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小さな自然、その他いろいろ

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「さよならウラン、こんにちはトリウム」考

2011年05月21日 23時02分00秒 | 現代日本
蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人ですからの転載です。トリウムを使った原子炉があるそうです。非常に安全性の高い原子炉になるそうです。世界の原子炉は、今後この型に変わるかも知れませんね。
朱雀さんの2回にわたる記事を、つづけて一度に転載させていただきました。

1,さよならウラン、こんにちはトリウム

米中印が続々参入…福島原発事故で浮上した未来の原発

 去る1月25日、中国科学院(the Chinese Academy of Science)が“戦略的・先端科学技術特別プロジェクト”として、トリウム溶融塩原子炉の研究開発を行うと公式に発表した。その内容については3月3日の当コラムで紹介した。
 そして、3月11日の大震災による福島第一原子力発電所の事故だ。
 3・11震災発生までは、中国科学院の発表に対して世界のメディアのメインストリームはほとんど反応しなかった。しかし、3・11以後は変わった。
 
 

米国は持っていたボールを落としてしまった

 3月21日に英国のデイリー・テレグラフ(The Daily Telegraph)に掲載された「中国がトリウムでリードする(China is Leading The Way With Thorium)」と題する記事を見てみよう。要訳すると次のようになる。
 津波が福島ウラン原子力発電所を襲い、原子力に対する国民の信頼を失うことになる数週間前のこと。中国はトリウムをベースとする原子力発電の技術開発に乗り出したことを公式発表した。このことは、あまり注目を浴びることなく見過ごされた。
 中国科学院は、「トリウム溶融塩炉システムを選択した」と述べている。
 この、液体燃料のアイデアは、もともと1960年代に米国のオークリッジ・国立研究所の物理学者たちによって切り開かれた。しかし、米国は持っていたボールを落としてしまったのである。
 中国の科学者たちは有害廃棄物がウランより1000分の1以下になり、トリウム溶融塩炉は、本質的に悲惨な事故を起こしにくいシステムなのだ。
(Ambrose Evans-Pritchard)
 この記事の中では、元NASAのエンジニアで、トリウムの専門家であるカ-ク・ソレンセンのコメントも紹介している。
 「この原子炉は驚くほど安全な構造になっている。もし、過熱し始めると、小さな栓が溶けて溶融塩は鍋の中に排出される。津波で損傷して使えなくなるコンピュ-タ-も、あるいは電動ポンプも不要である。原子炉自体で安全が守られる
 「日本で見られたような水素爆発のようなことも起こらない。それは大気圧で運転されるからである。放射能漏れもなく、スリーマイル島、チェルノブィルあるいは福島のように制御不能状態が長く続くようなことはありえない
 

 

同じ量の燃料からウランの約90倍のエネルギー

 もう1つ、3月19日、ウオール・ストリート・ジャーナル(The Wall Street Journal)の「この先に異なる原子力はあるか(Does a Different Nuclear Power Lie ahead ?)」というタイトルの記事を要約して紹介しよう。
 福島原発事故は、結果的に原子力産業に再度“足かせをはめる”契機となりそうだ。
 日本に設置されている固形燃料ウラン原子炉は時代遅れの技術であり、より安全でかつコストの安い、全く異なった種類の核エネルギーによって置き換えられ、次第に消えていくだろうといった議論がここ数年の間に始まっていた。それが、トリウム液体燃料原子炉である。
 トリウムは連続的にウラン233を作ることによってトリウム自身の燃料を生み出し(=増殖させ)、同じ量の燃 料からウランの約90倍のエネルギーを生み出すことができる。ウラン233の核分裂反応によってプルトニウムその他核兵器製造原料を発生することがない。 トリウム溶融塩炉方式では、燃料が最初から溶融しているのだから、燃料棒のメルト・ダウンということはあり得ない。そして、核反応は冷却に従って減速され る。
 新しい技術は、常に完成するまでに成熟したライバル技術と格闘することになる。しかし、トリウムのライバルであるウランはすでにコスト面で沈没した。
 最初の鉄道ができた時、コストあるいは信頼性で運河と競争できなかった。今こそ、トリウムのポテンシャルを見いだすことを始める時だ。
(by Matt Ridley)
 
 この記事は3月19日に掲載されたわけだから、中国のトリウム溶融塩炉のことに言及してもよさそうなものだ。天下のWSJが知らなかったはずがないが、中国に先を越されたことを米国民にあまり広めたくないという力学が働いたのだろうか。
 
 トリウム溶融塩炉は、もともと米国が研究開発していたものだ。しかも、1965年から1969年まで無事故で成功裏に実証試験を終えているのである。しかし、米ソ冷戦時代、核兵器をつくるのに必要なプルトニウムが出ない原子燃料では困る。それに、燃料棒の取替えで儲ける仕組みになっているのに、液体燃料の溶融塩炉では企業としてうまみがない。当時、議会の公聴会で米ゼネラル・エレクトリック(GE)の社長が証言したそうだ。
 そして、ニクソン大統領は、溶融塩炉の開発責任者でオークリッジ国立研究所の物理学者、ワインバーグを解雇して、トリウム原子炉を封印してしまった経緯がある。このことを、デイリー・テレグラフの記事では、米国が「ボールを落としてしまった」と表現したわけだ。
 従って、中国科学院の発表で、溶融塩炉開発によって、知的所有権がすべて手に入ると言っていることについては甚だ違和感を感ずる。
 なお、中国科学院の責任者が記者に、ウラン原子炉は燃焼効率の悪い“石炭ストーブ”のようなものだと説明した。これはウラン型の欠点を説明するのにとても分かりやすい表現だ。それは、ストーブから排出される燃え残りの石炭殻のように、使用済み燃料の中に燃えるものがまだたくさん残っているからだ。だから、使用済み核燃料の再処理をして燃やしているわけだ。
 福島第一原発の格納容器の上に驚くほど大量の使用済み燃料が保管されているのは素人目にも異様だ。高レベル放射性廃棄物の最終処分場に難儀していることをうかがわせる。
 いずれにしても、ウラン型原子炉は技術の耐用年数が過ぎているのに、政治的力学によって何とか生き長らえさせようと悪戦苦闘している状態だ。経済合理性も失いつつあるのではなかろうか
 

