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ゴエモンのつぶやき

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『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』佐々木誠監督が綴る公開までの7年間

2015年02月11日 01時45分31秒 | 障害者の自立

佐々木誠監督の新作『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』が2月14日(土)より渋谷アップリンクで公開される。これまでも、9.11以降の世界を若き僧侶の冒険から描き出す『Fragment』(2006年)や、視覚障害者がSFアクション映画を制作するというテーマに挑んだ『INNERVISION インナーヴィジョン』(2013年)など、現代社会の固定観念を壊す作品を作り問題提起を行ってきた佐々木監督。今作は、アルトログリポージス(先天性多発性関節拘縮症)を患いながら、障害者の社会進出や表現活動の重要性に尽力する門間健一を迎え、ドキュメンタリーとフィクションの間を縫うスタイルにより、観客の価値観や固定概念を揺さぶる作品となっている。

今回は、今作のきっかけとなった2008年公開の短編『マイノリティとセックスに関する、2、3の事例』から、佐々木監督がどのような思いでこの作品を完成させたのか、7年にわたる制作を綴る手記を掲載する。

『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』   制作手記   佐々木誠(映画監督・映像ディレクター)

【「ドキュメンタリー」に対する自身と観客の差異】

2006年。わたしは、アメリカ同時多発テロに衝撃を受けて制作した『Fragment』というドキュメンタリー映画を公開しました。9.11以後を生きる若い僧侶の姿を追った作品で、普段の映像ディレクターとしての仕事以外で自主的に制作することはもちろん、劇場公開も初めての経験でした。

この公開期間中、映画を観た一部の方からの強い拒否反応がありました。「作り手の伝えたいことが明確ではない」「自分たちの知らなかった情報を詳細に提供していない」といった主旨のものがほとんどで、わたしと観客の考える「ドキュメンタリー」というものに「差異」があったのです。この作品で意図したのは、メッセージを排除し、個人的な視点で切り取った「リアル」(実感)を並べることで、より受け取る側の考え(怒りも含めて)を浮き彫りにしたいというものでした。しかし、結果的にこのことが観客の混乱を招いたのです。この「差異」とはなんなのか?この時の経験から、「ドキュメンタリー」という表現方法と、情報リテラシーについて強く意識するようになったのです。

『Fragment』公開とほぼ同時期、羊屋白玉さん演出で様々な障害を抱える人達が出演するパフォーマンス舞台に関わりました。そこで出演者の数人と仲良くなり、その後も飲みに行ったりする友人関係になりました。そのうちの一人が門間健一さんです。ある身体障害者の友人と飲みに行った時、その人がヘルパーを連れていなかったので、何度かトイレの介助をしました。わたしはごく当たり前にその状況を受け入れていたのですが、中学生の時から付き合いのある友人にその話をすると、「よくやるな~」と驚かれました。「お前もその状況になったらやるだろ?」と訊くと「やるけど、まずその状況にならないようにする」という答えが返ってきて、そのことにわたしはショックを受けました。そこではじめて、障害の有無だけではなく考え方や感じ方に内包されているマイノリティとマジョリティの「境界線」を感じたのです。そして、そのことは深くわたしの中に残りました。

【マイノリティとマジョリティの「境界線」を問う】

パフォーマンス舞台で知り合った友人の中でも、門間健一さんとは特に親しくなりました。なにか面白いことを一緒にやりたいね、となんとなく話していたちょうどその頃、『裸over8』という裸をテーマにした短編オムニバス映画の企画があり、主催者から参加しないかと誘われました。その話を彼にすると、「是非一緒にやろう」と言ってくれたのです。門間さんには出演をしてもらうことにしましたが、彼もわたしもいわゆる【障害者の映画=感動物語】にはしたくないという考え方は同じでした。

