小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

天皇陛下は我が国体なり

2011年12月07日 22時28分02秒 | 無題

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。女性宮家創設の議論が政府から出ています。宮内庁の羽毛田長官が提案したとされていますが、長官は提案したわけではないようなことも言っていますが、なんだか女系天皇への道を開くつもりの人々が暗躍しているような気もします。

我が国の歴史上、女性天皇は存在しますが、女系天皇はいません。女系天皇とは、女性という意味ではありません。天皇の父親を代々たどれば神武天皇に行き着くのが男系です。その天皇が男性であっても、その父親、更にその父親、とたどって、神武天皇に行き着かないときは女系天皇です。

つまり現在の皇室でいえば、愛子様が天皇におなりになれば、愛子様は女性天皇ではあっても、女系天皇ではありません。父親をたどれば神武天皇に行き着くからです。

しかし愛子様の次に、愛子様のお子様が天皇になられた場合は、そのお子様は男性であっても、女系天皇です。父親は、皇室の外から来られた民間の方でしょうから、神武天皇に行き着かないからです。

神武天皇

ただし、旧皇族と言われる方々の男子と愛子様が結婚なされば、そのお子様は男系です。旧皇族の方々は、男系を維持して神武天皇につながっておられるので、その場合のみは、愛子様によってではなく、旧皇族の方々によって男系の血統がつながり、お子様は男系の天皇となることができます。

日本は万世一系の天皇が維持されているのですが、もし女性宮家を創設して、その宮家が皇位継承権を持つようになれば、この万世一系はその宮家から天皇が出た途端に、失われます。一度でも女系天皇が出れば、今までの歴史はストップします。そして、覆水盆に返らずというように、二度と万世一系は戻ることはありません。

現在の国民がこれを選択することは、古来よりの多くの日本の国民が守ってきた伝統をひっくり返す革命であり、まだ見ぬ未来の国民がそれを恨みに思うか喜んで受け入れるかということまで考えると、今現在という時点のみの国民がこの大きな変革を決断することが許されるのかという気がします。

神話の時代から続いてきた伝統を変えるとは、日本の神話を変えることであり、日本の国の理念を変えることだと思います。国が神話を失えば、それはもはや別の国だと思います。日本民族は残っても、古い歴史の国日本はそこで終わり、別なものになるでしょう。

 

転載開始

 

イメージ 1
 
 
今朝の産経新聞に、興味深い記事がありました。
以下、掲載いたします。
 
・・・・・・・・・
高崎経済大学教授・八木秀次 女性宮家創設は荊の道の始まり 
(産経新聞 2011.12.6 )
 
 
宮 内庁の羽毛田信吾長官は10月5日、野田佳彦首相に直接、「女性宮家」創設により皇族方の減少を食い止めることが喫緊の課題だと伝えたという。これを受け て11月25日、藤村修官房長官は「政府としても今後検討していく必要がある」と発言し、その後、政府内に勉強会が設置された。 
  
≪「有識者会議」の焼き直し≫ 
「女性宮家」の創設が提唱されるのは、現行の皇室典範12条で女性皇族は結婚すれば皇籍を離れなければならないが、結婚後も皇籍に留まるようにすることで、皇族の減少を防ぎ、これによって天皇陛下の公務のご負担を軽減するためだとされる。
しかし、皇族の減少を防いで、天皇陛下の公務のご負担を軽減するためという理由は直ちに、「女性宮家」創設という結論に結び付かないはずである。何よりも、天皇陛下の公務のご負担の軽減は公務自体のあり方を見直し、数を減らせばよいのであって、年々公務を肥大させ、陛下にご負担を強いているのは宮内庁の責任である。
また、皇族の減少を防ぐには、後述するように別の方法もあるのであり、「女性宮家」の創設は順序としてそれを検討した後でなければならない。
端的に言えば、この度の「女性宮家」創設の提案は、6年前の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書の焼き直しである。
同 報告書は主として、(1)女性天皇・女系天皇の容認(2)皇位継承順位の長子優先(3)女性宮家の創設-の3点を提唱した。今回の提案は、6年前に議論が 集中した(1)と(2)を避けて、(3)だけを持ち出したものである。しかし、「女性宮家」の創設は、宮内庁や政府関係者が考えているほど簡単なものでは ない。
 
≪前途に立ちはだかる9の難問≫
第一に、女性宮には皇位継承権があるのかが検討されなければならない。継承権があるとすれば、これは「女性天皇」容認と同じことになる。皇位継承権とは皇位に就く法的権限だからである。逆に継承権がなければ、女性宮は単なる皇室の公務の分担者という位置づけになる。
第二に、皇位継承順位をどうするのかが問題となる。男子優先とするのか、長子優先なのかということである。
第 三に、いっそう本質的な問題であるが、「女性宮家」は一代限りなのか、それとも世襲とするかが検討されなければならない。世襲ということになれば、女性宮 のお子様は男子であれ女子であれ、「女系」の皇族ということになり、この方々が皇位継承権を持つならば、それはそのまま「女系天皇」容認を意味する。そし て、それは神武天皇以来125代にわたって一貫して「男系」で継承されてきた皇位継承原理に、一大変革をもたらすものとなる。
第四に、女性宮の配偶者は皇族とするのか、公務に携わるのか、敬称はどうするのかが検討されなければならない。また、「女性宮家」を一代限りとし、配偶者は皇族でないとした場合、配偶者はその氏を名乗り続けるのか、夫婦別姓とならないかも問題となる。
第五に、第三の点とも関連するが、世襲を避けて「女性宮家」を一代限りとした場合に、お子様は皇族とするのか否か、敬称はどうするのか、氏はどうするかも問題となる。
第六に、皇族に支給される皇族費はどなたを対象にするのか。一代限りの場合、配偶者やお子様にも支給されるのか。
 