 

オバマ大統領が言及しないのは、政治的な配慮か

 ブッシュ政権時代には、「原子力ルネッサンス」を打ち出し、増える核廃棄物のために、ネバダ州のユッカ・マウンテンに全米の核廃棄物を集めて貯蔵場の建設を計画した。
 しかし、オバマ大統領はこの計画を中止してしまった。自ら原子力発電所建設投資に助成することを決めながら、核廃棄物はどうするつもりだろう。トリウムを勘定に入れた政策とは考えられないだろうか。2009年4月5日には、チェコのプラハで核廃絶宣言を行い、ノーベル平和賞も受賞した。トリウム原子力なら核兵器製造に必要なプルトニウムが出ないので、核拡散防止につながる。それに廃棄物の量が圧倒的に少ない。
 米国には、オーストラリア、カザフスタン、カナダ、ニジェールといったウラン産出国のように安く採掘・精製で きるウランはない。しかし、2009年には、新しくトリウム資源が見つかり、米国地質調査所(USGS)によると世界一の資源保有国になったと発表してい る。そのほか、米国がトリウム原子力を視野に入れている状況証拠はいくつも出てきている。
 ただし、今のところオバマ大統領もエネルギー省長官(Dr. チュー)も一言もトリウムに言及していない。政治的な配慮であろう。共和党の政策、産業界のロビーストなど抵抗勢力は多いので、迂闊に打ち出せないのではなかろうか。我が国とて同様な事情があることは容易に想像できるというものだ。
 しかし、このたびの福島原発事故が、今後の我が国の、いや世界の原子力政策に深刻なダメージを与えたことは間 違いなかろう。今こそ、過去のしがらみを破り、目先のビジネスに拘泥しないように、新たな原子力政策を打ち出す絶好の機会である。しかし、大型石油タン カーのように急に舵を切ることはできないのだろう。
 

 

日本も潮流に乗り遅れないように願いたい

 幸いにしてトリウムの燃焼は溶融塩炉だけでしかできないわけではない。既存のウラン型原子炉にもトリウムを装荷が可能ということである。徐々に燃料をウランからトリウムへ転換して行けばよい。高速増殖炉だけは止めなければいけない。
 軽水炉型あるいはCANDU炉(カナダ型重水炉)などにトリウムと低濃縮ウランを使用する研究開発などもすでにノルウェー、カナダ、中国、インドなどで始まっている特に中国、インドはウラン資源はないがトリウム資源は豊富である。エネルギー独立のための国家戦略として力を入れているのは当然である。
 日本も世界の潮流に乗り遅れないように願いたいものだ。特に、インドの西海岸に多量に賦存するトリウム資源は、モナズ石という鉱物の中に6~9%入っているものであるが、甚だ好都合なことに、そのモナズ石の中には50%前後レア・アースが入っているのである。トリウムの副産物としてレア・アースが取れるというわけだ。
 一方、中国では、インドと異なるタイプの鉱床であるが、内モンゴル自治区の世界最大のレア・アース鉱山に、厄介な廃棄物としてすでに推定4000トンのトリウムが堆積しており、このトリウムを原子燃料に利用しようと動き出したのである。筆者は2009年9月に内モンゴルのレア・アース鉱山に近い包頭で行われた「核燃料としてのトリウム利用に関する国際会議(TU2009)」に参加して中国の本気度を読み取った。そして、1月25日の公式発表である。
 中国はレア・アースの輸出規制をますます強めてきており、世界で2012年危機説が広まっている。レア・アースとトリウムの関係をよく考慮して、我が国の国家戦略を早急に策定すべきと考える。
 福島原発事故のほとぼりが冷めるのを待って、政策当局、業界、そして学界がまたぞろ在来の政策に固執して悪戦苦闘する姿だけは見たくないものだ。
 
 
 日経ビジネスonline(2011年4月7日) 
 
 日経ビジネスonlineから記事を転載させて頂きました。(↑上をクリック)
 
 この記事を踏まえて、原発開発について私見です。
 
 
 
 トリウム炉は、濃度の放射性廃棄物が少なく、核兵器の拡散も抑止しながら、より安全に運転できる技術として注目されています。トリウム炉にも技術的な問題がないわけではないようですが、新たなエネルギー源として注目されます。
 
 しかし、日本においてトリウム原子炉や常温核融合技術の開発が、電力会社によって妨害されてきたと側面はやはりあるんじゃないかと思います。マスコミで取り上げられることもあまりないようなので、なんだかおかしいですね。
 
 このトリウム(原子番号90、Th)という物質はwikipediaによると「モナザイト砂に多く含まれ、多いもので10%に達する。モナザイト砂は希土類元素(セリウム、ランタン、ネオジム)資源であり、その副生産物として得られる。主な産地はオーストラリア、インド、ブラジル、マレーシア、タイ」なのだそうです。上の記事によると、中国には内モンゴル自治区にトリウムがあるとのこと。
 日本がトリウム資源を安定的に確保できるのかどうか、その点も注目されます。
 
 一方、ウランは日本海流で採取する技術があり、あともう少しでコスト面で採算があるところだと言われています。日本海流からウランを採取して、原子力発電をすることができるようになれば、まさに自主エネルギーの開発ができるところでした。しかし、今回の福島第一原発の事故で、事態は暗転してしまいました。従来のウラン型原子力発電を続けることはかなり厳しくなっていると思います。
 いかに低線量率放射線が健康に害悪をもたらすものでないとしても、広範な地域に放射性物質が飛散すれば、目に 見えないだけに大変な混乱と不安をもたらしてしまいます。事故が起こり、原子炉を冷却するために、現場職員の皆さんだけでなく、自衛隊、消防庁、警視庁、 米軍まで乗り出さなければならず、下手をすれば収束に数十年もかかるとなれば、周辺住民への賠償も含めて考えて、経済的合理性は失われてしまいます。
 経済的合理性を考えれば、長期的にトリウム型原子力発電の可能性もあるのではないかと思います。(その場合自主エネルギー開発の道は閉ざされてしまいますが。)
 
