ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

2012年3月13日 障害者自立支援法違憲訴訟原告団・弁護団

2012年03月19日 10時18分23秒 | 障害者の自立
政府は本日、障害者自立支援法一部改正法案を閣議決定し即日国会に上程された。
障害者自立支援法違憲訴訟において、被告である国は、2010年1月7日、原告団・弁護団との間で「2013年8月までに障害者自立支援法を廃止し新たな総合福祉法制を実施する」旨確約する基本合意を締結し、同合意は同年4月21日までに全国14カ所の地方裁判所の訴訟上の和解において重ねて裁判所にて誓約され、司法上の解決をみた。
ところが、本日内閣から国会に上程された法案は廃止するべき法律を存続させる一部改正法案であり、国が被告として履行するべき法令廃止の約束に違反し司法決着を覆すという、国家としてあるまじき蛮行であることは明らかである。
被告国は法の名称を「障害者総合支援法」と変更することにより「法は廃止された」などと詭弁を弄するもので、そこには誠意のかけらも感じられない。
この間、私たちは1月25日緊急会見、2月8日第19回総合福祉部会、9日政務官面談、集団訴訟共同抗議声明、13日緊急フォーラム、14日民主党WTヒアリング、29日プレスリリース、3月5日全国14地方訴訟団一斉会見、8日民主党説明会等、あらゆる機会をとらえて意見を表明し、政府・与党の過ちを指摘し、強く再考を促してきた。
しかし、政府は全国71名の原告の悲痛な思いを一顧だにせずに虚言を繰り返して居直りを続けた末、本日の閣議決定・国会上程に至ったものであり、私たちは全員怒りにうち震えている。政府与党の背信と国約違反を原告団・弁護団は断じて許すことは出来ない。
一国の総理大臣の官邸における直接の約束、国務大臣の公印による基本合意、裁判所に対する誓約さえも、平然と踏みにじられるならば、私たち国民は総理大臣・大臣・政治家の言葉など二度と信じることは出来ない。
どれほど深刻な政治不信を引き起こしたか本件に関与した政治家に自覚があるのであろうか。
2011年8月30日まとまった骨格提言は55人のあらゆる立場からなる委員の一致した提言であり、政府はその骨格提言の内容を法案として上程するべきなのである。「全国の障害者団体の一致した願いを法案として提出した。反対するならば、反対してみなさい。」と政府・与党は筋を通すべきであった。野党は反対出来るはずもない。
政府が調印した基本合意と政府が署名している障害者権利条約を基礎として作成された骨格提言を政府自ら無視し軽んじた罪はあまりにも重い。
私たちはどのような困難に遭っても、今後も法令廃止条項の要求を続け、基本合意と骨格提言を実現する内容の法律の制定を求めてあらゆる人々と連帯しながら闘い続けることを誓い、政府与党の暴挙に強く抗議し声明とする。
以上

2012/03/15 コミュニケーション・アシスト・ネットワーク(CAN)

いすみ市:特別支援学校と協定 大災害時、福祉避難所に指定 /千葉

2012年03月19日 02時00分48秒 | 障害者の自立
 いすみ市と県立夷隅特別支援学校(渡部勉校長)は、大規模災害発生時における福祉避難所指定協定を結んだ。県内では特別支援学校を福祉避難所として指定するのは珍しく、松戸市に続く先進例として注目される。

 市によると、福祉避難所は市内で地震や風水害など大規模災害が発生した場合、一般の避難所での共同生活が難しかったり、特別な配慮が必要な人とその家族が利用できる避難場所。市民と行政の話し合いの場で、支援学校の生徒や保護者から「障害者は一般の避難所生活には耐えられない場合がある」という声に、市側が応えた。今後、同校の体育館や教室などの施設が利用可能となる。開設期間は災害発生日から7日以内で、状況次第で延長される。

 渡部校長は「自分たちの施設が大規模災害時の避難所になるのは心強い。実効性のある福祉避難所にしたい」と話す。

毎日新聞 2012年3月18日 地方版

依存症「こうすると回復するよ」と伝える方が効果的と判明

2012年03月19日 01時57分11秒 | 障害者の自立
“依存症”の対象はたくさんあります。

砂糖依存症、摂食障害、アルコール依存症、メイク依存症などをお伝えしてきましたが、今回はアメリカの雑誌『Time』のニュースサイトから、依存症からの“回復”についての興味深い記事をお送りいたします。



