この菟寸河(とのきがわ)は斐伊川にならなければなりません。
古事記の記述では菟寸河(とのきがわ)の西に高木が存在することになっています。これは、西ではなく南です。西が仮想としたならば、真実の方向は、時計回りとは90度逆の南となります。これまでと同じです。(邪馬台国は南ではなく、東だったからです.)
斐伊川の南に船通山はあります。
菟寸河(とのきがわ)という川の名前に‘菟’(うさぎ)が使われてい . . . 本文を読む
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