古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

白頭山-大宰府跡-高千穂峰は一直線上

2009年07月28日 12時29分06秒 | Weblog
 大宰府跡と鹿島神宮の直線に意味があるでしょうか。
 阿武山古墳がその線上にあることのほかに、どの地点と意味のある三角形がつくれるかが問題になります。
 調べますと、大宰府跡-鹿島神宮の距離と同一になりそうなのが大宰府跡-白頭山のようです。
 直角になるところは見あたりません。
 そして、なんと、この白頭山-大宰府跡の直線上に高千穂峰がありました。

白頭山→大宰府跡
 ①166.474度 ②347.967度 ③966.8024km
 Ⅰ166°25′22.85″  Ⅱ347°54′58.34″ Ⅲ965,777.660(m)
白頭山→高千穂峰
 ①166.496度 ②348.207度 ③1151.663km
 Ⅰ166°26′38.15″  Ⅱ348°09′18.22″ Ⅲ1,150,286.034(m)
大宰府跡→高千穂峰
 ①168.100度 ②348.318度 ③184.8608km
 Ⅰ168°02′45.33″  Ⅱ348°15′50.93″ Ⅲ184,508.772(m)

 966.8024+184.8608=1151.6632・・・一致とみてよい
 965,777.660+184,508.772=1,150,286.432・・・0.398m違い・・39.8cm誤差

 これは白頭山を北緯42度0分0秒、東経128度5分0秒としています。
 そこで、試行錯誤の結果、北緯42度0分4秒、東経128度6分36秒に変えてみます。
 この位置ですと、大宰府跡-鹿島神宮・宮中の距離とも同一になります。

 大宰府跡→鹿島神宮・宮中
  Ⅰ70°47′11.72″  Ⅱ256°33′55.78″ Ⅲ965,380.735(m)

 白頭山→大宰府跡
  Ⅰ166°34′08.58″ Ⅱ348°02′45.19″ Ⅲ965,381.755(m)
 白頭山→高千穂峰
  Ⅰ166°34′08.60″ Ⅱ348°15′50.81″ Ⅲ1,149,890.527(m)
 大宰府跡→高千穂峰
  Ⅰ168°02′45.33″ Ⅱ348°15′50.93″ Ⅲ184,508.772(m)

965,381.755+184,508.772=1,149,890.527・・・ピッタリ一致

 北緯42度0分4秒、東経128度6分36秒を白頭山の位置とすると
 大宰府跡-白頭山の距離と大宰府跡-鹿島神宮・宮中の距離は同一となります。
 白頭山-大宰府跡-高千穂峰は一直線上になります。
 大宰府跡-阿武山古墳-鹿島神宮・宮中は一直線上になります。

 こんなことにこだわったところであまり意味はないでしょう。
 大和朝廷の測量がそこまで正確であったかどうかわかりませんし、鹿島神宮の宮中の位置もあいまいです。
 ただし、万一の場合は、紀元1000年ごろとされる白頭山の大噴火の前の山頂はそこだったかもしれません。(その前にも有史以前から何回も噴火があったでしょうから、そのときも今のような山の形だったかもしれませんが)

白頭山のどこにするか(無題高千穂・大宰府のポイントが一直線となるところです)


白頭山・大宰府跡・高千穂・阿武山古墳・鹿島神宮


白頭山・大宰府跡・高千穂峰


白頭山・大宰府跡・高千穂峰の線の九州の部分


白頭山・大宰府跡・高千穂峰の線の大宰府の部分


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中臣(藤原)氏の出身はなぜ... | トップ | 阿武山古墳-熊野速玉大社と... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事