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日本の和平努力・戦争回避を潰して自殺せよと開戦させたハル・ノート・日米開戦70年

2011年12月09日 23時29分07秒 | 歴史

昨日は日米開戦、真珠湾攻撃の日でした。これについて、近野滋之・民族主義者の警鐘に記事が載っていたので転載します。とてもわかりやすい、真実の経緯がかいてあります。日本がまるで軍国主義で突っ走って戦争に突入していったかのように、戦後の歴史では教えられますが、実際には、日本はなんとか戦争を避けようとして、避けられずに、開戦しても勝てないかも知れない、開戦しなくても滅亡は避けられないという、ほんとに窮地に追い込まれた状態だったのです。記事の下方にある、証言の数々、たとえば英国軍需生産省オリバーリットルトン の

「米国が戦争に追い込まれたというのは歴史の改作狂劇である。米国が、日本をして次のごとき限界まで追い込んだからだ。すなわち日本人は真珠湾において、攻撃するのを余儀なくされるまでアメリカに強圧されたのである」

などを読めば、教えられた歴史が、真実とは違うものだというのがよくわかります。


転載開始

 

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良識ある日本国民の皆様には、12月8日の大東亜戦争開戦記念日はご存知だと考えます。

昭和初期、米国はフィリピンを、英国はインド・ビルマ・マレー半島を、フランスはインドシナを、オランダはインドネシアを植民地支配して、アジアが白色帝国主義諸国により支配される中、唯一の独立国は「日本」だけでした。

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※ 枢軸国のタイ王国を独立国と考えるかは、二重外交や戦後処理問題など、
個々のご判断にお任せ致します。 ※ 大東亜戦争の期間は、靖国神社では12月8日前の「支那事変」と
「大東亜戦争」と分けて英霊を祀っています。

 

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昭和16年12月8日、午前1時30分(日本時間)、日本は英領のマレー半島に侵攻、日本による奇襲攻撃とされたハワイ真珠湾攻撃は、午前3時19分(ハワイ時間7日7時49分)からです。

米国は真珠湾攻撃より1時10分前の6時40分、アメリカ領海で日本海軍の潜水艦を米国駆逐艦ウォード(ワード)号が攻撃して撃沈、これは「米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75」(1945年6月7日)にも記されています。

シーボルト米国少将

アメリカの駆逐艦ウォード号は、奇襲以前に日本の特殊潜航艇を撃墜している。根拠はルーズベルト大統領の、「すでに日本との外交交渉は終わった。これからは諸君の手で解決されなければならない」という通告に基づいて。
「真珠湾の審判」より

 

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米国駆逐艦ウォード(ワード)号

 

米国のルーズベルト大統領は不戦を公約に掲げていたので、日本から攻撃をさせるように工作、日本の戦争回避を潰すために、フライング・タイガースによる日本軍への攻撃計画・ABCD包囲網による日本の資源断ちをしました。

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日米交渉で和平努力をしていた日本は、昭和16年11月26日、米国側当事者、コーデル・ハル国務長官から日本側に提示された交渉文書「ハル・ノート」により和平を断念、12月8日、日本は独立国としの自存自衛、アジア解放のために開戦をしました。

1941年4月、日米交渉開始
7月、米国が在米日本資産を凍結
8月、米国が対日石油輸出を全面禁止
9月、日本は帝国国策遂行要領
10月、東條英機内閣発足、「帝国国策遂行要領」を白紙に和平努力
11月、米国がハル・ノート提示 
12月8日、真珠湾攻撃・マレー半島侵攻、日本政府による対米英宣戦布告

 

