新田均のコラムブログからの転載です。
先日、ヒラリー・クリントン氏が中国批判の演説をしたという記事を載せましたが、中国の政治家は愛国心を国民に求めながら、自分は祖国を捨てて蓄財に励んで家族を移民させるというなんとも不思議な生き方をする人がほとんどらしいです。また韓国でも、一族の繁栄の前には、国を喰い物にして利益を貪る政治家も多く、そのため政権末期には親族が逮捕されたり、政権を離れたら自分も逮捕されるという事態が多く起こっています。
もちろん日本でも個人の利益を貪る人がいないわけでありませんが、それでもこれらの国ほどではありません。さらにもっと昔の時代は、日本人には国のために自分の命を投げ出しても、国を護ろうとした人が多くいました。
日本と中国韓国の愛国心はどこが違うのか、この違いは日本においては忠孝一致にあるということを皇學館大学教授の新田均先生は述べておられます。
国家が統一を保ち、崩壊しないという一番の要素は、「歴史的継続」の意識にあるといえるのではないでしょうか。個人や一族という存在と国家とを比べて、国家をより高位に位置づけるもの、それは自分を祖先からの歴史的継続の流れにおいて見るとき、日本では祖先の築き愛した国家として、その中心に天皇の万世一系を見、祖先が忠義を尽くした天皇を同じくその子孫として同じように忠を尽くすことで、祖先への孝も全うできることになっていました。
これが日本人の歴史を2600年以上の長きに亘って継続させてきたのです。若し忠孝が一致していなかったならば、中国や他の諸国と同じように、必ず革命が起こり、分裂が起こり、日本という国家が今まで長らえることは出来なかったでしょう。
今政府で皇室典範改正のための民意を問うという話がありましたが、日本における天皇の万世一系を保つというのは、国家にとって歴史的継続を保つということであり、それが日本の国家の継続を保つということにつながると思います。決してこの原則を壊すことなく、男系を維持することに、全力をつくすべきです。
日本の歴史を決定づけた神話と伝承(『祖国と青年』平成12年11月号)
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『日本書紀』正文の記事にしたがって、日本の国土の誕生から神武天皇の即位にいたる神話伝承の粗筋を述べれば以下のようである。
一、まず天と地が分かれ、クニノトコタチノ尊からイザナギノ尊・イザナミノ尊まで、神代七世と言われる神々が誕生する。次ぎに、イザナギノ尊・イザナミノ尊が日本列島の島々と木の神や草の神をお生みになる。
二、イザナギ・イザナミの二神は日本の国を治める者を生もうとされるが失敗する。最初に生まれたアマテラス大神と、次ぎに生まれたツクヨミノ尊は素晴らし すぎて「天上」の支配者となり、次ぎに生まれた蛭児は脚が立たなかったために放棄され、次ぎに生まれたスサノオノ尊は乱暴すぎて「根国」へ追われる。
三、スサノオノ尊が高天原にやってきて、アマテラス大神と誓約(うけい)をされたことによって、オシホミミノ尊が生まれ皇統が開かれた。ところが、その後 のスサノオノ尊の乱暴によって、高天原は混乱に陥り、アマテラス大神は天石窟に隠れてしまう。しかし、様々な神々の活躍によって、アマテラス大神は再び天 石窟から出現し、天上の秩序が回復される。
四、高天原の秩序が整って後、オシホミミノ尊とタクハタチヂ姫(タカミムスビノ尊の娘)との間にニニギノ尊が誕生し、統治者として地上に降されることにな る。しかし、地上のには邪神が横行していたために、まず臣下の神々が平定のために使わされ、何回かの失敗の後に、ようやくオオナムチノ神(大国主神)の国 譲りによって、ニニギノ尊の天孫降臨が実現する。
五、ニニギノ尊が日向の高千穂峰に降臨して後、その子のヒコホホデミノ尊、またその子 のウガヤフキアヘズノ尊と、三代にわたって日向の地を治められる。そして、またその子のカンヤマトイワレビコノ尊(神武天皇)の代になって、日本の統治を 命ぜられたタカミムスビノ尊とアマテラス大神のご命令に応えるために、日本の中心地へ進出することを決意し、様々な困難を克服して大和を平定し、都を築 き、第一代の天皇として即位される。
シナの歴史書と違い、日本の『古事記』『日本書紀』は、以上のような神話伝承を冒頭においている。このことの意義は何だろう。
『日韓併合への道』(文春新書)の中で呉善花さんは、朝鮮近代化の遅れを決定的なものにした要因として、自分の一族(宗族)の繁栄だけを願う「外戚勢道政 治」の横行を挙げ、「自分の属す宗族の繁栄に尽くすことこそが最大の徳目、祖先への孝だったからである」と書いている。つまり、朝鮮においては、祖先への 孝は国家(あるいは王室)への忠とはつながっておらず、極論すれば、一族の繁栄のために国家(あるいは王室)を犠牲にしたとしても、それは祖先に対する不 孝にはならない、ということであったようだ。この文を読んで私は、神話伝承を歴史記述の冒頭においた古代日本人の英知とその恩恵の深さとに思いを致さない わけにはいかなかった。
日本の神話伝承の基本構造を一言で言えば、それは「忠孝一致」ということになる。神話には様々な神々が、伝承には様々な豪族が登場するが、色々な出来事を 経て、結局、天上には天照大神を中心とする秩序が整い、地上にはその反映として、天皇を中心とした秩序が整うという物語になっている。その際、神々や豪族 は天皇の臣下、協力者、帰順者として描かれている。このような先祖物語を尊重し、継承してきたことの意義は大きい。すでに先祖が天皇を中心とした物語の秩 序に組み込まれてしまっている以上、どの豪族にとっても、自分の一族の利益さえ追求すればそれだけで先祖に孝を尽くしたことなる、とは言えない構造が出来 上がってしまったていたからである。
たとえば、藤原氏の先祖である天児屋命は、天照大神が天石窟に隠れられた時には、天石窟の前でその 御出現を祈り、天孫降臨の際には、高皇産霊尊からは皇孫のための祭祀を、天照大神からは神鏡の防護を、それぞれ命じられている。したがって、藤原氏にとっ て、一族の繁栄のみを追求して、国家皇室の繁栄を無視するなどということは、決して先祖に対する「孝」とはなり得なかった。古代においては一族というのは 最も強力な私的関係であったと思われるが、それをも超える価値として、天皇を中心とした公的秩序を描き出すことにより日本神話は歴史に重大な影響を与える ことになったのだと、私は考えている。