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特別攻撃隊の英霊に捧げる   アンドレ・マルローの言葉

2012年03月05日 22時07分07秒 | 歴史

神風外国人から見た"KAMIKAZE"からの転載です。

アンドレ・マルローという人ほど、日本を理解した人がいただろうかと思います。

  

元リヨン大学客員教授で特操3期出身の長塚隆ニ氏は、特 攻隊員に対する戦前・戦後の急激な評価の変化、その純粋な心を傷つける輩の態度に憤りを感じておられた。氏は昭和49年夏にパリ南方郊外にアンドレ・マル ロー氏を訪れ、そのようなお話をされた。その際のアンドレ・マルロー氏の言葉は感動的である。

特別攻撃隊の英霊に捧げる

  アンドレ・マルローの言葉

(略)

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。こ れは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。ス夕-リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日 本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかっ た。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質であ る。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
  戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。
  フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いい のちをと、疑問を 抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子 の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗 り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」
  二十世紀の思想を代表するフランスの文人アンドレ・マルローは、こういうと床に視線を落としたまましばし瞑黙した。まさに百の頌詞にまさる言葉であろう。私はこれ をつつしんで特別特攻隊の英霊に捧げたい。




日本国民における「アマテラスの感情」

2012年03月05日 11時39分29秒 | 歴史

みどり松のブログからの転載です。

この論文の中で出てくるアンドレ・マルローの「アマテラスの感情」ははじめて耳にする言葉ですが、この「象徴的思惟」を指すというこの言葉には、なるほどと思わせられます。芭蕉の『京にいて京なつかしやほととぎす』の、まさに現実の京都にいながら、理想の京都(失われてしまった京都、永遠の京都)を求めるという感性や思惟様式が「象徴的思惟」だといいます。その感覚が日本文化全部に及んでいる、いやそれこそが日本文化の根源的な思惟方式なのかとも思われます。

 

 

山中学氏の論文(平成18年)より

天皇の象徴性は国民の宗教感情に支えられている

日本国民にとって、そもそも「天皇とはいかなるものなのか」という意味について慎重に考える必要があろう。

戦後、日本国民にとって天皇の存在と意味を明示したのは憲法であろう。憲法第一条には『天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、 この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』と規定されている。この文章の外国人起草者が日本の歴史や文化をどれほど深く理解していたのか定かでは ない。だが、「象徴」という言葉に込めなくてはならなかったもの、「象徴」と表現する以外に言葉がなかったものとは、日本文化の歴史と日本国民の感性との 根源的な絆である。

しかし、憲法が謳う『国民統合の象徴』に対して、実際には国民の間のさまざまな利害対立や、とくに天皇制を否定する共産党支持者のようなイデオロ ギー対立があり、実態としての「国民統合」は極めて困難である。けれど、その理想型では『天皇の下における国民統合』が完全に実施されている。こういう現 実の実態を踏まえながらあくまでも理想型を追求することが「象徴」ということなのである。

この現実と理想とを結ぶものが、象徴的な感性であり、象徴的思惟であり、象徴的認識といってもいい。たとえば芭蕉の『京にいて京なつかしやほととぎ す』の句のように、現実の京都にいながら、理想の京都(失われてしまった京都、永遠の京都)を求めるという感性や思惟様式が「象徴的思惟」なのである。天 皇制はこういう日本国民の象徴的感性や象徴的思惟に支えられてきたのである。

アマテラスの感情

こういう象徴的感性や象徴的思惟様式は日本国民に特有の感情で、世界の諸国民には例が見られないものである。この宗教的な感性が世界に冠絶する日本 のすべての芸術・文化の源泉となった。和歌・俳句はもとより宗教、思想、哲学、建築、彫刻、絵画、工芸、造園、演劇、舞踊、文学などのあらゆる文化はこの 感情の表現であった。そもそも日本神話が『捲(ま)けばすなわち万神は一神に帰一し、展(ひら)けばすなわち万神は一神を象徴する』という象徴の構造を とっていて、この象徴の感情の物語的表現であった。『万葉集』に詠われた数々の詩歌はすべて、この感情の詩的表現にほかならない。

例えば、柿本人麻呂の『東の野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ』(厳冬のよく晴れた日の出前、東の空を彩る陽光が東方の野原に輝 き始め、ふとふりかえってみると満月が西に傾き沈もうとしている)という詩は、人間の存在を日と月につらぬかれ、交錯しているものとしてみるという宇宙的 宗教感情の表現である。谷口雅春先生は日と月を『かみ』と読まれ、そこに『人間・神の子』という実相を感じられたのである。

アンドレ・マルロー

この日本の風土が培ってきた日本独特の感情について、たとえば那智の大滝そのものを御神体として祭っている神道の宗教的感情を見て、アンドレ・マル ローはそれを『アマテラスの感情』と呼んだ。

