一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

Winny事件判決について(つづき)

2006-12-15 | 法律・裁判・弁護士

昨日の消化不良のエントリの補足です。

asahi.comに詳しい判決要旨が載っていました。  

●被告の行為と認識

結局、外部への提供行為自体が幇助行為として違法性を有するかどうかは、その技術の社会における現実の利用状況やそれに対する認識、提供する際の主観的態様によると解するべきである。
 

被告の捜査段階における供述や姉とのメールの内容、匿名のサイトでウィニーを公開していたことからすれば、違法なファイルのやりとりをしないような注意書きを付記していたことなどを考慮しても、被告は、ウィニーが一般の人に広がることを重視し、著作権を侵害する態様で広く利用されている現状を十分認識しながら認容した。  

そうした利用が広がることで既存とは異なるビジネスモデルが生まれることも期待し、ウィニーを開発、公開しており、公然と行えることでもないとの意識も有していた。  

 ●幇助の成否  

ネット上でウィニーなどを利用してやりとりされるファイルのうち、かなりの部分が著作権の対象となり、こうしたファイル共有ソフトが著作権を侵害する態様で広く利用されている。  

ウィニーが著作権侵害をしても安全なソフトとして取りざたされ、広く利用されていたという現実の利用状況の下、被告は、新しいビジネスモデルが生まれることも期待し、ウィニーが上記のような態様で利用されることを認容しながら、ウィニーの最新版をホームページに公開して不特定多数の者が入手できるようにしたと認められる。
 

これらを利用して正犯者が匿名性に優れたファイル共有ソフトであると認識したことを一つの契機とし、公衆送信権侵害の各実行行為に及んだことが認められるのであるから、被告がソフトを公開して不特定多数の者が入手できるよう提供した行為は幇助犯を構成すると評価できる。  

これを読むと幇助行為の違法性とか構成要件などはかなりわかりやすく整理された判決だと思います。  

これに対して Impress Watchの「Winny」開発者の金子勇氏が会見、本日中に控訴へ によると  

金子氏は有罪判決について(中略)
「私は何をすればよかったのか、何が悪かったのか。未だによくわかっていない」と述べた。

うーん、事実認定が誤っているといいたいのかもしれませんが、「何が悪かったのか」については上の判決骨子にも書いてあるように思うのですが。  

また、著作権法違反の幇助とされたことについては、「開発するだけで幇助になる可能性があるということは、日本の開発者にとっては足かせになると考えている」  

これも判決は「開発するだけで幇助になる可能性がある」とは言っていなくて「犯罪行為を幇助する可能性を認識していること」がポイントだと指摘していますよね。  

弁護団の事務局長を務めた壇俊光弁護士は、(中略)
今回の裁判所の判断については「誰かが、不特定多数の人が悪いことをするかもしれないとを知っていて、技術を提供した者は幇助なんだということを、裁判所が真っ向から認めてしまった。これは絶対変えなければならない。高速道路でみんなが速度違反をしていることを知っていたら、国土交通省の大臣は捕まるのか」とコメント。  

上の批判は、この判決が中立的行為による幇助の構成要件としてあいまいすぎる、ということなのかもしれませんが、そうだとしたらもう少し具体的な指摘をしたほうがよかったのではないかと思います。例示としても極端ですよね(個別に文句はつけませんが) 。 

有罪とされたことに対しては、「ファイル共有というものに対する偏見だと思う。 P2P、ファイル共有の技術は出てから数年しか経っていない。まだ黎明期の技術。裁判官はそこを理解していない。将来ファイル共有の技術がインフラになったときに、同じことが言えるのか」と訴えた。

下線の部分は、ソフトウエアの共有が送信化可能権の侵害になるのか、という議論だと思います。
確かにファイル共有技術が普及して、インターネット上でダウンロード可能な状態にあるということ自体がファイル交換を容認していると言われても仕方がないと言えるような状況になって、しかも逆にASP(っていうんだっけ?)のように、ソフトウエアをクライアント側のPCに置かずに利用できる技術がある、という時代であれば、裁判所の判断は変わっていた可能性はあると思います(またはすでにそういう時代になっている前提で裁判所を批判する方もいるかもしれませんが、それなら被告人弁護団の主張立証の力不足ですよね)。  

そもそも猥褻図画とか麻薬のようにそもそも頒布することの悪性が高いという社会的コンセンサスがあるものは個別に犯罪として規制されているわけで、「幇助」でしか立件できないのは犯罪としては微妙な位置にいるわけです。
ITに限らず昔から新しい技術はすぐには世の中に受け入れられず、世の中の進歩によって境界線にあったり「黒」だったものがやっとこさ「白」に変わるということはよくあることです。なのでWinnyが有用な技術であれば「もう既に時代は変っているんだよ」と正面から陽の目を見させるように働きかけをしていくことは大事だと思います。
(でもそうだとすると「黎明期の技術」と言ってしまうことはマイナスのような感じもしますが・・・)

結局この問題は

① 金子氏がWinnyが著作権侵害に使われることについてどの程度の認識があったかという事実認定の問題
② Winnyの提供のような中立的行為が幇助になるための基準という法律論
③ ファイル共有自体は「送信化可能権の侵害」ではないという立法論なり社会的議論

に分けられるように思います。

逆にその辺を分けないで被告側(web2.0側??)から「検察ファッショ」(今回は警察か)、とか「裁判所の横暴」 とか言うだけではなかなか世の中は変っていかない(そう変るのが正しいのであれば、ですが)のではないでしょうか。

その意味では、上の金子氏の会見の記事の写真に「不当判決」という張り紙を貼ったり、感情的なコメントを出すことが有効なのかは個人的にははなはだ疑問です。
コメントを見るかぎりでは、控訴審で覆すような反論をロジカルな形でしていない(上の①②の部分)のでが気になります。
「自分はジャンヌ・ダルクだ」と言って今回は犠牲者になる形で次のビジネスチャンスにつなごう(=弁護士は広告効果、金子氏は回顧録で稼ごうとか)というなら別ですが・・・


 

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