25日に行われた東京マラソンは、障害の有無に関係なく参加できる国内有数のスポーツイベントだ。伴走者とともに息のあった走りで都心の空気を楽しんだ宮城好子さん(55)=埼玉県滑川町=は、視覚障害を抱えながら10キロコースを完走した。2年後に控える2020年東京五輪・パラリンピックを「障害への理解が深まるチャンス」と待ちわびている。(大泉晋之助)
各地のレースに参加してきたが、東京マラソンの感覚は別格だ。都心の空気を、ともに走る大勢のランナーの足音や沿道の大声援を通じて感じる。「周囲の光景がくっきりと思い浮かぶ」
小学校1年のころ、医療事故で光を失い全盲に。地元の小学校から埼玉県立盲学校に転校した。
卒業後、22歳で盲学校の先輩だった夫と結婚し、3姉妹の子宝に恵まれた。転機は子育てが一段落した40歳ごろ。健康のためスポーツを始めようとしたところ、友人から視覚障害者のランニングサークルを紹介された。
スポーツが得意ではなかったため、最初は数キロで息が上がり鼓動が速まった。苦しさから逃げようと思ったこともあったが、あるとき気付いた。「私のような視覚障害者にとって、風になれる瞬間はこれ」と。障害のため、乗用車などを自分で操ることはできない。自分の力でスピードを感じる唯一の手段だった。
どんどんのめり込んだ。平成15年にフルマラソンに初参戦し完走。4時間12分の堂々たるタイムだった。
「その後の5年間は初レースがベスト。自分を超えるために続けました」。今の目標は、10年前に出した自己ベスト4時間7分を超えることだ。
東京マラソンでは約10年前にフルマラソンで参加したが、今回は10キロにエントリー。「応援の声でコースを感じることができた。いろいろな国の言葉でアナウンスがあるから海外の大会で走っているみたい」と約53分で走りきった。6月にはサロマ湖100キロウルトラマラソンに出場予定。昨年約68キロで途中棄権したため雪辱を期す。
視覚障害のあるランナーにとって「阿吽(あうん)の呼吸で伴走者と走る」ことが至上の喜びという。そのためには伴走者とどれだけ理解し合っているかがカギだ。「できないことはできない」とはっきり伝え、障害とともに生きていく。
10キロを走りきった宮城好子さん(左)
2018.2.25 産経ニュース