古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

五社神(ごさし)古墳の特異な位置 《神功皇后陵》

2010年04月30日 00時26分44秒 | Weblog
前回、この五芒星の中心は大極殿よりもっと北にあるはずだ、と考えました。
すると
 北緯34度42分23秒、東経135度47分7秒に五社神(ごさし)古墳がありました。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344223&l=1354707

 現在は神功皇后陵に比定されているようです。
 しかし、五社神という名前からして、五芒星と関わりありそうに思えます。
 ここが中心なのではないか、五つの社の神という名前はそれを顕しているのではないか、と普通は考えるでしょう。
(五つの社とは、伊勢、元伊勢、伊弉諾、伊吹山、熊野ということになり、熊野以外は「伊」が先頭についています。)

 ということでやってみました。
 すると驚いたことに、この五社神古墳から(唐招提寺・薬師寺・多神社・畝傍山・熊野本宮大社・大斎原)はほぼ真南になります。(すべてが一直線上というわけではありません)






 そして、五社神古墳から大斎原は96.9km、伊吹山頂までは97.1km、元伊勢外宮(豊受大神社)までは96.5kmとなります。(簡便にやっています。国土地理院の方をまだ使っていません。)
また五社神古墳から伊弉諾神宮までは89.6km、伊勢神宮・内宮までは90.48kmということに なっています。
 また、五社神古墳から五地点間の角度は、前回の大極殿を中心とする場合よりも、すべてが72度に近づきます。
 面倒なので、元伊勢は元伊勢外宮(豊受大神社)、伊勢は伊勢神宮・内宮、熊野は大斎原、伊弉諾神宮、伊吹山頂にします。

五社神古墳→多(おお)神社
 ①179.615度 ②359.616度 ③18.98563km
五社神古墳→薬師寺旧境内
 ①180.689度 ②0.68905度 ③4.229531km
五社神古墳→熊野本宮大社
 ①180.641度 ②0.63474度 ③96.22855km
A五社神古墳→大斎原(おおゆのはら)
 ①180.591度 ②0.58528度 ③96.90685km
B 五社神古墳→伊吹山
 ①35.3496度 ②215.706度 ③97.14261km
五社神古墳→伊富岐神社 
 ①40.7075度 ②221.115度 ③98.60698km

C五社神古墳→伊勢神宮・内宮
 ①107.717度 ②288.251度 ③90.48038km
E五社神古墳→伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
 ①252.476度 ②71.9475度 ③89.63004km

五社神古墳→元伊勢・内宮(皇大神社)
 ①324.671度 ②144.309度 ③98.7888km
D五社神古墳→元伊勢外宮(豊受大神社)
 ①323.443度 ②143.079度 ③96.53435km

A①-C①=180.591-107.717=72.874
C①-B①=107.717-35.3496=72.3674
360-D①+35.3496=360-323.443+35.3496=71.9066
(元伊勢・内宮にした場合・・70.6786度)
D①-E①=323.443-252.476=70.967
(元伊勢・内宮にした場合・・72.195)
E①-A①=252.476-180.591=71.885

 これ以上完璧にするのは無理だろうという地に五社神古墳はあるように思えます。
 五地点から五社神古墳に線を引き、さらに延長すると、ほぼ交点にぶつかる。
《たぶん。まだきちんとは検証していません。》
 





下鴨神社や御所の近く


五社神古墳から10本の線










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桜はすっかり若葉に。4/29・・・風強し。


4/29・ですが、大雨で流されて上流から桜の花びらがまだ川に大量に













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