日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 いやー最近楽をさせてもらっています。他でもない中国の大型連休です。10月1日の国慶節に始まってまるまる一週間のゴールデンウィーク。何が楽かって連休ですからニュースが少ない。仕事しながらの記事漁りが短時間で終わるので有り難いのです。

 でもこの連休が終われば、10月8日から党の重要会議
「五中全会」(党第16期中央委員会第5次全体会議)が開催されます(~11日)。「中共人」たちの様々な形による綱引きも、大筋はすでに確定しているのかも知れません。

 新華社など中国国内の報道によれば、この「五中全会」は来年からスタートする
「十一五」(第11次5カ年計画)の内容について主に討議されるとしています。それを来春の全人代(全国人民代表大会=形式上の立法機関)で採択する運びとなる訳です。ただ多少の人事異動が併せて行われる可能性もあります。雑談めいてしまいますが、目下の状況を一応とりまとめておきましょう。

 ――――

 まず第一に、当ブログでは「中共人たちの熱い夏」などと書いていたのですが、実際には表面上は大きな動きもないまま10月を迎えたという印象です。この1年ばかりは日中関係を軸に中共上層部で政争が展開されている観がありますが、「八・一五靖国参拝」のような両国関係に影響を与えるような……という言い方はちょっとおかしいですね。「靖国」は日本の国内問題ですから中国が口を出すことがそもそもおかしいのです。口出しを許している日本政府も情けない。「内政干渉」の一言でなぜ済ませないのか。

 ともあれ日本側の動きが中国上層部における政争の具になっていた観のあるこの1年ですが、今夏は日本側に大きな動きがなく(実はあったのですが衆院選の「小泉圧勝」には中共も文句をつけられないw)、このため中国側の脊髄反射、そしてそれを起点とする政争も確認できませんでした。

 中国国内においては反日へ動こうとする気配があれば事前に潰され、その代わり何たら60周年イベントは盛大に執り行われました。そうそう、建国史上最大規模という歴史的な模擬空戦ショー(笑)まで開催されましたね。

 ――――

 とはいえ党上層部で何事も起きなかった訳ではありません。何よりも胡錦涛総書記がちまちまとよく動いた印象があります。

 まずは8月1日の「建軍節」を前に、党中央軍事委員会主席という軍権を握る立場から
階級昇進やポスト昇格などの「実弾」を軍部や武警にバラまきました。最近の『解放軍報』(人民解放軍の機関紙)における胡錦涛礼讃はそのおかげなのか、それとも逆に胡錦涛を操って党上層部における軍主流派の発言力を高めようとするものなのかは未だわかりません。

 胡錦涛は一方で
故・胡耀邦元総書記生誕90周年記念イベントを唐突に提起したりもしていますね(実は4月から旧宅の補修工事など準備は行われていましたが)。その理由は定かではありませんが、私自身は趙紫陽元総書記の死去に伴うゴタゴタで疎遠になってしまった元々の支持勢力である党長老連に媚びてみせ、関係修復を狙ったように思います。

 胡耀邦を持ち上げて当時の経済改革への取り組みを再評価すれば、その時期に第一線にいた党長老の業績も見直される訳です。また再評価する分だけ、1989年の天安門事件以降を担当した江沢民の業績が割り引かれるということもあるでしょう。さらにいえば、胡耀邦は胡錦涛の属する共青団(共産主義青年団)人脈、いわゆる
「団派」の大先輩でもあります。党上層部の中にこのイベントに消極的態度を示す向きがあるとすれば、そういう派閥絡みの反発という理由もあるでしょう。

 ――――

 江沢民といえばその大番頭が曽慶紅国家副主席ですが、その曽慶紅が実は胡錦涛と結盟して江沢民追い落としを実現させた、という消息筋情報がちょっと前の『ニューヨーク・タイムズ』で出ましたね。