 ただ、敢えて言うと、従来の原子力発電所をもっているだけで、世界の国々からは「日本は核をもっている」とみ なされる面が現実としてあります。いかにIAEAに管理されていると言っても、日本はウランだけでなく、プルトニウムを持っている時点で、日本は世界から 潜在的な核保有国とみなされています。
 もちろん、実際には日本が核武装するにはいくら早くても数か月以上はかかるのですが、逆に言えば、日本はウラ ン型原子力発電所・プルサーマル型原子力発電所があることによって、「核」という外交カードが使えることになります。しかし、もし日本が完全にトリウム型 原子力発電に移行してしまえば、同時にこの外交カードを失ってしまうということも忘れてはならないと思います。
 
 私自身は絶対的な核武装論者ではありませんが、核武装という可能性を残しておくべきだし、核武装という外交カードを残しておくべきだと思っています。
 
 エネルギー源の確保、経済的合理性、核武装、外交カードなど
 さまざまな点から考え、最後は政治判断として優先順位を決めてゆかなければなりません。
 
 

転載元 転載元: 蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です

転載元 転載元: 蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です


御心

2011年05月20日 21時57分56秒 | 現代日本

 
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民主党幹事長・岡田の非日本人的な対応。


 
・・・ 
櫻井よし子氏は自身のブログでこのように書いておりました。
藤原正彦氏が『日本人の誇り』(文春新書)で日本文明の価値を、欧米人が至高の価値とする「自由」や「個人」の尊重と対比させて、「秩序」や「和」に求め、こう書いた。
 
「(日本人は)自分のためより公のために尽すことのほうが美しいと思っていました。
従って個人がいつも競い合い、激しく自己主張し、少しでも多くの金を得ようとする
欧米人や中国人のような生き方は美しくない生き方であり、そんな社会より、
人びとが徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会のほうが美しいと考えてきました」
 
「実はこの紐帯こそが、幕末から明治維新にかけて我が国を訪れ日本人を観察した
欧米人が『貧しいけど、幸せそう』と一様に驚いた、稀有の現象の正体だったのです。
日本人にとって、金とか地位とか名声より、家や近隣や仲間などとのつながりこそが、
精神の安定をもたらすものであり、幸福の源だったのです」
・・・
 
「現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、
多くの人々が、食料、飲料水、燃料などの不足により、
きわめて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより、
被災者の状況が少しでも好転し、
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています」
 
東日本大震災から6日目の3月16日、
陛下はビデオで国民にお言葉を発せられました。
 
櫻井よし子氏はこれについてこのように書いています。
「それは、皇室が常に国民と共にあり、国民のために祈り、励まし、
精神的支柱とならんとしていることを示している。
・・・。
大東亜戦争に敗れ、史上初めて他国の占領下に入ったとき、
昭和天皇は国民に向けてこう発信された。
1946年の歌会始でのことだ。

 
降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ

 
厳しい寒さの中に、凛として青々と立ち続ける松の雄々しい姿こそ、
国民の姿であれと詠われたのだ。
和と絆で支え合う日本国民は国難に直面するや最も雄々しい人々となる。
課題に正面から向き合い、闘い、励まし合い、必ず立ち直る勁(つよ)い人々である。
日本国民はそうして生きてきたのであり、常にそうあらねばならない。
立派な国民であれ、雄々しくあれと詠われた。」
・・・・・
 
 
昭和天皇の大御心を感じるエピソードを記しておきます。・・・
 
昭和天皇は昭和21年2月、凍るような日に皇居を出て川崎に向かわれた。
戦後の地方御巡幸のはじまりです。
神奈川県から昭和29年の北海道に至るまで、
アメリカ軍政下の沖縄を除いて全都道府県を巡られました。
 
御巡幸はのべ165日にわたり、距離にして33000キロ以上に及びました。
陛下が背広を着て皇居の外に出られたのはこれが初めてのことでした。
 
敗戦までは、沿道に出ている人々は御料車が近づくと、通過して遠ざかるまで敬礼するか、
そのあいだ土下座をして頭を下げていなければなりません。
そして、警官か憲兵が数メートル間隔で並んでいました。
もちろん誰であれ高い所から見下ろすようなことは許されませんでした。
 

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昭和天皇は川崎で二つの工場を視察されました。
工員や女子事務員の前で立ち止まられて、
「生活状態はどうかな」
「食べ物は大丈夫か」
「家はあるのか」
と質問されました。
 
返答があるとその都度、
「あっ、そう。 あっ、そう。」と答えられました。
 
陛下はにわか造りの粗末な木造建ての共同住宅に入られて
戦火の被災者を見舞われました。
「どこで戦火にあったの」
「冬は寒くないかね」
「生活はひどくないかね」
とおたずねになりました。
 
小学生には「学校の道具は燃えなかったの」と聞かれました。
「はい、焼けませんでした」とお答えすると、
「それはよかったなあ」と頷かれました。
 
ある部屋には、表に『御下賜』と書かれた義足の箱がありました。
陛下は「ご主人はどうしたの」とたずねられました。
「フィリピンで・・・」と感動して泣きながら婦人がお答えすると、
「夫をなくして、困っていることはないか」と聞かれました。
「いえ、負傷しただけで、今日も工場へ参っております」という返答に、
「ずいぶん働いてくれたんだね。それはご苦労だったね」
とねぎらわれました。
 
陛下が行幸されているというニュースが広まると、
多くの近隣の住民が集まってきました。
陛下の車が近づくと、沿道に並んだ国民は帽子をとり、襟巻をはずした。
陛下が車の中から会釈されると、
合掌する者、
「もったいない、もったいない」とつぶやきながらすすり泣く者、
「申し訳ございません!」と絶叫して最敬礼する者、
土下座する者など、
そして、陛下の車が目の前から去ると、どこからともなく「君が代」の合唱が起こり、
みんなが泣いていました。
 