アメリカ陸軍スチムソン長官の日記

「ハワイで我々を攻撃したことで、今やジャップは問題の全てを解決してくれた。これで全米国民が危機感を覚え、一致団結の機運が生まれた。」

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ハル・ノート


62、激怒、安堵、絶望、喝采のハル・ノート

二十七日、ハル・ノートに接した我が国政府軍部首脳は直ちに
連絡会議を開いたが、出席者全員がアメリカ政府の強硬な態度に
衝撃を受け、落胆し、和平交渉の前途に絶望した。
東京裁判において東郷は、「ハル・ノートは日本に、
支那・仏印からの撤兵を要求していた。
さらに三国同盟を死文化する条項も含んでおり、
日本が之を受諾すれば、三国同盟を日本から破棄する事になり、
国際信義の問題となる。 この問題を除外しても、日本がハル・ノートを受諾して撤兵し、
警察官までも即時引揚げる事になれば、
中・南支でも日本がそれまでした事はすべて水泡に帰し、
日本の企業は全部遂行できない事になる。
また、南京政府に対する日本の信義は地に墜ち、
地方での排日・侮日感情は強くなり、
日本人はこの地方から退去しなければならなくなる。 さらにハル・ノートは満洲方面についても同じ事を要求しており、
従って日本は満洲からも引揚げなければならなくなり、
その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、
日本は朝鮮からも引揚げなくてはならない事になる。
換言すれば、日本の対外情勢は満洲事変前の状況よりも悪くなり、
ハル・ノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。 これがすなわち東亜における大国としての日本の自殺である。
ハル・ノートは日本に対し全面的屈服か戦争か、
を迫るものと解釈された。もしハル・ノートを受諾すれば、
日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、
三流国以下に転落してしまうのが、
ハル・ノートを知る者全員の一致した意見であった。 従って、日本は自衛上戦争する外ないとの意見に一致した」と証言し、
さらに東條は、キーナン検察官から
「証人はハル・ノートを見た事があるか」と質問された際、
「これはもう一生涯忘れません」と、
ハル・ノートの内容を知った時の驚き、失望、怒りを一言の下に表した。
【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の
天才と謀略の天才の戦い60~66東條内閣の和平努力】より一部抜粋

 

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大東亜戦争への道

東郷茂徳は東京裁判の口述書でその時の我方の反応を
「ハル・ノートに対する出席者全員の感じは一様だったと思う。
米国は従来の交渉経緯と一致点を全て無視し、
最後通牒を突きつけてきたのだ。我々は、
米側は明らかに平和解決の望みも意思も持っていないと感じた。
蓋しハル・ノートは平和の代価として日本が米国の立場に
全面降伏することを要求するものであることは我々に明らかであり、
米側にも明らかであったに違いないからだ。 日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、
極東の大国たる国際的地位を棄てることを求められたのである。
これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、
自らを護る唯一の残された道は戦争であった」と述べている。 これは軍部の見解ではなく、
文官たる外務大臣の意見であることに注意すべきである。
無論、東條首相の宣誓供述書も殆どこれと同趣旨である。
即ち連絡会議の結論は(1)ハルノートは明らかに最後通牒であり
(2)米国は我国が受諾できない事を知りつつ、
しかも関係国との緊密な了解の上に通知してきて居り
(3)米側はすでに対日戦争を決意しているが如くである。
中村粲「大東亜戦争への道」より一部抜粋

 

英国軍需生産省オリバーリットルトン

「米国が戦争に追い込まれたというのは歴史の改作狂劇である。米国が、日本をして次のごとき限界まで追い込んだからだ。すなわち日本人は真珠湾において、攻撃するのを余儀なくされるまでアメリカに強圧されたのである」
1944年6月20日、ロンドンの米国商業会議より

 

キンメル米国大将

「アメリカ政府が日本の野村大使に手交した対日通告は、以後の日米交渉の可能性に事実上の終止符を打ったものであり、したがって太平洋戦争を避けえられないものにしてしまった」
「真珠湾の審判」より

 

マーシャル米国大将

「ア メリカ側からさきに攻撃を開始すれば国論は分裂の恐れがあったから、外交の手続き上で、日本をして先に手出しを出させる必要があった。それではどう云う手 を打つべきかについては、ハルが大統領のために準備すべきであると決定された」(ハルノート手交前日の戦争諮問委員会に出席。他のメンバーはルーズベル ト、ハル、ノックス、スチムソン、スターク)
1946年4月9日査問委員会より

 

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凛として愛(5/7)(動画)http://youtu.be/kTP3t4cdL3Q

「大東亜戦争開戦の真実」4-1(H18.12.6)(動画)http://youtu.be/hzmfniVeZpw

アメノウズメ塾中級編⑧ 原子爆弾、第二次世界大戦は何の為?(動画)http://youtu.be/R88OxZYpQMM

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大東亜戦争終結後の日本は、本当の侵略者である戦勝国、反日勢力が捏造した歴史を洗脳されていますが、私たち日本人の祖先が戦った「大東亜戦争」は決して侵略戦争ではなく、日本の自存自衛、白色帝国主義諸国よりのアジア解放の聖戦です。

日米開戦から70年ですが、歴史とは勝者が作るものであっても勝者が正義とは限らないのであり、日本の和平努力・戦争回避を潰して日本に自殺を求めたのは連合国でした。

良識ある日本国民の皆様、日本の自存自衛とアジア解放の大東亜戦争についてご考慮下さい。

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転載元 転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