 それによると、江沢民に辞表を提出するよう曽慶紅が進言し、

「どうせ時期尚早ということで辞表は受け入れられませんから御安心を。上様にはまだ軍を握り続けて頂かないと」

 などとおだてて江沢民が辞表を出したら、
あっさり受理されて予期せぬ引退を余儀なくされた、という話です。江沢民は「図られた」と悔し泣きしたそうです。

 ●中時電子報(2005/09/25)
 http://tw.news.yahoo.com/050925/19/2c77l.html

 香港紙『蘋果日報』(2005/09/26)もこれを報じています。それで今春の全人代での国家中央軍事委主席引退という花道には姿を見せなかったのでしょうか。でもよく働いた割に曽慶紅は党中央軍事委のメンバーにも入ることができず、全く報われていません。この消息筋情報、話としては面白いのですが……といったところでしょうか。

 ――――

 人事に関しては前々から行われている観測ですが、上海市党委書記の陳良宇、広東省党委書記の張徳江、要するに
上海市と広東省のトップがそれぞれ動かされるのではないかという見方を今朝の『蘋果日報』(2005/10/04)が改めて報じています。

 上海市の陳党委書記は江沢民直系の人間を排除するための配置転換。広東省の張党委書記は広東省長の黄華華と不仲であるため異動、というものです。黄華華は胡錦涛系列の「団派」なのだそうです。

 要するに胡錦涛政権が心おきなく珠江デルタ及び長江デルタを掌握し、「十一五」を円滑に進めるべく障害を排除する、という意味合いです。最近、温家宝首相が広東省を視察したのは単なる視察にとどまらず、それに名を借りた非常に政治的な動きではないかと私は思います。

 最近成長鈍化傾向にある深センや広東省を訪問することで、中央の支持は以前と変わることはないから安堵せよ、という意思表示を行ったのではないかと。江沢民時代になって上海がもてはやされ、トウ小平が健在だったころに比べれば広東・深センは元気を失っている様子でした。温家宝はそれを激励するとともに、広東へ赴くことで上海への面当てをしたのだと思います。邪推ですけど(笑)

 陳良宇に関しては言うまでもなく江沢民派の弱体化をも図ると同時に、その本拠地である上海に楔を打ち込むという狙いでしょう。すでに江沢民の故郷である楊州の属する江蘇省は、胡錦涛系の李源潮(省党委書記)に握られています。

 で、こういう胡錦涛系の「団派」や二世グループ
「太子党」の若手株の中から何らかの抜擢人事が行われるのではないか、ともいわれています。とはいえ、これらは全て噂の域を出ません。結局はフタを開けてみるまではわからない、ということです。

 ――――

 事実として確認できることもあります。9月3日の何たら60周年記念式典での胡錦涛演説、いわゆる「九・三重要講話」ですが、この中で胡錦涛は、

「国民党軍が戦場の正面を担当し、中共はゲリラ戦など戦場の背後を担当した」

 としています。初めて国民党の果たした役割を認めたばかりか、「国民党が正面、共産党が背後」ということも素直に認めています。この演説で最も注目される部分ですね。少なくとも
国共両党が五分五分で頑張った結果勝利することができた、というのは過去にない新しい認識です。

 ところがそれより約2週間前の終戦記念日における『人民日報』(2005/08/15)に掲載された評論員論評のタイトルは
「中国共産党は全民族団結による抗戦における精神的土台だ」と中共を前面に押し立てたものであり、

「中国人民が弱国にして強国に勝利するという偉大な奇跡を成し遂げたその最も根本的な原因は、中国共産党が全中国人民の意志を代表し、偉大なる抗日戦争を指導し推進し、最前線で血まみれになりつつも奮戦し、全民族団結による抗戦における精神的土台となったからだ」

 と高らかに謳い上げて自画自賛、
勝因は中共あったればこそ、として国民党は出てきません。8月15日という節目に出た党中央機関紙の評論員論評、しかも前日に新華社からその記事が配信され、翌日の紙面に出ることを予め通知するという念の入れ方は、よほどの重要文章でないと行われないものです(予告したのは、お前ら他の新聞もちゃんと明日掲載しろよ、という意味もあるかも知れません)。