そこで以前友人に話した「トイレの話」で感じた違和感を、障害者と健常者ということだけでなく、もっと広義でマイノリティとマジョリティの境界線について疑い、問うような内容にしたいと考えたのです。同時にそういったテーマでやるのであれば、映画の構造自体をフィクションとドキュメンタリーの境界線を疑う実験的な方法が良いと直感しました。これは『Fragment』公開時の経験があったからです。企画の前提条件「裸」をセックス(行為と性別)として作品の軸に構成しようと決めました。そしてわたし自身が “映像学校に通うスケボー青年”を演じ、その視点を通して実在の人物や事象を「ドキュメント」する。そうして撮影した映像を「フィクション」の物語として再構築することで、虚実皮膜を縫うような映画が立ち上がるのではないか。中心となってくれた門間さんをはじめ、制作に協力してくれた方々は、わたしの考えを十分に理解し、楽しんで参加してくれました。そうして完成・公開されたのが『マイノリティとセックスに関する2、3の事例』という短編映画です。

【報道をそのまま「真実」だと思い込んでしまう状況へのアンチテーゼ】

オムニバス『裸over8』での公開後、『マイノリティとセックスに関する2、3の事例』は国内外で上映を続けました。カリフォルニア大学で上映された時、現地の教授から「様々な境界線について複数の角度から議論できるハイパーなテキスト」と評され、わたしの意図がしっかり伝わっているという手応えを感じました。そういった上映を2年間ほど積み重ねる中で、このテーマを短編で終わらせず、もう少し拡げて描きたい、と考えるようになりました。いまある短編を活かす為に、いくつかのエピソードを繋げて長編化できないだろうか?それぞれのエピソードで同じ人物が主役になったり脇役になったりする『パルプ・フィクション』のような構成。これなら状況によって変化するマイノリティとマジョリティの関係性のメタファーにもなりうるのではないか。わたしは、追加で2本の短編を制作し、それらを全て繋げた長編版を目指すことにしました。最終的に短編版『~2、3の事例』を「Chapter2」として、その前後に新しいエピソードを加えた3部構成になりました。

ある実際に起きた事件の犯人が、統合失調症ではないか?と報道されたことがあり、その報道の在り方、受けとめられ方に「トイレの話」と同じ違和感を抱きました。その時わたしは、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」に所属する友人の中島兄弟を中心としたエピソードを思いついたのです。弟のノリツグ君は実際に統合失調症で長年苦しんでいました。そこで本当にあったノリツグ君の「出来事」を本人に語ってもらい、そこにまったく違う「事件」がさもあったかのように描くことで、報道で見聞きしたものをそのまま「真実」だと思い込んでしまう怖さ、そうした状況へのアンチテーゼとして作品を制作しようと考えました。ノリツグ君もわたしの考えに賛同して参加してくれました。彼にとっては大きな決断であったと思います。その気持ちには感謝しかありません。撮影では、当時『精神』を公開中だった想田和弘監督にもお願いして、その情報リテラシーへの考えを語っていただきました。「鉄割アルバトロスケット」の公演と中島兄弟、門間さんの出演によって、虚構と現実、身体障害と精神障害、といった多角的な対比、その曖昧なカテゴリー分けについて平行して描くことが可能になりました。このエピソードを「Chapter1」として提示することで、長編の方向性と姿勢が決定したのです。

【「境界線を疑う」というテーマを見つめなおす】

2011年。「Chapter3」の制作直前、東日本大震災が起きました。地震直後、多くの映像制作者が東北に入って行ったのですが、わたしはそういう気にはなれませんでした。ひたすら東京に住んでいる自分のリアル(実感)を撮っていました。あの時期の何とも言えない絶望感、先行きの見えなくなってしまった現実をそのまま描きたい、漠然とですがそう思っていたのかも知れません。当初「Chapter3」は、俳優の宇野祥平くんが門間さんの弟を演じるという設定で考えていたのですが、いまのこの状況に触れないで進むことは難しいということで、宇野くんとも話し合い、残念ですがまったく違ったエピソードに変更することを決めました。地震後を描く内容は、意識して展開を不安定にしました。わたし自身の不安をそのまま取り込みたかったからです。そしてその揺らぎに向き合うことは、「マイノリティ」そして「セックス」という当初からの作品の軸と、境界線を疑うというテーマをもう一度見つめなおすことに繋がりました。“映像学校に通うスケボー青年”の視点というフィクションの設定だからこそ描ける現実がある。思い込みともいえる確信が生まれました。このエピソードは必然的に「Chapter3」となったのです。

