古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

⊿香椎宮-天河大弁財天社-五社神古墳

2016年11月08日 11時19分46秒 | Weblog
前回、
⊿高千穂峰-香椎宮-藤原宮跡、
⊿香椎宮-天河大弁財天社-藤原宮跡が直角三角形になることをみました。
ところで、香椎宮の祭神は
http://kashiigu.com/
主神 仲哀天皇・神功皇后
配祀 応神天皇・住吉大神

仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・

神功皇后には「息長」が入っていますので、神功皇后は「息長氏」の出身に想定されているように思えます。
しかし、仲哀天皇は「文武天皇」が投影されているはずです。
文武天皇は「草壁皇子」の子ではなく「高市皇子(天皇)」の子と考えています。
すると、高市皇子(天皇)の母は宗像氏《持統(鸕野讃良・うののさらら)と考えます》となっていますから、文武天皇は宗像氏系になります。
すると香椎宮は宗像氏系も息長氏系も祀っていることになります。

そして、息長氏も宗像氏も実際の政治から遠ざけられた状況で、香椎宮に祀られたものとなったのかもしれません。
というのは住吉大神が配祀されているからです。
といっても、説明しきれませんし、私の手には負えません。
そこで、逃げみたいな気もしますが、気づいたことがあります。
⊿香椎宮-天河大弁財天社-藤原宮跡は、前回みたように、寸詰まりとはいえ、直角三角形に違いありませんでした。
ところで、神功皇后陵といえば、五社神(ごさし)古墳です。
そして、五社神古墳は天河大弁財天社→藤原宮跡の延長線上に存在しました。

五社神古墳については以前やっています。下記以外にもいろいろ。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/e2fe70828cc7a3ffe3beda4005aa1aa2
五社神(ごさし)古墳の特異な位置 《神功皇后陵》 2010年04月30日

⊿香椎宮-天河大弁財天社-藤原宮跡は直角三角形でしたから
五社神古墳が天河大弁財天社→藤原宮跡の延長線上にあるならば、当然
⊿香椎宮-天河大弁財天社-五社神古墳も直角三角形になります。

まず、天河大弁財天社-藤原宮跡-五社神古墳は一直線になるでしょうか
天河大弁財天社→藤原宮跡
 Ⅰ354°11′12.85″ Ⅱ174°10′03.12″ Ⅲ31,116.195(m)
天河大弁財天社→五社神(ごさし)古墳
 Ⅰ354°30′32.81″ Ⅱ174°28′38.21″ Ⅲ53,858.033(m)
藤原宮跡→五社神古墳
 Ⅰ354°55′50.08″ Ⅱ174°55′05.24″ Ⅲ22,743.004(m)

31,116.195(m)+ 22,743.004(m)=53,859.199(m)
53,859.199(m)-53,858.033(m)=1.166(m)

結構離れている、とお思いかもしれませんが、藤原宮内であってもおかしくありませんし、かなり近いです。







⊿香椎宮-天河大弁財天社-五社神古墳
天河大弁財天社→香椎宮
 Ⅰ264°16′54.92″ Ⅱ81°16′18.06″ Ⅲ502,145.649(m)
天河大弁財天社→五社神古墳
 Ⅰ354°30′32.81″ Ⅱ174°28′38.21″ Ⅲ53,858.033(m)
香椎宮→五社神古墳
 Ⅰ75°08′45.49″ Ⅱ258°08′36.51″ Ⅲ505,232.033(m)

天河大弁財天社での角度
 354°30′32.81″-264°16′54.92″=90°13′37.89”≒90.2272度
五社神古墳での角度
 258°08′36.51″-174°28′38.21″=83°39′58.30”≒83.6662度
香椎宮での角度
 81°16′18.06″-75°08′45.49″=6°07′32.57”≒6.1257度

香椎宮が息長氏・宗像氏の両方を祀っています。
天河大弁財天社が辺津宮・宗像大社の祭神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。
五社神古墳が神功皇后(息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと))の陵だとすると、この三つがつながることは意味がありそうです。
しかし、ずっと以前の、どなたかの陵を神功皇后陵に仕立て上げたのでしょうから、むしろ意味を持たせるために、神功皇后陵としたのでしょう。
で、どういう意味を持たせようとしたのかが問題となります。
おそらく、両氏の祟りを防ぐための方策だったとは考えますが、理解できていません。

形としては面白いと思えるものが、他にも出てくるのですが意味はまだまだ解りかねます。

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これは11/3でした。私の住所地からは富士山頂に太陽が沈むのがみえる頃のはずですが、・・・。





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