 ――――

 かくも賑々しく発表された8月15日の『人民日報』重要論評と9月3日の胡錦涛演説で対日戦争についての認識が明らかに異なっているということは、
党上層部において8月15日以降、この部分に関する大きな修正、方針転換が行われたことを示しています。恐らくその過程では綱引きも論争もあったかと思われます。

 ただ目下のところ「胡錦涛演説を学習しよう」ということになっているので、「国民党が正面、共産党が背後」というのがいま現在の正しい認識という位置付けなのでしょう。その「胡錦涛演説」が胡錦涛の本意なのか、それともある政治勢力の意を受けてそうせざるを得なかったのかはわかりません。

 わかりませんけど、この2週間で重大な方針転換があったということ、その結果国民党の顔を立てる内容になり、
国共両党の交流深化ひいては新たな国共合作に向けて道をつける形になったということはできるでしょう。それがどの政治勢力の意に沿ったものなのか。常識的には、「国家統一促進法」(反国家分裂法)を起草して、

「言うことをきかなけりゃ力づくでやっちまえ」

 という強硬姿勢を示した「北風」組が一大路線転換を行ったとはちょっと考えにくいです。

 ――――

 最後に「五中全会」の主題とされる「十一五」にもふれておかなければなりません。2006年から2010年までの5年間、ということになるのですが、いまはみんながすっかり忘れてしまっている縁起の悪いことこの上ない
悪魔的予測が昨年9月の「四中全会」前に発表されたことを想起しておくべきかと思います。

 俗に「盛世危言」と呼ばれているレポートですが正確な名称はわかりません。国家発展改革委員会(発改委)が内外の専門家100名近くを集めて中国の今後の歩みについて予測を行わせたところ、

「2010年までに経済と社会の発展に重大な影響を及ぼす事件が発生する可能性が高い」

 という見方が圧倒的に多かったというものです。私なりに解釈すれば、「経済と社会の発展に重大な影響を及ぼす」ほどのパワーなら、少なくとも
天安門事件(1989年)クラスの破壊力だろうと思います。実際、そういう事件がいつ突発してもおかしくない社会状況になっている一方、「調和社会」という政府の掲げる目標が空々しく、あるいは皮肉に聞こえてくるのが現状です。

 昨年の「四中全会」において胡錦涛は
「このままでは潰れる」という危機感を隠すことなく広く国民に明らかにし、非常の決意を以てこの難局を乗り切ろうと呼びかけました。

 それから1年。農民争議にも土地収用問題だけでなく環境汚染を発端とするものが新たに加わり、結局潰されてしまったものの「農民による民主化運動」もありました。役人が政府庁舎から逃げ散って警察もお手上げという都市暴動も散発的に各所で起きています。さらには貧富の差、地域間格差、都市と農村の格差が拡大傾向にあるといった問題、また率でいえば実質2ケタを超えていると思われる失業問題、そして炭鉱の造反官僚に代表されるような党幹部の汚職蔓延……。現実はいよいよ厳しくなって、しかも胡錦涛及び中央政府の指導力自体が1年前に比べ弱体化しているようにも思えます。

 そういった諸々の懸案事項に対し、胡錦涛がどういう言葉を以てどう表現し、進むべき道を明示するのか、
それによってこの1年間で中共が現実から何を学んだかもわかるでしょうし、現時点における胡錦涛政権の指導力の一端を垣間見ることもできるでしょう。ですから人事も気になるのですが、私はまずはその点(五中全会公報)に非常に興味があります。

 ――――

 雑談めいているのではなくてただの雑談ですねこれでは。尻切れトンボにもなってしまいました。申し訳ありません。



コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )






 香港に来て2年目でしたか、まだ湾仔に住んでいたころの話です。

 マンションの1階は有名なナイトクラブ。映画にもなった
「湾仔之虎」との異名を持つ成り上がりヤクザがよく出入りし、根拠地として仕切ってもいた夜総会です。一度も遭遇する機会もないまま「湾仔之虎」はマカオだかで暗殺されてしまいましたが、昼も夜も入口にターバン巻いたインド人が立っていて、人通りもそこそこある場所だったので逆に夜遅い時間でも安心でした。