≪女系天皇に道開く一大変革≫
第 七に、女性宮の候補者としてどなたを想定しているのか。例えば、遡及(そきゅう)して天皇陛下のご長女の黒田清子さんも想定しているのか。天皇陛下から見 れば、いとこのお子様という関係になる寛仁親王家や高円宮家の女王殿下も対象とするのか。政府内の勉強会では「天皇の子と孫」という案が出ている。
第八に、対象者全員に「女性宮家」創設を強制できるのか。ご自身はそのつもりで育っていない、ということにならないのか。
第九に、強制ではなく、ご本人の意思を尊重するとした場合、逆に恣意(しい)や政治的意思が働かないかといったことが問題となる。
かつて慶応大学教授の笠原英彦氏は女性天皇容認を「荊(いばら)の道の始まり」(『女帝誕生』)と述べたが、「女性宮家」創設にも同じ厄介な問題が続出する。それは「女性宮家」が皇室の歴史にはない全く新しい存在だからである。
 
羽毛田長官は野田首相に現在の皇族の範囲の図を示して説明したという。初めに結論あってのことと思われる。だが、皇族の数を増やすに際して歴史的に用いられたのは、神武天皇以来の男系の血を継承した方々に皇籍に戻っていただくという方法である今日で言えば、戦後まもなく皇籍離脱を余儀なくされた旧11宮家の方々に皇籍に戻っていただくことも検討されてよいが、有識者会議も真面目に検討した形跡はない。
政府は、「女性宮家」創設という「荊の道」ではなく、「男系継承」という歴史的に踏み固められた道を選ぶべきであろう。
 
・・・・・・
 
アメリカの外交官でOSS(戦略情報局)のエマーソンはかつてこう言いました。
(OSSは戦後GHQの日本破壊政策に大きな影響を与えたものです)
「コミンテルンのテーゼは共産主義者の綱領を大前提として天皇制廃止を要求したが、野坂(参三)はこの立場を修正して、もし日本人民が望むならば天皇の存在を認めることにした。
彼 は日本人の大部分が天皇に対して簡単に消えない愛情と尊敬を抱いていると考えていた。そこで彼は天皇制打倒という戦前の共産党のスローガンを慎重に避け て、平和回復後の皇室に関する決定については用心深く取り組む道を選んだ。しかし同時に天皇は戦争責任を負って退位すべきであると主張した」
一気に天皇を打倒するのではなく他の改革を以て廃絶させる社会主義革命の二段階論が込められている。(「OSS日本計画」より)
 
戦前、コミンテルンが、そしてその支部であった日本共産党が“天皇制廃止”を掲げていたのを、
日本共産党の野坂参三は、
「最終的には天皇廃止を企むが、日本人は天皇や皇室に対する信仰は相当深いので、これをスローガンとすると大衆から孤立してしまうので、天皇制は存続させ、戦後、一般人民投票によって天皇制の存続を決定すべき」と、戦時中に支那共産党の本拠地であった延安で演説しました。
 
「天皇制」という言葉は日本語の伝統には存在しないものです。
この言葉がモスクワから日本に持ち込まれたのは大正12315日、日本共産党の綱領討議のために開いた拡大執行委員会の席でありました。場所は東京府北豊島郡石神井(しゃくじい)村の料亭豊島館で、いわゆる石神井会議と呼ばれたものであります。
 
1932年、「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」、いわゆる三二年テーゼがコミンテルンで採択され、同年七月、日本共産党の機関紙赤旗特別号で「天皇制」という共産党用語がおおやけに使われ始めたのです。
この言い方は天皇陛下を否認し、天皇陛下を排斥するために使われ、天皇陛下を貶めるために使われていた言葉でありました。
 
また、「天皇家」という言葉はもともと日本の戦前はなく、戦後、左翼歴史家の禰津正志によって使われ始めた左翼言葉であります。
「制度」にしておけばいつでも廃止できる。「家」にしておけば断絶できる、ということです。
しかし、天皇陛下は神話から繋がる我が日本の「国体」そのものであります。
一般国民の「家」とは違うのです。
 
彼らの後を引き継いだ連中が今も天皇廃絶、皇室解体を企てているからこそ、上の記事のような突拍子もない議論をしたがるのでありましょう。
だからこそ、彼らの目的である天皇廃絶、皇室解体への布石がこの「女性宮家」の議論であると思うのであります。
 
  
・・・・・・・・・
  
  さくらの花びらへの応援お願いします。
   歴史ブログランキングのクリックをお願い致します。

               ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ (本人様ブログよりクリックを)