アメリカでは、政府が毎年9月を“リカバリー・マンス(回復月間)”と定め、各地でさまざまな依存症回復に関するイベントが行われています。

依存症について、一歩先を進むアメリカでも「どういう状態を回復したと言うのか」、「回復した状態をキープするには、どうしたらいいのか」という疑問はついてまわるとのことです。

確かに、アルコール依存から回復した場合でも、二度とアルコールを飲まないことが必要なのだそうです。だとすると回復は大変なことで、キープも大変なことですね。

そんな中で注目されているのが、ニューヨークを中心に活動している“エクスポーネンツ(Exponents)”という、薬物依存からの回復プログラムです。

有益な社会福祉サービスを、薬物依存に直接関わらないものでも複数紹介することや、回復方法を複数提供して、ひとつに偏らないという考え方から出発したこのプログラムの創始者は、自身がアルコールと薬物の依存症から回復した経験を持ちます。

その創設者、ハワード・ジョセファー氏はこうコメントしています。

「依存症の治療においては、各患者の病理に焦点が当てられます。患者の何が正常ではないか、何を治すべきかに注目するというわけです。

しかし、回復の方法を教えるというアプローチを取ると、患者は治すべき人ではなく、学ぶ人となります。

学ぶ上で必要になるのはオープンになることと、受け入れることのみです。相手に異常なところがあると告げる必要がなくなります。

もちろん、治療の必要がないと言いたいのではありません。治療が効果的な場合もありうるでしょう。しかし、もっと創造的で柔軟であるべきだとは思うのです」

つまり、ネガティブな点を指摘することよりも、回復する方法を伝える方が効くのではないかというわけですね。



確かに、依存症でなくても「あなたはここがダメ」と告げられて、矯正が必要とされる状況よりも、「こうしていくと辛いことが減って、回復していくよ」と教わって、試す状況の方が、未来が明るい感じがしますよね。

その明るさが、次の回復を呼ぶのかもしれません。

エクスポーネンツは、もともとHIV感染に関する研究機関として出発しています。当時は薬物依存者の50%以上の人が、HIVに感染していました。

あまりの感染者の多さに、薬物を完全に絶つことよりも、薬物依存者に、感染を広げないことを呼びかけることを優先する必要がありました。

また、この活動のためにエクスポーネンツに勤めた人の中には、なんらかの依存症を持っている人が多くいました。

そのため、困難な完全な依存症からの脱却ではなく、その人が回復することに焦点を当てることが必要となっていました。

完全な依存症からの脱却とその人が回復することを分けることは、とても勇気が必要です。依存のもたらす害とも、ある程度共存するわけですから。



その結果はどうなったのでしょう? 一例を挙げてみましょう。

44歳のデリック・ライリー氏は、何年も薬物依存の状態で、勤めていた銀行を解雇された後、エクスポーネンツの前身団体に参加しました。

友人に紹介された時には全く聞く耳を持たなかった彼も、「自分はこの状態から抜け出した方がいい」と一念発起したそうです。

「他の治療を受けたことはありませんが、ここでの方法は私を勇気づけてくれます。私は薬物を大幅に減らしました。

他にすることが出来たので、楽しい日を過ごすのに、薬物を使う必要を感じなくなったからです」

大幅に減らしたということは、ライリー氏は、薬物を辞めたわけではないようですね。

エクスポーネンツ創設者のハワード・ジョセファー氏の回復の定義は、「持続的で、自分で責任を果たすことのできる生活」だそうですが、薬物やアルコール等で機能不全に陥った生活から、勇気づけられ、薬物使用が大幅に減少した生活への変化は驚くべきものです。

依存症からの回復を応援するには、このような包括性が必要なのかもしれません。依存症を持つ人に選択してもらう方法は、大混乱を招くのではないかと恐れる人も多いでしょう。

しかしエクスポーネンツの例では、より多くの人が回復を手にしています。もしかすると、依存症との戦いにとって最も大事なことは、相手の欠点ではなく、強さに焦点をあてていくことなのかもしれません。



いかがでしたか?