 私のマンションは香港ではごく標準的な防犯システム(オートロック)でした。ピンポンが鳴るとインターホンの受話器で会話して建物入口のカギを開けてあげるのです。そこに設置されている監視カメラはテレビでもモニターできます。

 で、訪問客などは滅多にいない筈なのに、ある日ピンポンが鳴りました。テレビでモニターすると背はあまり高くないのですが、怒り肩で短かめの髪にサングラス。着崩したジャケットといい、
どう見てもヤクザです。

 どうしようかと思いました。当時は香港の治安がかなり悪化していて、銃撃戦だの手榴弾爆発だの何でもありの時期でした。

 
「AK47」(任達華主演)という街頭での自動小銃を使った派手な銃撃戦シーンや乗っ取ったバスから手榴弾を警官に向けて投げたりするあの映画はほぼ全てが実話なのですが、当時はその実話が頻発していたころです。ヤクザの抗争絡みで人違いのため殺される、なんてケースは珍しくありませんでしたから。

 ――――

 躊躇しつつも受話器をとって、

「o畏~」(もしもし)

 とやったら意外や意外、

「御家人、俺だ俺」

 と日本語が帰ってきました。監視カメラに向けてサングラス外したその顔は、紛れもなく大学時代の教官ではありませんか。その強面のために台湾でチンピラに間違われたたことがあるという伝説を持つ中国経済の権威です。

 私にとっては第二の恩師ともいうべき存在です。香港から中国本土に入るコースなので立ち寄ってくれたとのこと。恐縮するやら嬉しいやらでとにかく感激でした。

 近くにホテルがあるのでバイキングで昼食を共にしました。話題は当然ながら中国経済の上にあります。そのときに師匠が香港にふれて、

「やっぱり大陸の隣にな、こういう香港っていう場所があって、香港人ていうソフィスティケートされたチャイニーズが600万人もいるっていうのは、中国にとってこれは大きいな」

 と言いました。

「ソフィスティケート……ですか?」(プププ)

 どこが?……とそのとき私は内心思ったものです。私にとっての香港人は
「やった者勝ち的心理&行動原理」の忠実なる信徒。日本人にとって何とか許容できる範囲ではありますが、一言でいえば野蛮です。ただその「蛮性」こそが香港の魅力でもあり、社会の活力の源でもあると考えていました。香港人が「蛮性」を失えば香港は終わりだと。いまもその考えは変わっていません。

 ところがです。十数年も前に中国経済の師匠が口にした
「ソフィスティケートされた香港人」という言葉、これをつい最近になって改めて思い出すことになるとは思いもしませんでした。……長い前フリですみません。

 ――――

 香港人がソフィスティケートされて見えるためにはより野蛮な存在が必要なのですが、言うまでもなくそれは内地人というか大陸人、要するに
中国本土の連中ということになります。

 「法制あれど法治なし」の社会で中国共産党の意のままに料理されてしまうという奴隷、という意味で大陸人は
政治的には「畜類」だと私は思っています。香港が中共の植民地になってしまった以上、そこに住む香港人もいずれ畜類の仲間入りをすることになるでしょうが、それはまた別の話。

 何年か前から広東省など一部の地区の住民に限って、香港への観光旅行が解禁になっています。当初はそれで様々なトラブルが起き、電話相談のラジオ番組などにその種の苦情が殺到したものです。

 ●ピークトラムに乗ろうと行列していたら大陸人に割り込みされて、それに文句をつけたら殴られた。
 ●MTR(地下鉄)のホームで母親が幼児のズボンを下ろし、抱きかかえて線路に向かって小便をさせていた。
 ●ところ構わず痰を飛ばす。
 ●堂々とゴミのポイ捨てをやる。

