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古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

⊿住吉大社-下関・住吉神社-日向國橘之小戸神社

2014年06月26日 11時32分22秒 | Weblog
今までは、伊弉諾尊(イザナギ)が黄泉の国から戻ってきて禊をした場所
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」を「阿波の橘湾」と考えてきました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/1a6402f2cfb490217ac6d057d6fb3667
(出雲大社-比婆・三国山-)-阿波・橘湾-安土城跡の三角形
2008年11月05日

これを捨てるわけではありませんが、「日向國橘之小戸神社」が実際に存在していました。(もちろん、以前も調べていたとは思うのですが、ダミー・目くらましではないかと考えていました。ですが、・・)

住吉大社の三神は伊弉諾尊の禊から生まれました。
《皇后の新羅征討に際しては,この神の和魂は皇后の守護を,荒魂は軍船の先導をした。新羅平定後,荒魂を穴門の山田邑(下関市一の宮町の住吉神社)に,和魂を摂津の住吉郡(大阪の住吉大社)に祭ったという。》
荒魂が下関市一の宮町の住吉神社、和魂が大阪の住吉大社に祀られたということで、至極単純に位置関係を観ました。









⊿住吉大社-日向國橘之小戸神社-住吉神社・下関
住吉神社・下関
北緯33度59分58.74秒 東経130度57分23.57秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=335958.74&l=1305723.57

住吉大社
北緯34度36分46.85秒 東経135度29分34.84秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343646.85&l=1352934.84

日向國橘之小戸神社
北緯31度54分49.15秒 東経131度24分28.59秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=315449.15&l=1312428.59

住吉神社・下関→住吉大社
 Ⅰ79°28′18.69″  Ⅱ262°01′46.71″ Ⅲ423,057.513(m)
住吉神社・下関→日向國橘之小戸神社
 Ⅰ169°32′15.62″ Ⅱ349°46′59.79″ Ⅲ235,162.202(m)
住吉大社→日向國橘之小戸神社
 Ⅰ232°56′53.31″ Ⅱ50°42′22.46″ Ⅲ484,175.728(m)

住吉神社・下関での角度
 169°32′15.62″-79°28′18.69″=90°03′56.93”≒90.0658度
住吉大社での角度
 262°01′46.71″-232°56′53.31″=29°04′53.40”≒29.0815度
日向國橘之小戸神社での角度
 360°-349°46′59.79″+50°42′22.46″=60°55′22.67”≒60.9230度

90度・60度・30度、辺の比が2:1:√3の直角三角形になっています。

しかし、なぜ住吉大社は航海の安全を祈願するのに「三神」を必要としたのでしょうか。
そこが気になりました。「海の神」ということで「一神」では良くなかったのでしょうか。

住吉大社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE
主祭神は以下の4柱で、住吉大神と総称され海の神として信仰される。底筒男命、中筒男命、表筒男命は合わせて「住吉三神」と呼ばれる。
第一本宮:底筒男命 (そこつつのをのみこと)
第二本宮:中筒男命 (なかつつのをのみこと)
第三本宮:表筒男命 (うはつつのをのみこと)
第四本宮:息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと) - 神功皇后 (じんぐうこうごう)に同じ。

http://kotobank.jp/word/%E5%BA%95%E7%AD%92%E7%94%B7%E5%91%BD
底筒男命 【そこつつのおのみこと】
日本神話に登場する航海の神で,住吉大神の1柱。伊奘諾尊が,黄泉の国の穢れを清めるため,筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊をして,水底で身をすすいだときに出現。このとき,水中では中筒男命が,水上では表筒男命が現れた。この3柱の筒男神が住吉大神であり,住吉大社(大阪市住吉区)の3座の祭神である。3神は,神功皇后に神懸りして三韓出兵を指示,また皇后の男子(応神天皇)出産を予言する。皇后の新羅征討に際しては,この神の和魂は皇后の守護を,荒魂は軍船の先導をした。新羅平定後,荒魂を穴門の山田邑(下関市一の宮町の住吉神社)に,和魂を摂津の住吉郡(大阪の住吉大社)に祭ったという。神功皇后と,その新羅征討には極めてかかわりが深いといえる。<参考文献>上田正昭編『住吉と宗像の神』 (寺田恵子)

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E4%BD%8F%E5%90%89%E4%B8%89%E7%A5%9E_%E4%BD%8F%E5%90%89%E4%B8%89%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
誕生
伊邪那岐尊と伊邪那美命は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生んだが、伊邪那美命が火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立った。その後、伊邪那岐尊は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。このとき、瀬の深いところで底筒男命が、瀬の流れの中間で中筒男命が、水表で表筒男命が、それぞれ生まれ出たとされる。

住吉三神と神功皇后
日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「反乱軍の背後には三韓の勢力がある。まず三韓を征討せよ」との神託を得た。しかし天皇はこの神託に従わず、翌年崩御した。その翌月、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて三韓へ出航した。このとき、住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り、荒魂は突風となり、神功皇后の船団を後押しするとともに、三韓の軍をおおいに苦しめたとされる。

http://www.odo-jinja.jp/rekishi.html
日向國橘之小戸神社
古事記によれば当社の御祭神伊弉諾大神様は、初めて結婚をされた神様といわれ、その後に日本の国土を創られたということから、縁結びや物事を良い方向に導く(いざなう)神様として崇敬されております。
また全国のすべての神社で奏上される「祓詞」にもあるように、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて禊祓をされた神様であり、そのようなことから“祓いの神様”として、厄祓や七五三等の人生節目のお祓いに訪れる方が多く見られます。
なお創建当時は日向灘に面した場所に祀られていたことから、航海の安全を守る神様として船会社からの信仰が篤く、境内に現存する一対の石燈籠は、元禄6年(1693年)に宮崎で最も古い豪商の一人である「日高屋」から奉納されたものであります。

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