この映画を制作する一方で、「身体障害者のセクシャリティ」を通して障害者への理解を広める活動をしているNPO法人ノアールの主催者・熊篠慶彦さんとイベントなどでご一緒する機会が増え親しくなっていました。熊篠さんとの関わりが深くなる中で、「障害者ってセックスするの!?」という根強い認識がまだまだあると知り、「トイレの話」の違和感がまた強く頭をもたげてきたのです。

【この映画に関わってくれた人たちとの青春の記録でもある】

わたしは、「障害者の性」を正面から捉える作品を作りたくなっていました。それが2014年にフジテレビで放送されたNONFIX『バリアフリーコミュニケーション ぼくたちはセックスしないの!?できないの!?』です。熊篠さんの活動に協力しているリリー・フランキーさんにナレーション・出演もしていただき、放送後は大きな反響がありました。「違和感がある」という人が、わたし以外にもたくさんいることに(当然といえばそうかも知れませんが)、勇気をもらった気がしました。縁あって関わるようになった障害者の性の問題ですが、今後も媒体は問わず突き詰めていきたいと思います。

わたしの作風に興味を持ってくださった、神奈川県にある視覚障害者団体から依頼を受けて共同制作した『INNERVISION インナーヴィジョン』にも少し触れさせてください。「生まれついての視覚障害者はSF映画を制作できるか?」といったテーマで、これもまたドキュメンタリーとフィクションを合わせた構成で描いた作品です。この制作過程は、映像という表現方法がもつ視覚という重要な要素を根本から考えることができ、今後の映像制作に貴重な時間となりました。2013年。この『INNERVISION インナーヴィジョン』の公開と同時進行で『バリアフリーコミュニケーション ぼくたちはセックスしないの!?できないの!?』の制作と『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』の最終的な編集を行っていました。完成が目前に迫ったことで、具体的に公開のイメージを感じていた頃です。

2013年10月。門間健一さんが42歳で急逝。親しい友人であり、この映画の“共犯者”でもあった彼との突然の別れに、わたしは呆然と立ち尽くすことしかできなかったのです。映画が完成し、上映されることを誰よりも楽しみにしていたのは彼でした。制作が行き詰まり止まっていた時期も、「焦んなくていいよ。まこっちゃんの映画、理解されるには時間かかるかもしれないけど、俺は好きだし、俺の障害者の友人たちも楽しみにしている。いつまでも待つよ」と言ってくれていました。それに甘えて完成まで時間がかかってしまったことがいまは悔やまれてなりません。

いまあらためて完成した映画を観ると、門間さんと過ごした日々が思い出されます。これは彼とわたし、そして中島兄弟をはじめ、この映画に関わってくれた人たちとの青春の記録でもあるんだなと気づきました。あれから7年が経ちます。あの頃からなにが変わり、なにが変わっていないのでしょうか?答えを探す旅はまだ続きます。己の好きなように楽しく、誇り高く生きた門間さん。その証としても、この映画は上映し続けなければいけないな、そういまは考えています。

 

佐々木誠 プロフィール

1975年生まれ。高校卒業後、あがた森魚監督などの映画作品にスタッフ・役者として多数参加、同時期に桜井鉄太郎プロデュース「Yipes!」など数本のシナリオを執筆。98年よりソニーミュージック・エンタテインメントにて数多くのアーティスト・プロモーション用映像を演出する。現在、フリーディレクターとして音楽PVの他にVP、TV番組などの演出、構成執筆など。2006年、初監督ドキュメンタリー映画『Fragment』がロードショー公開。その後、オムニバス映画『裸over8』の内の一本『マイノリティとセックスに関する2、3の事例』(2007年)『INNERVISION インナーヴィジョン』(2013年)が国内外で公開。2015年、『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』が公開。他に、ハリウッドで制作された『バイオハザード5』(2009年)ビハインド・ザ・シーン演出、フジテレビで放送されたNONFIX『バリアフリーコミュニケーション 僕たちはセックスしないの!?できないの!?』(2014年)演出、紀里谷和明監督『GOEMON』(2008年)夏帆主演『パズル』(2014年)等の脚本執筆など。またアメリカ、南カルフォルニア大学他2校(UCSB、UC Riverside)での上映・講演、慶応大学・法政大学での講義、和田誠やロバート・ハリスらと定期的に映画についてのトークイベントなども行っている。

