前回のことに付け加えます。
本牟智和気御子の出雲での行動が、大嘗祭での儀式と根本において同じものであったなら、本牟智和気御子は天皇に即位していなければなりません。
しかし、垂仁天皇の次はオオタラシオシロワケノ天皇(景行天皇)で本牟智和気御子ではありません。
(ここで思い出すのが、以前にも書いたのですが、前は何か勘違いしていたようです。)
本牟智和気御子がしゃべれなかったのは、天智天皇の御子、建 . . . 本文を読む
カレンダー
最新記事
最新コメント
- 広島人/古代日本における鉄の重要性
- 永岡/またもや立ち止まり。
- ish/またもや立ち止まり。
- ともチャン/「藤原宮」の藤原の意味について
- 永岡/寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山について②
- 検索できました/寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山について②
- 永岡/なぜ日本では『古事記』『日本書紀』の二つがあるのか
- エロケン/なぜ日本では『古事記』『日本書紀』の二つがあるのか
- 永岡/堅塩媛(きたしひめ)改葬・推古の遺言について 再考
- 永岡/高市皇子は即位したでしょうか Ⅱ
バックナンバー
アクセス状況
アクセス | |||
---|---|---|---|
閲覧 | 472 | PV | |
訪問者 | 291 | IP | |
トータル | |||
閲覧 | 4,424,230 | PV | |
訪問者 | 1,357,119 | IP | |
ランキング | |||
日別 | 3,515 | 位 | |
週別 | 4,344 | 位 |
ブックマーク
- goo
- 最初はgoo
カテゴリー
- Weblog(1843)