古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

高麗寺の奇怪(きっかい)な位置

2010年12月07日 21時15分27秒 | Weblog
11/23に《皇大神社(元伊勢・内宮)-安土山-(阿武山古墳)-談山神社》の直角三角形をみています。
そして、吉備池廃寺跡が《皇大神社(元伊勢・内宮)-(阿武山古墳)-談山神社》の線上にあったことは12/2にみています。

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/b3d7f8401555225859356e2ce70ebee0

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/d37980b3e0e4fe9907ea2e7dad1c186e

今回、グーグルアースで安土山-談山神社の線上をみますと、寺のマークが線上にありそうです。
高麗寺という寺でした。
こんな位置にあるのは古代からの寺に違いないと考えました。
私の考えでは《安土山-談山神社》は百済関連で結ばれているはずです。
それなのに、なぜ高句麗関連の寺があるのが不可解でした。
しかし、日本では白村江の戦いで敗北するまでは、百済-高句麗の連合の時代があったはずですから、その名残かとも考えました。

そこで‘ウォッちず’で高麗寺を検索すると
● 高麗寺跡 (こまでらあと) / "京都府木津川市"
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344459&l=1354936

この高麗寺跡しかでません。
この線上の高麗寺とは高麗寺跡のことなのか、と考えました。
グーグルアースにも木津川が映っています。
ところが、しばらくわかりませんでしたが、まるで違う場所でした。

‘ウォッちず’には‘童仙房 ’ (どうせんぼう)という地名が出ていますが、そこのようです
● 童仙房 (どうせんぼう) / "京都府相楽郡南山城村"
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344845&l=1360015

高麗寺本堂・・・グーグルアースとマップから想定すると、‘ウォッちず’では下記の位置です。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344845&l=1360003

驚いたことに、安土山-談山神社の線上にある高麗寺は最近造られた寺院でした。そして、高麗寺といっても高句麗を意識したものではなさそうです。

高麗寺跡に存在した寺院は高句麗から渡来した狛氏の氏寺だったとされているらしいです。
http://www.city.kizugawa.lg.jp/article.php?id=473&f=275&t=cat
《田園のなかにたたずむ高麗寺跡は、7世紀初頭(飛鳥時代)に創建された国内最古の寺院跡のひとつで、相楽七郷中の大狛郷に属し、高句麗からの渡来氏族狛(高麗)氏の氏寺として創建されたと考えられています。
高麗寺は、文献資料から天平年中(奈良時代)に存在したことが「日本霊異記(にほんりょういき)」に記され、その他「今昔物語集」にも説話が収録されています》

さて、問題の高麗寺ですが、


http://souraku.net/forest/kourai_temple/index.html
《高麗寺は、日本に住む韓国人、または在日二世の心のよりどころとして開かれました。
なぜ童仙房で? 以前、管長に聞いた話ですが、奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院があったと韓国の文献に記されているそうです。そのことは、日本の文献には記されていません。管長はその歴史をたどって場所を探し、奈良から北東に当たる童仙房へ行き着いたのだということです。》
《高麗寺は韓国の曹渓宗という宗派の寺院です。日本で、宗教法人格を取得しており、正式には「宗教法人曹渓宗総本山高麗寺」といいます。曹渓宗は、禅宗の系統で、日本で言うと、曹洞宗が近い宗派です》

http://souraku.net/forest/kourai_temple/02_history.html
《1975年に高麗寺の土地が確保され、1978年に本堂が落慶され、2008年で30年が経ちました。その間に境内が整備され、人々の信仰を集めています。》

建立されてから、2010年でまだ32年しか経っていません。
面白いことに、平城京の鬼門の方角に寺院があったと韓国の文献に記されていますが、日本の文献には記されていないそうです。

しかし、平城京の鬼門というだけでは、この位置に到達することは至難でしょう。
しかも、平城宮の位置から見ると高麗寺は鬼門になりません。
どこから北東45度になるでしょうか。
大安寺だと47度弱、春日大社だと43.7度ぐらい、東大寺大仏殿だと、ありゃ
大安寺、東大寺大仏殿と高麗寺は一直線上です。


また、この高麗寺の位置の奇怪さは安土山-談山神社の線上というだけではないのです。
さらに、大安寺-東大寺大仏殿と一直線上になるというだけでもないのです。

阿武山古墳-談山神社-安土山は直角三角形でしたが、高麗寺はこの三地点とほぼ同一距離にあります。

高麗寺→談山神社
 ①198.317度 ②18.2380度 ③40.57305km
高麗寺→阿武山古墳
 ①278.205度 ②97.9586度 ③39.74372km
高麗寺→安土山
 ①18.2769度 ②198.356度 ③40.15947km

談山神社→安土山
 ①18.2180度 ②198.376度 ③80.73251km

 40.57305+40.15947=80.73252km・・・1cm違い

一体全体、韓国の文献にはどんなことが書かれていたのでしょうか。
どうして、高麗寺は「日本に住む韓国人、または在日二世の心のよりどころ」として、この位置に建てられたのでしょうか、ぜひ知りたいものです。(教えてもらえない気がしますが、・・)

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