ついでに、さきほど示唆した「卑弥呼以て死す」以前の文章の重要な誤りの指摘をしておきます。後で詳しく書く予定です。
まず方位です。陳寿は卑弥呼トヨが西から東に移動したことを知らなかったために、東にある邪馬台国、投馬国の位置を南と勘違いしました。東が真実の線で南が仮想の線となります。真実の線を時計回りに90度動かすと仮想の線になります。この方位変更はあらゆる所で「記・紀」に利用されています。『天孫降臨』の日向への直線もそうなっています。『稲羽の素兎』『神武東征』『継体天皇の出身地』『応神天皇の禊』などもそうです。
次に、陳寿は『敵と味方』を逆にしています。卑弥呼と彼女の弟が、初めから、敵対関係にあるとされているのです。卑弥呼と卑弥弓呼です。卑弥弓呼は卑弥呼の弟のはずです。彼らが‘素より和せず’ということはありえません。当たり前ですが、彼らは同じ国に属していたのです。卑弥弓呼は狗奴国の男王と、陳寿は記述しましたが、違います。正しくは奴国の男王です。
ですから「記・紀」においても敵・味方は逆になっているところがあります。信じられないでしょうが、「神武東征」がそうなっています。おっかないのですが、他にもまだそんな所がありそうです。「倭人伝」と「記・紀」を付き合わせるとそうなるしかないのです。
陳寿は頭を絞って同じ間違いをしていました。これも偶然というには、後の歴史を考えると、あまりに運命的・奇跡的なのです。陳寿は日本からの情報をうまく整理できませんでした。無理もないのですが・・・。この問題の根本的な原因も、陳寿は卑弥呼が二人いたことに気づかなかったことによります。
後に説明しなければならないときがきますのでそのとき説明します。
また陳寿は重要な国に関してとんでもない勘違いをしています。伊都国です。
伊都国は、対馬、壱岐、松浦、に続く国とされています。そして、どなたも伊都国を糸島郡あたり
の国ととらえ、ここまでの国々の地理は間違いないとされています。問題なのは次の奴国からだとされています。しかし、違うんです。
陳寿は二つのかなり遠く離れた二国を伊都国として一つにしてしまいました。
伊都国については「倭人伝」では次の二つがあります。
まず方位です。陳寿は卑弥呼トヨが西から東に移動したことを知らなかったために、東にある邪馬台国、投馬国の位置を南と勘違いしました。東が真実の線で南が仮想の線となります。真実の線を時計回りに90度動かすと仮想の線になります。この方位変更はあらゆる所で「記・紀」に利用されています。『天孫降臨』の日向への直線もそうなっています。『稲羽の素兎』『神武東征』『継体天皇の出身地』『応神天皇の禊』などもそうです。
次に、陳寿は『敵と味方』を逆にしています。卑弥呼と彼女の弟が、初めから、敵対関係にあるとされているのです。卑弥呼と卑弥弓呼です。卑弥弓呼は卑弥呼の弟のはずです。彼らが‘素より和せず’ということはありえません。当たり前ですが、彼らは同じ国に属していたのです。卑弥弓呼は狗奴国の男王と、陳寿は記述しましたが、違います。正しくは奴国の男王です。
ですから「記・紀」においても敵・味方は逆になっているところがあります。信じられないでしょうが、「神武東征」がそうなっています。おっかないのですが、他にもまだそんな所がありそうです。「倭人伝」と「記・紀」を付き合わせるとそうなるしかないのです。
陳寿は頭を絞って同じ間違いをしていました。これも偶然というには、後の歴史を考えると、あまりに運命的・奇跡的なのです。陳寿は日本からの情報をうまく整理できませんでした。無理もないのですが・・・。この問題の根本的な原因も、陳寿は卑弥呼が二人いたことに気づかなかったことによります。
後に説明しなければならないときがきますのでそのとき説明します。
また陳寿は重要な国に関してとんでもない勘違いをしています。伊都国です。
伊都国は、対馬、壱岐、松浦、に続く国とされています。そして、どなたも伊都国を糸島郡あたり
の国ととらえ、ここまでの国々の地理は間違いないとされています。問題なのは次の奴国からだとされています。しかし、違うんです。
陳寿は二つのかなり遠く離れた二国を伊都国として一つにしてしまいました。
伊都国については「倭人伝」では次の二つがあります。