊網」(2008/12/19)
 http://news.boxun.com/news/gb/china/2008/12/200812191156.shtml

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 続いてはカネ返せデモです。原野商法の被害者ら約500名が12月18日、北京市政府庁舎前に集まりデモを行いました。被害者らは北京市長との対話を望んだものの北京市はこれを拒否。警察車両約20台など多数の警官を現場に配置したものの、官民衝突は発生せず、デモは2時間行われた後、無事散会しました。

 なお、デモ参加者には原野商法の被害者のほか、強制立ち退きで住む場所を追われた市民、また労働保障の待遇改善を求める労働者なども参加しています。

 ちなみに原野商法に関する北京でのデモはこれが2回目。前回は大規模な官民衝突となり日本メディアにも報じられています。





 ●「大紀元・中国語簡体字版」(2008/12/19)
 http://www.epochtimes.com/gb/8/12/18/n2366851.htm

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 最後は上海市・閔行区で発生したデモについて。まずは再開発事業のため土地を強制収用された同区・馬橋鎮の農民ら約1000名が12月15日、補償問題に抗議して鎮政府庁舎前でデモを敢行。デモは少なくとも18日まで4日連続で行われており、当局は警官隊数百名を現場に出動させているもののの、目下のところ官民衝突には至っていないようです。

 閔行区では華漕鎮でも15日、道路が不備のため、工事現場へ往来するトラックなど作業車両が巻き上げる塵や砂埃、また騒音などによる被害が著しいとして、住民たちがデモを行いました。

 この件は海外を含む各メディアにも報じられたため、華漕鎮政府は道路に散水するなどの措置を実施。……しかしこれは一日限定のポーズで翌日からは散水を行わず旧態に復したため、住民たちは怒りを募らせています。







 ●「大紀元・中国語簡体字版」(2008/12/19)
 http://www.epochtimes.com/gb/8/12/18/n2367060.htm

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 さて。

 「08憲章」についての特集及び続報を紹介している当ブログのエントリーを追いつつ今回の「スト&デモ三連発」というニュースに接すると、あたかも「08憲章」の出現で中国社会がにわかに慌ただしくなってきたように感じられるかも知れませんが、それは全くの誤りです。

 タクシー運転手のストや原野商法問題のように、「08憲章」以前から中国各地で大小のストやデモ、官民衝突などが相次いでいます。単に当ブログで報じなかっただけでして(笑)。

 もともと剣呑なのです。放っておいても「官」に対する抗議活動が毎日どこかで発生しています。中国社会はすでにそういう段階に突入している、ということです。

 そして、そういう状況下に投下された「08憲章」という極上燃料が各地の抗議活動にどういう影響をもたらしていくか、ということに個人的には興味があります。

 恐らく「08憲章」が中国社会に対して何らかの作用を及ぼすとすれば、それは劉暁波氏ら発起人や金鐘氏ら第一次署名者たちの思惑とは異なるものになると思います。

 もはや、自由とか民主といったお題目でどうにかなる状況ではないのです。憲法改正とか三権分立とか普通選挙制といった悠長な提案も、知識人レベルではそれが正道ではありますが、現実的には浮世離れしているといえます。それ故に当ブログで再三指摘している「08憲章」の「ポップな部分」、

 ●社会から公正さを失わせた中国共産党による一党独裁体制への批判。
 ●一党独裁制によって必然的にもたらされる党幹部の汚職、特権ビジネス、様々な横暴に対する断罪。
 ●一党独裁制の終結要求。

 ……といった庶民にもわかりやすい部分が広く浸透していけば、「08憲章」に背中を押されて蹶起、という事例も出てくることでしょう。

 ちなみに「08憲章」署名者名簿に登場してくる「維権人士」というのは、その多くが「不公正」の被害者たちです。

 都市暴動や農村暴動の形式として、地元政府庁舎を焼き打ちにする、という行動が象徴しているのは「『官』への憎悪」というべきものでしょう。これを平易に表現してみせたのが「08憲章」の「ポップな部分」です。

 このわかりやすい部分だけが独り歩きしていくのではないか、という可能性を私は考えています。むろん、その先にあるのが「08憲章」がいうような「民主国家への平和的な変革」などでないことは確かです。





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