古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

伊勢神宮・内宮と伊弉諾神宮の真ん中はマルコ山古墳

2011年05月03日 12時25分12秒 | Weblog
よたよたで、進んでいるかどうか、心もとないですが、とりあえず投稿します。
文武天皇陵-伊勢神宮・内宮の距離は約84km。
文武天皇陵-伊弉諾神宮の距離は約87kmでした。(前回参照)
そうしますと、3kmほどの差ですから、文武天皇陵の1.5kmほど西に真ん中となる地点があることになります。
ほぼその地点にマルコ山古墳があります。
名前だけは知っていましたが、その他は何も知りません。












グーグルアースでも写真は明瞭ではないので、どこにあるかピッタリとはいっていないかもしれませんが、位置としては、だいたい此処です。

マルコ山古墳  "奈良県高市郡明日香村"
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342739.60&l=1354726.15

http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/maruko/marukoyama2.html
《マルコ山古墳2
マルコ山古墳は明日香村大字真弓に所在する終末期古墳です。
周辺には牽牛子塚古墳や真弓鑵子塚古墳、そして束明神古墳が点在しています。
この場所は真弓崗と呼ばれた地域で飛鳥時代を演出した人々の奥津城として多くの古墳が築かれています。
マルコ山古墳もその一つで大正12年に刊行された『高市郡古墳誌』には「マルコ山塚」と記されています。
マルコ山古墳の本格的な調査は昭和52年から平成2年にかけて合計3回行われており、版築で築かれた墳丘の中央部分には凝灰岩で造られた横口式石槨の存在が確認されています。
内部からは漆塗木棺片や金銅製の飾り金具、そして人骨(30歳代の男性)などが出土しています。 》

マルコ山古墳→伊勢神宮・内宮
 ①90.1894度 ②270.718度 ③85.70527km
 Ⅰ90°10′53.72″  Ⅱ270°42′38.83″ Ⅲ85,942.287(m)
マルコ山古墳→伊弉諾神宮
 ①270.183度 ②89.6522度 ③85.95463km
 Ⅰ270°11′21.94″ Ⅱ89°39′30.95″ Ⅲ86,197.016(m)
伊勢神宮・内宮→伊弉諾神宮
 ①270.715度 ②89.6554度 ③171.6599km
 Ⅰ270°42′52.96″ Ⅱ89°39′16.86″  Ⅲ172,139.302(m)

85.70527+85.95463=171.6599km・・・一致
85,942.287(m)+ 86,197.016(m)=172,139.303(m)・・0.001m・・1mm違い
マルコ山古墳の位置は伊勢神宮・内宮-伊弉諾神宮の線上で,真ん中といっていいでしょう。(254m違い。さらに127mほど西にあればいいわけです)
で、この三地点と御神島を結びます。

御神島・141m→マルコ山古墳 
 ①180.571度 ②0.56367度 ③130.0936km
 Ⅰ180°34′21.28″  Ⅱ0°33′52.08″ Ⅲ129,881.835(m)
御神島・141m→伊勢神宮・内宮
 ①147.078度 ②327.607度 ③155.3161km
 Ⅰ146°57′08.66″  Ⅱ327°28′53.50″ Ⅲ155,272.092(m)
御神島・141m→伊弉諾神宮
 ①213.912度 ②33.3657度 ③156.3971km
 Ⅰ214°01′25.86″  Ⅱ33°28′37.80″ Ⅲ156,334.085(m)

御神島・141m-マルコ山古墳-伊勢神宮・内宮の三角形
マルコ山古墳での角度
 90.1894-0.56367=89.62573度
 90°10′53.72″-0°33′52.08″=89°37′01.64″≒89.6171度
御神島・141mでの角度
 180.571-147.078=33.493度
 180°34′21.28″-146°57′08.66″=33°37′12.62″≒33.6202度
伊勢神宮・内宮での角度
 327.607-270.718=56.889度
 327°28′53.50″-270°42′38.83″=56°46′14.67″≒56.7707度

御神島・141m-マルコ山古墳-伊弉諾神宮
マルコ山古墳での角度
 360-270.183+0.56367=90.38067度
 360-270°11′21.94″+0°33′52.08″=90°22′20.14″≒90.3723度
御神島・141mでの角度
 213.912-180.571=33.341度
 214°01′25.86″-180°34′21.28″=33°27′4.58″≒33.4513度
伊弉諾神宮での角度
 89.6522-33.3657=56.2865度
 89°39′30.95″-33°28′37.80″=56°10′53.15″≒56.1814度

前回の文武天皇陵の位置のときよりも合同に近くなっています。
マルコ山古墳が伊勢神宮・内宮-伊弉諾神宮のほぼ真ん中なのですから当たり前でした。
ところで、御神島-マルコ山古墳の線上に平城京の第一次大極殿や平城京・朱雀門がのりそうです。
文武天皇陵や高松塚古墳は当たり前ですが、藤原宮と結びついています。
平城宮とも結びつくことは結びつきますが、宮の東側の方になります。
ところが、マルコ山古墳と御神島の直線は第一次大極殿を通っているわけです。
想像を働かせましたが、マルコ山古墳が飛鳥時代に造られたとすると、想像とは外れます。
私の想像は以下です。
第一次大極殿は恭仁宮遷都740年までのものだそうです。
すると、マルコ山古墳は、740年以前に亡くなった方で、平城京に完全に遷都されたと考えられる720年以降、おそらく729年・長屋王の変以降に亡くなった方の墓ではないかと想像したのです。
第一次大極殿が意識されていたならば、そうなるでしょうが、全くあてにならない想像でした。
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