必要にせまられたために整えられた、回復の方法を教えるという取り組みでしたが、依存症治療の先進国アメリカでも、一般的な方法ではないようですね。

でも依存症に限らず、日常生活でもここがダメアプローチが効かないのなら、こうするといいよアプローチに変えてみることは役立つかもしれませんね。



【依存症の恐怖】

※ 「甘い物がやめられない」恐ろしい砂糖依存症の実態とは

※ あなたは大丈夫?知られざる摂食障害の恐るべき実態6つ

※ 手遅れになる前に知っておくべき依存症の友人を助ける方法

※ これは恐ろしい…身の毛もよだつ「メイク依存症」の実態


NEWSポストセブン

20年の「気持ち」 山口県萩市・伏谷江利子

2012年03月19日 01時53分01秒 | 障害者の自立
 平成4年3月18日、初めて投稿した随筆が「女の気持ち」に掲載された。自分の文と名前を見つけ、心臓が破裂しそうになった。「うちの文が載っちょる」と母にわざとぶっきらぼうに言った。あれから20年。高校生の私が思い描いていたのとはまったく別の人生を歩んでいる。

 家族が大好きで面倒なのが大嫌いな私は、地元の会社に就職して一生独身で過ごすと決めていた。ところが30過ぎて結婚した。しかも母の猛反対を押し切って。反対の理由は夫の両親が聴覚障害者だったから。式の日、母はお通夜のように憔悴(しょうすい)していた。

 家族は皆、生まれてくる子どものことを案じていた。生後すぐに検査で聴覚障害がないと判明した時は大喜びで安堵(あんど)した。しかし1年半後、息子は自閉症と診断された。

 自分の命より大切な息子が一生言葉を理解できないかもしれないと分かった時、何も書けなくなった。一番伝えたい人に伝えられぬなら、書くことに何の意味があるのか。

 心のすさんだ私が立ち上がるきっかけとなった一つが新聞の投稿欄だった。会ったこともない方々の「気持ち」を読んで元気をいただき、自分も少しずつ書いて心の整理をする。いつしか「息子のおかげで家族がみんな幸せなんだ」と思えるようになった。

 20年後、私はどんな「気持ち」をつづっているだろう。きっとまた、予想もできない明るい未来が待っている。

毎日新聞 2012年3月18日 西部朝刊

尊厳ある最期を自宅で 市民団体が佐賀市で公開講座

2012年03月19日 01時45分24秒 | 障害者の自立
 住み慣れた家で最期を迎えるための医療や訪問看護を考える公開講座が17日、佐賀市のメートプラザ佐賀で開かれた。在宅ホスピスケアに力を注ぐ医師の講演や、自宅で家族を看取(みと)った人たちの体験談を通して、尊厳をもって「生」を全うできる支援の在り方を考えた。

 にのさかクリニック(福岡市早良区)院長の二ノ坂保喜さんが講演。末期のがん患者の在宅生活について「家族も病院も不安に思いがちだが、『どういう援助があれば自宅で過ごせるのか』と考えるべき」と発想の転換を促した。

 その上で、心身の苦痛や、介護をする家族の負担を和らげる支援の仕組みを、地域の医療機関や訪問看護ステーション、ボランティアで連携して構築する必要性を力説。そうした在宅医療や緩和ケアを実際に受けながら、家族に囲まれた自宅や、同世代の患者が集うデイホスピスで、穏やかな表情で過ごす人たちの姿を写真とともに紹介した。

 県内の事例報告では、遺族に加え、担当した看護師や医療ソーシャルワーカー、医師らが体験を振り返った。がんを患った夫を自宅で看取った佐賀市の女性は「退院させるべきか迷ったが、『病院の廊下の延長と思ってください』と言われて、受け入れることができた」と回想。往診も訪問看護も素早い対応で「廊下は短かった。症状をみながら家事もでき、病院に付き添うよりも助かった。夫も最期は眠るような感じで、家を選んで良かった」と話した。

 登壇した関係者は、個人の意思を最期まで尊重し、選択できるようにする重要性を指摘。末期がんに限らず、別の重篤な疾患や小児難病患者にも同様のケアを普及させる必要性を確認し合った。

 講座は市民団体「在宅ネット・さが」=事務局・矢ケ部医院、電話0952(29)6121=が開き、約250人が聴講した。


在宅ホスピスケアについて語った二ノ坂保喜さん=佐賀市のメートプラザ佐賀

佐賀新聞ニュースー2012年03月18日更新