昭和22年6月、兵庫県を御巡幸された時のことです。
酒造組合や武庫川高女を廻られた日は神戸女学院で昼食をおとりになりました。
昼食後、陛下が御休所を出られると、
校庭には職員、生徒、卒業生、父兄等五千人が待機していました。
突然前方に並んでいた七百人の専門部の学生が、
「讃美歌第四百十二番(祖国)」を二部合唱で歌い始めました。
 
わが大和の 国をまもり あらぶる 風をしずめ
代々やすけく おさめ給え わが神 ・・・
 
合唱のメロディは静かに流れる。
陛下に、「次へ」とお促し申し上げても、
そこに釘づけにされたかのように動こうともされません。
 
歌が進むにつれて、歌う女学生みんなが泣きながら合唱を繰り返しました。
歌は、ときどき涙にとぎれる。
みると陛下もまた泣いておられる。
お目は涙に濡れて光り、何度もしばたたかれる。
侍従長をはじめお付きの人々もみんな泣き、数千の奉迎者も、また涙を流す。
嗚咽のうちにつづく歌声のあとに、
陛下は静かに玄関を離れられました。・・・
   
 

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昭和22年12月、陛下は原爆の地・広島を御巡幸されました。
ここでも陛下が泣かれました。
市の境の近くで、84人の戦災孤児が並んでお迎えしていました。
陛下はお車を停めて降りられると、子供たちのそばまで行かれ、
慰めの言葉をかけられました。
そして、原爆によって髪の毛が抜けおちた男の子の頭をかかえこむようにして抱かれると、
あふれる涙を指先でぬぐわれ、しばしば目頭を押さえられました。
   
群衆は陛下が泣かれるのを見て、そろって嗚咽したのです。
   
   
・・・
 
 

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転載元 転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


何でもかんでもアメリカのせい!?(平田オリザ)と、 菅総理への辞職勧告文

2011年05月20日 15時54分29秒 | 現代日本

  新“敬天愛人”のブログ  からの転載を二つ紹介します。いつもながら敬天愛人さんのブログの、ズバリと確信をついたような洞察力、小気味良い論調は、 きもちいいですね。

 

             
 最も信用できない顔  

 
御来訪感謝申し上げます。

 21日から日中韓首脳会談が行われます。開会式を福島市で行なうとか行なわないとかと騒がれていましたが、とにかく中韓の首脳がそれぞれに被災地を訪問するようです。
 日本の大震災の混乱に乗じて、海自護衛艦に異常接近するなどの挑発行為を続ける中共とその私兵である人民解放軍、竹島付近に海上基地建設を進める韓国。
 まさかの時の友は本当の友、と言いますが、裏返せばまさかの時に友か敵かが解るということだという戒めでもあると理解しています。
 そうであるならば、今回ほど「日中友好」「日韓友好」など欺瞞に満ちた現実離れの戯言であることがよく解りました。
 共に「貢少なくして利多く貪る」を国是とするお国柄です。我が日本とは水と油に等しい関係にあることはいうまでもありません。
 どんな首脳会談になるのかも、始まる前にすでに見当が付いてしまうのも悲しい我が国の外交力のレベルです。

 冒頭画像のキモイ男は劇作家の平田オリザです。
 未だに不思議で仕方なかったのは、なぜこんな男が内閣官房に入れたかということでありました。鳩山政権時代に請われたそうですが、下記の報道を見て合点がいきました。

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汚染水放出「米の要請」 平田参与、韓国で発言
産経新聞 5月18日(水)15時33分配信

 
劇作家の平田オリザ内閣官房参与が17日にソウル市内で講演し、福島第1原発事故の対応で 放射能汚染水を海に放出したことについて、米政府からの強い要請を受けたものだったと発言していたことが18日、分かった。平田氏の説明が事実なら、「外 圧」で汚染水を放出したことになり、国際社会で波紋を呼びそうだ。

 平田氏は講演で「汚染水の処理の問題では通告が遅れ、韓国の方々にも大変な迷惑をかけた。理解いただきたいのは、流された水は非常に低濃度で、量も少ない。米政府からの強い要請で流れた」と発言した。

 東電が低濃度汚染水を海に流し始めたのは4月4日。各国への事前通告が間に合わず、韓国やロシアなどから批判を浴びた。

 枝野幸男官房長官は18日の会見で、「少なくとも私は承知していないし、放出について米国に事前に通告したとも聞いていない」と述べて、米政府の要請との発言を否定。「どういう認識での話なのか後ほど確認したい」と平田氏に事情を聴く考えを明らかにした。

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以前から何度か申し上げているように、不肖敬天愛人は人間、特に男を品定めする時は顔で判断しています。
 男の顔として最も嫌いな部類が、平田オリザのような、顔にしまりがなく男らしさを感じないオバサン顔と言った方が適切な顔であります。

 たまにNHKの番組に出ていたので1~2度顔を見ただけですが、敬天は独断と偏見ですぐにその人の人となりについて結論を出しますから、顔を見た瞬間「自分には縁のない人」と全く興味を持ちませんでした。

 したがって、内閣官房参与に登用されたことは知っていましたが、鳩山が選ぶくらいだからやっぱりロクなヤツじゃないと、自分の判断基準が間違っていないことを再確認したという程度の認識でしかありません。
 「21世紀は近代国家を解体する100年になるので・・・・・、そのお役に立ちたい」とのたまわっていたそうですが、まさに典型的な共産主義者らしく、日本解体を目論む民主政権らしい人選でもありました。

 上記引用記事にある平田の発言は、在韓駐日大使館主催の原発事故の風評被害や震災後の観光情勢についての理解を得る事を目的としたイベントでのことだったらしく、内閣官房参与という政府の人間の立場としての発言でした。
 どういう意図で発言したのかは知りませんし、いくら内閣官房参与といっても民間から登用された人間が、日米間の外交上における最大の機密事項ともいうべき微妙な問題を簡単に知る術があったとは思えませんから、本人の想像の域を超えていないのではないかと見ています。

 何でもアメリカのせいにすれば事は収まると単純に考えている向きが多いようですが、アメリカにしてみれば迷惑この上ない話であります。
 仮に事実だったとしても、「それをいうか!!」となるはずです。
 さらに、事実だったとして「放射能汚染水」を海に放出したのが、なぜ「米政府からの強い要請」だったのかを説明しなければなりません。
 「強い要請」をする理由が当然あるはずだからです。
 そういう説明も無しに、単に「米からの強い要請によって流した」というのでは「アメリカがそうしろ、と言ったからそうしたまでだ」という開き直った弁解になるだけです。
 いやしくも政府の人間という立場にある者が外国の地で口に出す発言ではありません。
 平田の役目は、内閣の閣僚たちに「国家解体を目指していることを悟られずに国民をだましていく発言方法を伝授すること」らしいのですが、その方法とは「困った時は何でもかんでもアメリカのせいにして発言する」というものではなかったのかと睨んでいます。
 小悪党はすぐに尻尾を出すのです。

 平田も親中・親韓の売国奴であり、国家解体を目指す共産主義者である以上日米関係が強固なものになるのは自分たちの目的遂行には障害となるばかりです。
 日本解体を目論むには日米の離間が必須条件です。
 まずは自分が一年間留学した「米国の強い要請では何も言えない」韓国でぶちあげることによって、原発処理にあたっての日米間の確執を印象付けて既成事実 化し、21日から始まる日中韓首脳会談において、今回の震災で米側に傾斜した日本の立場を中韓シフトに調整するための布石狙いではなかったか、との穿った 見方をしています。 

 菅内閣は従米内閣だ、民主党も隷米だと親中派がまたぞろ騒いでいますが、工作員でもある親中派の狙いは反米派の保守までも取り込もうと画策していると敬天は思っています。
 
 敬天は親米派というより、日米安保条約を現在の片務的なものから双務的なものにしない限り、民主主義国家としての日本の真の自主独立は成し遂げられない という信条をもっていますから、日本が片務的な安保に無責任に甘んじている以上、隷米だ、従米だ、といえる立場ではないだろうと考えているだけです。


  
 今は日中韓首脳会談をやっている場合じゃないだろ!!

  
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転載元 転載元: 新“敬天愛人”のブログ

 

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 御来訪感謝申し上げます。

 今日の読売朝刊に西岡武夫参院議長が菅首相へ退陣を求める勧告文を寄稿しました。
 与党出身の議長が新聞紙面で辞任を促すというのは、異例中の異例であり、読売新聞の電子版には寄稿文は載っていないので、政治史に残る椿事として朝刊から書き起こしたものを全文転載させていただきます。


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「首相の責務 自覚ない」

菅直人内閣総理大臣殿

 昼夜を分かたぬご心労、推察致します。御苦労様です。
 私は、国権の最高機関を代表する一人として、この一文で敢えて率直なことを申し上げます。
 菅首相、貴方は、即刻、首相を辞任すべきです。
 いま、東日本大震災の被災者の方々、東京電力福島第一原子力発電所事故により避難を余儀なくされおられる皆さん、多くの国民の皆さん、野党各党、また、 与党の国会議員の中にも、私と同じ考えの方は多いと思われます。また、地方自治体の長、議員の皆さんも、菅首相に対する不信と不安を持っておられると思い ます。
 それでも、「菅首相、お辞めなさい」という声がなかなか表面化しないのは、理由があるようです。
 国政に限らず重大な問題が生じた時、そうして事柄が進行中に、最高責任者を代えるのは、余程のことだ、という考えが一般的だからです。
 しかし、3月11日の震災発生以来、菅直人氏は、首相としての責務を放棄し続けてこられました。
 これこそが、余程のことなのです。
 実は、昨年、尖閣諸島沖の中国漁船衝突問題の時も、首相としての責任を放棄されたのですから、貴方は、首相の国務に関しての責務に自覚をお持ちでないのでしょう。
 こうした私の菅首相への「怒り」に、反論する格好の言葉が、日本にはあります。曰く、「急流で馬を乗り換えるな」。
 この言葉は、私も賛成です。しかし、それは、馬に、急流を何とか乗り切ろうと、必死になって激流に立ち向かっている雄々しい姿があってのことです。
 けれど、菅首相には、その必死さも、決意も、術もなく、急流で乗り換える危険よりも、現状の危険の方が大きいと判断します。
 今、菅首相がお辞めにならなければ、東日本の被災者の皆さんの課題のみならず、この時点でも、空中に、地中に放射能・放射線を出し続け、汚染水は海に流されているという、原発事故がもたらす事後の重大な課題も解決できません。
 ここで、3月11日以来、なぜ菅首相がやらなかったのか、やる気がなかったのか、私が疑問を持ち続けていることについて触れてみたい、と思います。
 その一。 首相は、なぜ、3月11日以降、直ちに「緊急事態法」をまとめ、立法化を図らなかったのか。
 多くの会議を作り、指揮命令系統を敢えて混乱させてきました。これは首相の責任を曖昧にして、決断を延ばすための手法です。
 震災では、県市町村の長、職員、地元の消防団、消防署、警察官、東京消防庁、地域の民生委員、自衛隊の皆さんに並々ならぬご苦労をかけています。
 看過できないのは、首相が10万人もの自衛隊員に出動を命じるのに、安全保障会議を開かなかったことです。
 安全保障会議は、「国防と共に、重大緊急事態への対処に関する重要事項を審議する機関」です。
 首相は法律を無視しているのです。
 その二。 原発事故は、国際社会の重大な関心事です。首相が初動段階で、米軍の協力の申し出を断ったことが大きな判断の誤りです。
 現時点でも、事故の収束について、首相には、なんの展望もないのです。
 その三。 首相が、被災された東日本の皆さんのために、今の時点で、緊急になすべき事は、「8月上旬」などと言わず、避難所から仮設住宅、公営住宅の空 き部屋、賃貸住宅、とあらゆる手段を動員し、被災された方々に用意することです。さらに、資金の手当て、医療体制の整備が急務です。
 その四。 また、首相の責務は、災害による破損物の処理です。この分別は予想以上に大変で、梅雨入りを迎えて緊急の課題です。
 さらに、新たな国土計画、都市計画、農林、水産業、中小零細企業再建の青写真、新たな教育環境の創造等々、期限を切って方向性をまず明示すべきでした。
 その五。 居住の場所から非難を強いられている方々は勿論、原発事故の収束に向かう状況について、固唾を呑んで見守っておられる日本全国の皆さんに、正確で真実の情報を知らせるべきでした。
 原発が、案の定、炉心溶解(メルトダウン)を起こしていたではありませんか。
 私は、この事実を、東電も首相も、知っていたのではないかという疑いを持っています。
 その六。 首相の政治手法は、すべてを先送りする、ということです。この国難に当たっても、前段で指摘した課題のほとんどは、期限を明示しませんでした。
 批判が高まって、慌てて新たな行程表を5月17日に発表しましたが、予算の裏づけはありません。
 大震災に対する施策も、原発事故の処理費用も、新たな電力政策も、それらに要する財源は明らかではないのです。もし、それらが、政権担当能力を超えた難題なら、自ら首相の座を去るべきです。
 このままでは、政権の座に居続けようとするための手法と受け取られても弁明できないでしょう。あたかも、それは、「自分の傷口を他人の血で洗う」仕草ではありませんか。
 我が国は、山積する外交問題、年金問題を始めとする困難な内政問題等、多くの難題を現に抱えています。
 私は、菅直人首相には、それを処理する能力はない、と考えます。
 すべてが後手後手にならないうちに、一刻も早く、首相の職を辞されることを重ねて強く求めます。
 野党が多数の参院で問責決議案を可決しても、貴方は居座るかも知れません。もしお辞めにならないのであれば、26、27両日の主要8カ国(G8)首脳会議前に、野党が衆院に内閣不信任決議案を出す以外に道はないのです。
 私は、いま、己の長い政治経験と、菅政権を誕生させた責任を感じ、断腸の思いです。
 放射能・放射線のために、自分の生まれた土地を後にしたことも知らない幼児、母校を離れて勉強している子どもたちの澄んだ瞳を、私は真っ直ぐ見つめられるだろうか、自問自答しています。
 国会議員が党派を超え、この大震災と原発事故が、少なくとも、子どもたちの未来に影を落すことのないよう、身命を賭して取り組まなければなりません。

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不肖敬天愛人がつけ加えるコメントは何もありません。
 菅総理が退陣することが復興への足がかりの一歩となります。
 もう猶予はありません。



  
 菅総理、西岡議長の言葉は重いぞ!!

  
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転載元 転載元: 新“敬天愛人”のブログ

 



独裁者のつもりか?(菅)違いしている  (安全なら原発再稼働容認)

2011年05月19日 18時43分23秒 | 現代日本

サイタニのブログからの転載です。菅は誰が見ても変です。最終決定はいつも誰かに決めさせて、自分が責任をとらなくてもいいようにしながら、提案のような形で、実質命令なんですから。そうやってパフォーマンスばかりで、熟慮もなく思いつきの政策ばかり。西岡さんがやめろというのは、正論です。

 

独裁者のつもりか?(菅)違いしている 
反日韓国人 癌 直人
 
  
  
 菅直人首相は18日午後、首相官邸で記者会見し、定期検査で運転停止中の
原子力発電所について「安全措置がきちんとなされたものは従来方針通り、
働を認める」と表明した。今後の原子力政策については、「原子力のより
安全な活用方法が見いだせるなら、原子力をさらに活用していく」と述べた。
(時事通信)
[記事全文]
 
  
西岡議長、  「首相は即刻退陣を」
 西岡参院議長は18日、東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所事故への菅首相の対応を厳しく批判し、一刻も早く退陣するよう求める論文を読売新聞社に寄稿した。
  三権の長である参院議長が、行政府の長である首相の退陣を求めるのは極めて異例だ。 西岡氏は、震災発生以来の首相の対応について、「首相としての責務を 放棄し続けてきた」と批判し、「必死さも、決意も、術もなく、今、お辞めにならなければ、原発事故がもたらす重大な課題も解決できない」と強調した。具体 的な疑問点として、原発事故について正確な情報を国民に知らせていないと指摘したほか、仮設住宅建設やがれき処理の遅れ、すべて先送りの首相の政治手法な どを挙げ、いずれも「政権の座に居続けようとする手法」と切り捨てた。(寄稿全文は19日の読売新聞朝刊に掲載)
(2011年5月19日03時04分  読売新聞)
 
 
すべて(癌)の独断と偏見である!
政府部内でとことん検討したフシもないし、この夏の電力不足にどう対応しよう
としているのか、まったく見えてこない。要するに、世間受けをねらった菅首相の
パフォーマンスなのだが、これが民主主義の時代の国家指導者のあり方か。
民主主義というのは手間がかかるものだが、そこを抜きにして、一方的に
「要請」の名のもとに事実上の「命令」を民間企業に対してくだす。
 
これは民主主義ではない。独裁に通じる。
 
首相が法的範囲を超えて政府部内でまったく調整が進んでいないことを
独断で打ちだすそのことへの深刻な危機感が見えてこない民主党は
議会制民主主義にのっとった政党であるのかどうかが問われているのだ。
民主党も民主党だ。浜岡原発全面停止の方針に対して、一般の受け止め方は
好意的であると見ているためか、首相判断に対する厳しい声があまり聞こえて
こない。
 
これは独裁者的首相の「命令」だ。
 
内閣総理大臣に中部電力に対して浜岡原発停止を命ずる権限はない。
その法的に認められていないことを独断で打ちだしたのだ。経済産業大臣を
通じての要請である、というのは建前であって、事実上は、夜の緊急記者会見で
突然打ち上げたのだから、政府関係当局で徹底して議論、調整して、きちんとしたデータに基づいた対応策を出せばいい。電力不足をどうまかなうのかの計画案を
示せばいい。そこのところがすっぽりと抜け落ちているから、独裁者の手法に
通じてしまうのだ。
 
 
 
                                  西村 真悟氏より転載
 
菅も仙谷も枝野も蓮航も辻元も身分を隠してブルジョア組織の中に潜入して」
出世して権力を得た者達である。・・・・だから・・・その狙いは国家の崩壊であり
やはり、血も涙もないコミンテルンの走狗である
 
現在の民主党菅内閣を理解する鍵は、コミンテルンであると、
次のように話した。コミンテルンは、各国の共産主義者にソビエトを母国として、
ブルジョアジーを打倒し国家を廃絶せよという目的を掲げた。
 
その為に、必ず起こる帝国主義戦争において、「自国を弱体化させて敗北させ
敗戦から内乱に、内乱から革命を実現すること」(第六回大会)、さらに、「共産
主義者は身分を隠してブルジョア組織の中に潜入して目的を達成すること
(第七回大会)を指令した。
 この第六回大会の方針通り内乱から革命を経て権力を握ったのが中国共産党
である。そして、菅直人氏ら、現在の日本の左翼の青春時代は、ソビエト、
中共の指導するコミンテルンの影響下の学生運動が燃えさかった時であった。

民主党のポスト・モダンとは、国民国家を超えてゆくことと説明されているが、
これ即ちコミンテルンの目的とした国民国家の解体であり、その為に民主党は
外国人にも参政権を付与しようとしている。
 
市民運動家という菅氏や弁護士の仙石氏をはじめとする内閣の面々は、コミン
テルン第七回大会の指令通り、「身分を隠してブルジョア組織の中に潜入して」
出世して権力を得た者達である。
 
「国民の安全のため」と言いながら、彼が血も涙もないくせに美辞麗句を弄んで
民衆を誤魔化す左翼の典型であることを示している。巨大災害に襲われている現在、
一番必要なこと、優先順位の第一は、復興である。そして、その復興は産業
の活性化を前提とし、それには電力が死活的に必要である。
 
従って、菅氏が「国民の安全のために」中部電力に強要した代替手段なき原発
稼働停止は、我が国に死活的に必要な電力を大幅に削減することによって産業
活性化の道を閉ざして我が国の復興の方策を奪うことである。
これは、菅氏が「自国の弱体化」というコミンテルンの指令を
総理大臣として忠実に実行している事を意味する。
 
国民はこんな総理の暴走を許してはいけない
独裁政権となるであろう
嘗て戦争前軍部は、天皇陛下をないがしろにして暴走して
独裁政権となったのである
 
又、国民よこの国会議員のていたらくを見よ!
国家と党とどちらが大切かわからないのである。
  「平成の大政奉還を望む!」
 
 
 
   
  連載 「私の日本憲法論」
 
 
 
天皇に大権を奉還すべし
 
天皇が「国家統治の大権」を一時喪われたのは、天皇の発意ではなく、
占領の圧力によって、占領軍の威圧による命令によって占領憲法が
施工せられた結果である。
 
 
だから、占領が終了すれば、「国家統治の大権」は自然に天皇に還って
来るべきはずのものである。
 
ところが、占領のドサクサによって、占領軍からもらった「国家統治の大権」を
天皇に奉還することを怠って、それをよいことにして「国家統治の大権」を
僭越にも壟断しているのが日本の歴代総理大臣達である。
 
日本の総理大臣が、占領軍から貰った「日本国家統治の大権」を
天皇陛下にお返し申し上げないということは何たる不忠の事であろうか

即刻、国家統治の大権を天皇に奉還し奉る時である。

 
 
 
 
 
 
 
 

転載元 転載元: サイタニのブログ


【廢藩置縣の詔】「私」のない武士道、国難の時代を生きた先人たち

2011年05月19日 12時02分51秒 | 現代日本

明治維新が世界史上、類の無い無血の大変革と習ったことがありますが、江戸300年の幕藩体制の中で、各藩での藩主やそれに使える武士階級は、既得権益があったはずです。

それをすべて返上するという大改革を断行し、欧米列強の植民地主義の負けずに、世界の荒波の中に漕ぎ出すために、護国の意識を強く共有して、私心を捨ててこうに奉じようとした武士道の精神には感嘆せずに入られません。

この幕末の武士道の忠誠の対象である天皇という存在の大きさもあって、わが国固有の精神で、神国日本を守ろうという精神は、ペリー来航から僅か15年で、明治維新という大変革を成し遂げ、封建体制から、近代国家に生まれ変わって、明治の時代を歩み始めます。

まるで奇跡のような、この出来事。現代の国難と言われる時代に、同じような精神で、日本を護ることができるでしょうか。

美しい国からの転載です。

 

イメージ 1
五ヶ条の御誓文
 

 

今日の政府民主党などが声高らかに唱えている、政治主導、平成維新などという文字の羅列は、改革でも革命でもない、ただのママゴトにしかすぎません。ただ國を混乱させ、疲弊させているにすぎないのです。

我國において、革命と呼べるのは、明治維新しかありません。

明治維新は、世界でも類のない変革であったのです。

幕末の日本は、アメリカのペリー提督が黒船を引き連れて浦賀に現れた時から、激動の時代に入りました。それからわずか15年で、維新が実現しました。それによって、260年間も続いた徳川幕藩体制が終わり、新しく近代国家が誕生しました。

 

15年の間に、開国か鎖国か、倒幕か佐幕かなど、日本の進路をめぐっての争いがありましたが、当時の人々に一貫していたのは「護国」の精神でした。

戊辰戦争から西南戦争までの死者は、2万人~3万人。フランス革命の死者が200万人といわれることに比べると驚くほど少なく、中国が現在の國家となるのには、長い年月を要しています。

どうしてこれほど大きな変革が、これほど短期間に、しかも流血が極めて少ない形で、実現できたのでしょうか。

幕末の日本人は、昨年の「龍馬伝」でもありましたが、ペリー来航以来、非常な危機感を感じていたことにあります。欧米列強は強力な軍事力と高い科学技術を保持していました。

また、不平等条約を余儀なくされました。ここで外圧の対処に失敗すれば、白人種に隷属することになりかねず、また、もし日本人同士が争えば、その隙に欧米諸国に付け入られる危機を感じてたのです。

この絶体絶命の状況をどう乗り越えるか、その危機意識が明治維新を促進したのです。

昨年、中国が、尖閣諸島へ進出してきましたが、多くの日本人、政府が危機を感じていなかったのとは雲泥の差があります。

政権は、大政奉還(1867)によって、幕府から朝廷に移動しました。

しかし、新政府と言っても、まだ全国に大名がいて各地方を支配する封建体制はそのまま残っています。この社会の仕組みを根本的に変えなくては、変革にはなりません。

維新直後の明治新政府の課題は、一日も早く近代国家を建設して、欧米列強に支配されることのないようにすることでした。明治2年6月に版籍奉還が行なわれ、各藩の土地と人民は朝廷に返還されたものの、実質的には藩はそのままの形で残っていました。そこで行なわれたのが、廃藩置県(明治4年)です。

当時の明治政府の収入は幕府直轄地より、引継いだ年貢収入のみで860万石、全国の石高が3000万石ですから、約三分の一程度でした。

財政の基盤を作り出さねば、新しい国造りはできません。それには、各藩の徴税権を中央政府に集約するしかありませんでした。

廃 藩置県は、鎌倉幕府以来、700年もの間日本を支配してきた武士階級を一挙に廃止するものでもあり、西洋でいえば領主の身分を廃止して土地を取り上げ、明 日から平民にするといった大変革でした。ヨーロッパではこのような変革は、流血の革命を通してしか実現できませんでした。

各藩から経済的基盤を奪い去るのですから、激しい抵抗が起こり大乱となるかもしれません。維新最大の難題でした。この改革の中心となったのが、西郷隆盛でした。

実行の段階になると、首脳会議は紛糾しました。時期尚早ではないかとか、抵抗が起こるのではないかと、大久保と木戸は大激論になったのです。しかし、黙って聞いていた西郷が、口を開きました。

「貴殿らの間で実施についての事務的な手順ができているのなら、その後のことは、自分が引き受ける。もし暴動が起これば、自分がすべて鎮圧する。貴殿らは心配せずに、やって下され」。

 この西郷の一言で、廃藩置県が断行されました。

明治4年7月14日、政府は東京に住む元大名の知藩事を集め、明治天皇陛下の詔勅が発せられました。

 

【廢藩置縣の詔・明治四年七月十四日】

朕、惟ふに、更始の時に際し、内、以て億兆を保安し、外、以て萬國と對峙せんと欲せば、宜しく名實相副ひ、政令、一に歸せしむべし。

 朕、曩に諸藩、版籍奉還の議を聽納し、新たに知藩事を命じ、各々其の職を奉ぜしむ。然るに數百年、因襲の久しき、或は其の名ありて、其の實、擧がらざる 者あり。何を以て億兆を保安し、萬國と對峙するを得んや。朕、深く之を慨す。仍て今ま更に藩を廢し、縣と爲す。是れ勝(つと)めて冗を去り簡に就き、有名 無實の弊を除き、政令多岐の憂ひ無からしめんとす。汝群臣、其れ朕が意を體せよ。


しかし、彼らにも全国の武士たちにも、抵抗らしい抵抗はほとんどありませんでした。一日にして藩は廃止され、全国の土地は中央政府の管轄になりました。政 府は全国から税を徴収できるようになり、財政の基盤を確立できたのです。それゆえ、廃藩置県は、世界史にも類を見ない無血革命といわれます。

当時261名もいた藩主は、全員そろって、先祖代々、保持してきた絶大な特権を返上したのでした。

 

明 治4年、サンフランシスコで行われた岩倉使節団歓迎会で、伊藤博文は「数百年の強固さをほこった日本の封建制度は、一個の弾丸も放たず、一滴の血も流さず して撤廃せしめられたのだ。この驚くべき事実は、政府と人民の共同行為によって達成され、今や相一致して進歩の平和的道程を前進しつつある。戦争なくして 封建制度を打破した国がどこにあるだろうか」と述べています。

ヨーロッパではこのような変革は、流血の革命を通してしか実現できませんでした。

当時、欧州ではこのことに驚き、大英帝国の首府ロンドンの新聞は、一面扱いで大々的に取り上げています。

廃藩置県は、これまで特権階級だった武士階級にとって、収入の基盤を失うことを意味しましたが、どうしてこれほどの改革が、無血のうちに実現できたのでしょうか?

明治維新を行った武士階級は、逆に自分たちの特権をなくす改革を行ったのです。しかも、それによって、武士という階級そのものを自ら消滅させる改革だったのです。

 ここに、我が国の武士道の精神、お国柄があります。

武 士道は、大義に生きる精神であり、主君への忠誠のためには、「私」を捨てるのが武士です。幕末の武士たちは、藩を超えて日本國のために行動しなければなら ないと考えるようになっていきました。そして、忠誠の対象は、藩主から天皇陛下へと変わっていました。そして維新の過程で、全国の武士たちは、日本という 「公」のために、自ら「私」を捨てたのです。

昨日の本ブログでも述べましたように、西郷隆盛は公正無私の英傑でありました。その無私の精神が、全国の武士たちに「私」を超え、「公」に尽くす行動をなさしめたのです。

自らをリストラした武士、崇高な精神です。 

 

「公」の精神が薄れつつある今日、私たちの先祖・先人が持っていた武士道の精神、お国柄を見直すべきではないでしょうか?

 

転載元 転載元: 美しい国