2015-02-09     webDICE 


 

杉良太郎&HIRO、東京パラリンピック顧問に就任

2015年02月11日 01時41分48秒 | 障害者の自立

超党派の「障がい者スポーツ・パラリンピック推進議員連盟」(会長・中曽根弘文元外相)は9日の総会で、2020年東京パラリンピックの成功に向けた作業チームの設置を決め、歌手で俳優の杉良太郎(70)、人気グループ「EXILE」のリーダー・HIRO(45)がチーム顧問に就任した。

 障害者スポーツの認知度を向上させるための役職で、作業チーム座長の自民党の野田聖子前総務会長は「演出、啓発活動に力をいただきたい」と要請。HIROさんの代理で出席した所属事務所関係者は「最善を尽くしたい」とする本人のメッセージを読み上げた。作業チームは障害者選手の強化策や、競技団体の専任スタッフに対する資金援助などを政府に求めていく方針だ。

2015年2月10日    スポーツ報知


2人の弟に見守られ

2015年02月11日 01時36分37秒 | 障害者の自立

 今までなら何げなく流せていたことが、忘れられない――。

 こうした性格の変化が、橋本佳代子さん(38)にとって最大の悩みだ。体の平衡感覚がなくなったり、目の焦点が合わなかったりする障害は残るが、日常生活も仕事も出来た。

 父も母も病気で亡くなり、家族は2人の弟だけ。海上自衛隊員の長男の宜周さん(36)は、姉の20年間の生き様を誰よりも尊敬している。事故当時は中学生。姉の意識が戻らない3カ月ほどの間、両親はずっと病院にいた。何も聞かなかったが、深刻な状況であることは察知できた。「自分だったらここまで回復できなかった。高校に戻り、立派に一人暮らししている」

 次男の康聖さん(33)も「言ったらいかんというのを、止められずに言ってしまうことがあるけれど、姉ちゃんはそんなには変わっていないよ」と言う。カーフェリーで働いていて宮崎を離れることが多いが、海の上からフェイスブックを通して姉を見守っている。

 高次脳機能障害になったあとに、橋本さんが出会った新しい世界もある。宮崎市役所で働いていた2012年10月、一般の人たちでつくる消防団の存在を知った。興味を持ち、入団した。

 心停止後、1分経過するごとに救命率は7~10%低下する――。そのことを団の研修で知り、20年前の自分の事故を思い出した。

橋本さんと弟の宜周さん

(朝日新聞 2015年2月3日掲載)


いつか恩返ししたい

2015年02月11日 01時30分17秒 | 障害者の自立

 自分が交通事故に遭ったとき、助けようとしてくれた人たちがいた。通報した人や救急搬送した人、病院の医師たちだ。

 消防団に入団した橋本佳代子さん。救命講習などを受けるうちに、「陰で支えてくれた人たち」の存在に気づいた。

 事故の後遺症で生じた高次脳機能障害は、歩行が不自由だったり記憶力が低下したり、つらいこともある。けれど、あらゆる人たちのおかげでいま、自分は生きているんだと思えるようになった。

 橋本さんの相談も受けてきた宮崎市消防局の消防団係長・浮田哲二さんは、「火災予防活動で高齢者や障害者の家を訪問することがある。そんなとき、事故を経験した橋本さんに寄り添ってもらいながら、話をしてほしい」と期待している。

 今年の1月11日。宮崎市消防出初め式が大淀川の河川敷であった。橋本さんも、消防団の紺色の制服に身を包み、テントでぜんざいのふるまいをした。災害現場で「後方支援」を担う女性消防団員にとっては大切な仕事の一つだ。

 「体を使うことには限度がある。でも、自分を助けてくれた人たちへの感謝の気持ちを持ち続け、いつかどこかで恩返しができたらいいな」

 橋本さんはそう思いながら、過去の事故と、そして、今の自分と向き合っている。

出初め式に参加した橋本さん(右)と女性分団長の広田美佐子さん
 
(朝日新聞 2015年2月4日掲載)