 といったものです。まあ畜類ですね。政治的な意味ではなく畜生同然の行為という意味での畜類。四つ足ということです。

 それで香港人の間では大陸人を軽蔑する言葉があるそうです。以前は「大陸仔」というだけで十分侮蔑語だったのですが、今は別の言い方があるようで、配偶者から教えてもらったのですが忘れてしまいました。軽蔑の是非は措くとして、香港人が眉をひそめるような行為を香港社会で平気でやってしまうから侮蔑語が生まれてしまいます。

 かつて中国人がチャンコロ(支那人は差別語ではありません)と呼ばれたのと同じで、故あることなのです。某巨大掲示板によると最近はシナチクと言うそうです。漢字だと
支那畜と書くそうですが言い得て妙であります。ええ、軽蔑の是非は措くとしてです。

 私個人の考えをいえば、中国語でいう「男盗女娼」(男は泥棒女は娼婦)を地で行って日本で凶悪犯罪を繰り返しているのですから(国籍別犯罪件数16年連続1位)、大陸人が「支那畜」と呼ばれても以て瞑すべしだと思います。
ていうか日本に来るな。

 ――――

 さて最近になって再び「畜類」が香港で脚光を浴びることになったのは、他でもない
ディズニーランドの開業によるものです。中国本土からたくさんの団体観光客が押し寄せたそこは正にアメイジングワールド。

 ●暑い暑いといって人前で平気で上半身裸になる。
 ●ベンチをベッド代わりに専有して昼寝をする。
 ●行列に平気で割り込みをする。
 ●行列に割り込んだ大陸人に注意した香港人が殴られた。
 ●禁煙スペースで平気で喫煙する。職員が注意しても無視。
 ●ところ構わず痰を飛ばす。
 ●母親が子供のズボンを下ろしてトイレでない場所で悠々と大小の用足しをさせる。
 ●暑い暑いと言って冷房のあるグッズショップに入り込み、買い物をするのでなくそのまま床に座り込んで涼む。

 ……といった数々の「信じられない出来事」が香港各紙によってセンセーショナルに書き立てられました。香港人にとっても信じられないのだから香港社会も随分お行儀がよくなったものですが、これは香港人から「蛮性」が失われつつある証左なのかも知れません。米国から来たディズニー関係者もさぞや驚いたことでしょう。それともここで経験値を高めてから上海ディズニーランドでそれを生かす肚なのかも。

 ともあれこうした「畜類」の振る舞いに比べれば、なるほど師匠の言った通り香港人は確かにソフィスティケートされているといえます。

 ――――

 ただその一方で、世代によって反応は異なるかも知れないな、とも思うのです。

 現場で取材する新聞記者は20代半ば、それを束ねるデスクは30代、その上の編集長もせいぜい40歳くらいまでで、いずれも香港で生まれ育った世代です。

 それを読んで
「ひどいもんだ。どうしようもねえな」と言って大陸人の行為を軽蔑する読者、これも大半は香港が生まれ故郷の世代でしょう。私の友人や配偶者もこの世代に属します。さらにいえば、ディズニーランドに行く香港人もその大半は香港で生まれ育った世代。

 でも、それより上の世代となるとどうでしょう。香港生まれでなく、自ら密入境して広東省から逃げてきた世代です。もちろん香港で何十年も暮らしていますから上記大陸人のような行為をすることはないでしょうが、そういう行為を目にして眉をひそめたり軽蔑したりするかどうかは疑問です。

 なぜなら、
かつての自分がそうだったからです。その世代が密入境した当時の香港もそれが許されていたかも知れません。その年代の人の感想を聞きたいものですが、そこまで詳報している新聞は残念ながらありませんでした。

 ――――

 ……という訳で、さすがはディズニーランド、アメイジングワールド炸裂だという標題に行き着くのです。そこに行けば、あなたも時空の壁を越えた世界を体験できる。
40年前の香港と香港人が、そこにいる。観じ切ってしまえば、タイムマシンのようではありませんか。

 まあ、決して気分のよくなるアトラクションではありませんけど(笑)。やっぱり香港人と本土の連中の間には半世紀の隔たりがある、と再確認した次第です。
ソフィスティケートという言葉でそれを喝破するとはさすがに師匠、私はまだまだ修業不足のようです。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )