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平成3年 アムステルダム市長のスピーチ「誇り」 、大東亜解放の戦争

2011年12月23日 01時10分32秒 | 歴史
この記事も美しい国からの転載です。
当時このアムステルダム市長のスピーチを聞いて、オランダにこのような市長さんがいらっしゃるということに驚いたものです。そして、第二次大戦での日本の戦いの真実を分かる人は、ちゃんとわかっているのだと思ったものです。
それなのに、一番わかってないのが、日本の国民であり、政治家です。占領政策によって、勝者に都合良く作り変えられた歴史をそのままを鵜呑みにして信じて、自虐史観をもって自分の国を冷ややかな目で見、ペコペコと謝罪を繰り返し、自分は如何にも悔い改めた敬虔な人間であるような顔をして、上面ばかりで知ったかのように思い込む人々の欺瞞が、時には浅ましく感じられて、マレーシアのラジャー・ダト・ノンチック  元上院議員の「かつて日本は清らかで美しかった」という詩などを読むと、本当に悲しくなってしまいます。

アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】


大東亜戦争で我国が戦った国は、朝鮮半島の国家でも中国共産党でもありません。政権未承認交戦国も含めて交戦国は合計52ヶ国です。
中華人民共和国 の国家成立は昭和24年、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の国家成立はそれぞれ、昭和23年です。

下記にご紹介するオランダとは、昭和16年12月10日に交戦状態に入っています。
平成3年に日本傷病軍人会代表団がオランダを訪問した際の、アムステルダム市長の歓迎のスピーチです。
多くの ブログ文献等で紹介されていますが、これが真実です。

以下に全文引用します。

アムステルダム市長のスピーチ

貴方がた日本は、先の大戦で負けて、勝った私どもオランダは勝って大敗しました。
今、日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。 私たちオランダはその間屈辱の連続でした。 勝ったはずなのに、世界一の貧乏国になりました。
戦前のオランダは、アジアに本国の36倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄躍栄華を極めていました。
今のオランダは日本の九州と同じ広さの本国丈となりました。
あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ自らの血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。
何故ならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史をふり返って、真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私共白人が悪いのです。
百年も三百年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。
植民地や属領にされて長い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想をかかげて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です。
日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。 即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わりました。 その結果アジア諸民族は各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大です。 血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。
 


自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。


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日本軍は、戦闘が終わると敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作りました。
日本人の武士道精神を表した写真です。

山東戦線の彰徳で墓標を建て慰霊祭を営んだ。(「中国無名戦士の墓」)昭和13年


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「孟子廟に参拝する日本軍人の心得」
 
1、孟子は孔子と共に支那人の最も崇拝する偉人である。
  我々、日本人にとっても精神的文化の恩人である。
 
2、参拝する者は、故国において神社
  仏閣に参拝すると同様の心得を持って慎み深く行動すること。
 
3、模範的行動が皇軍の名誉を発揚し支那民衆に
  日本軍が親しまれる力となることを忘るべからず


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現地市民の間でも日本軍は、規律に厳正で
シナ軍よりもよっぽど信用できるとの評価を得ていた。

 中国人の子供を中心に正月万歳(昭和13年)



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日本軍部隊へ毎日来て遊ぶ中国人の子供(天津)



大 東亜戦争後、日本人は自信を失いました。占領政策によって勝者の歴史観、価値観を押し付けられました。戦後66年祖国の素晴らしさ、民族の素晴らしさを教 えず、過去の行いの悪い部分ばかりを、捏造、誇張して教えてきました。こんないい加減な教育では、誇りが育つどころか、誇りを傷つけていくばかりです。誇 りを失った人間は、恥を知らず、名誉を大切にしない。周囲の目や他者の評価に無頓着になり、だらしのない人間になり、無責任で自己中心となります。または 自虐的で、自嘲的ともなるのです。
またこれら、誇りを持たない人々が政治家となり、指導者となり、拍車をかけているように思います。
   
 
戦 後の我国では、誇りある歴史が教えられてきませんでした。占領下でそれまで日本人が持っていた歴史観が否定されました。その歴史観とは、神話の時代から2 千年以上もこの国で生きてきた民族の歴史である。ある民族を滅ぼすには、その民族の記憶と言語を一定期間奪えばよいと言われています。ここにいう記憶とは 歴史です。歴史を伝承する言語、民族固有の歴史観を奪えば、その民族はやがて滅亡します。
戦 後の日本人には、占領後すぐ、連合国の立場による「太平洋戦争史観」が植え付けられました。新聞に連載され、全国の学校に本が配付されて教え込まれ、ラジ オなどでドラマ化されて、『真相はこうだ』という番組で全国に放送されました。極東軍事裁判の判決を是とする東京裁判史観が、それを補強し、戦後の歴史教 育のもとになっています。
 
大東亜戦争を、太平洋戦争と呼ぶのもこの為です。だから、これまでの歴史教育の内容を改め、誇りある歴史を教えることが必要であり、急務なのです。
国 の真実の歴史をを教え、誇りをもてるようにしないと、国民は精神的にだめになってしまうでしょう。自国の歴史や伝統に誇りを持つことは、祖先への尊敬や感 謝を持つことにつながり、子供たちは、自分の命が祖先から受け継がれてきたものだと感じます。自分の存在は、祖先のおかげだと気づく。それによって、自分 が生まれてきた意味、生きていく目的、自分の担うべき役割を理解することができる。そこに、人への思いやりや、助け合いの心が育つのです。 
 
日本に生まれてよかった、日本人に生まれてよかったという感情を持つにいたると、自ずと誇りが生まれてきます。そして、日本人のよさを保とう、誉れを保とう、名を汚してはならないという「意思」が生まれてきます。
知れば知るほど、日本という祖国に誇りがこみ上げてくるのです。


日本は素晴らしい国です。平成3年 アムステルダム市長のスピーチがそれを語っています。
「私たちは日本人です。」


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転載元 転載元: 美しい国