那智の大滝

那智の大滝の注連縄張り

こういうアマテラスの感情の最高の祭司が天皇なのである。神道は一つの宗教ではないのである。宗教・宗派など という人間が後天的に定めた価値観の範疇を超えたものであり、儒教、仏教を受容し、明治以後には西欧近代を受け入れ、第二次世界大戦後にはアメリカ流の自 由と民主主義を容れながら、神道のアマテラスの感情はビクともしないのだ。その根源は、変化の激しい日本の風土に生きていた古代人が、天地万物や自然に対 する畏敬と讃仰の感情から流れ出した万物に霊性を感得するアニミズム(精霊信仰)を基礎として生まれたシャーマニズム(超自然的なものとの交流の信仰)で あったろう。

こういう宗教感情は一般には"汎神論"として分類されたいるが、神道の宗教感情は特異である。前記した那智の大滝そのものを御神体として祭っている 奈良県の那智大社別宮と飛滝権現大社だとか、同じ奈良県の三輪山そのものを御神体としている大神(おおみわ)神社、その他日本全国いたるところの産土神は 山そのもの、川そのもの、海そのものを祭神としている。それはキリスト教やイスラム教などの一神教の宗教感情、神は人間と同じような形をしているとか、神 はご自分の姿形を象って人間をつくったとかいうような神人同形説の宗教感情とは異なった感情である。神道では前記したように山そのもの、川そのもの、湖そ のもの、海そのものなどが神として祀られている。とくに人間の認識以前からア・プリオリ(先験的)に働いている重力、光、電磁気などと神の愛との一体性を 神道の感情は感得していて、それは宇宙的宗教感情といえるのである。

だから神道の宗教感情を「神人同形説」の立場からみるのは誤りであり、神道に教義や経典がないなどというのは錯覚であり、山や川や湖や海などがその まま神道の教義・経典なのである。神道は、日本列島での生活や風土が育んだ人間の存在の根源への真摯で繊細な感性の表徴である。また伝統主義のように神道 の精神を日本列島だけに限定してしまう偏狭な国体論の見解も同じく誤りである。神道の精神はひろく広がっていて、つねに世界の諸文明と同じ呼吸と同じ鼓動 をともにしているのである。

天皇はこういう神道の「アマテラスの感情」と精神の最高最大の司祭であり、日本国民にとって天皇はア・プリオリの存在なのである。地球上の人間に とって重力がア・プリオリであるように、意識や認識以前の存在なのである。もちろん、日本の歴史過程で天皇の存在がさまざまに政治的に利用されてきたこと はよく知られている。だが、それらの時代を通して日本国民は独特の感性を一貫して継承してきたのであり、天皇はその純粋持続を保証してきた鏡であった。

男系維持は美の感情である。

日本歴史にはこれまで八人、十代の女帝の時代があった。だが、それはすべて男系の女帝であり、男系男子の天皇制を維持するための"つなぎ"であっ た。皇太子殿下の愛子内親王が皇位を継がれることは天皇制を維持するのにふさわしい"方便"であろう。しかしそれは皇位を「第一子相続」とすることではな い。「女性天皇」と「女系天皇」とでは意味がまったく違う。

「皇室典範に関する有識者会議」では「女性・女系天皇」を容認しているが、その議論は憲法と世論におもねったものである。皇位継承の本質は、男女平 等の議論や「ジェンダーフリー」論争とは何の関係もない。皇位の継承は、今の憲法や皇室典範が制定される二千六百年以上も前から厳然として世界に冠絶して 美しいがゆえに護持されなければならないのであり、日本国民はこれを美しいと感じる国民なのである。

 


歴史の嘘の見破り方 「南京大虐殺」などのウソを見破る二つの方法

2012年03月04日 11時09分01秒 | 歴史

 

国際派日本人養成講座からの転載です。

河村市長の発言が南京大虐殺と言われる、日本を貶めるために作られた捏造事件の真実を暴露するための、一石を投じた発言として後世高い評価が与えられるかもしれませんね。

実は私の父も終戦のときに南京にいました。こう言うと、年がバレてしまうので、今までネットでは年齢不詳で書いているため、年齢が分かるような話はできるだけ避けていましたが、河村市長の発言を聞いたら、ひどく共感して、バレテもいいから書くことにしました。

といっても河村市長よりは、私は五歳若いです。まあ五十歩、百歩ですけど。

私の父は大学三年で徴兵されて、終戦時は南京の部隊にいました。大学生だったので、士官候補生ということで見習い生のまま終戦を迎えたそうです。終戦前後二年くらいが軍歴ですが、南京に駐留したまま、運がよくて、一回も戦闘を経験せず、そのため人が殺されるところを一回も見ずにすんだと言っていました。部隊は南京に駐留生活をしていて、そのため中国の商人と交流があり、よく商人がいろんな物を部隊に売りに来たと言っていました。とくにピーナッツを「マミー、マミー」と売り声を上げながら来ていたそうです。日本語の豆(まめ)といっているつもりだったようです。

当時は中国は蒋介石政府が完全に中国全土を支配しているわけではなく、共産党もいるし、ある意味無政府状態で、中国人も必ずしもどの派についているかということは定かではなく、多分庶民にはあまり関係のない事だったのかもしれません。日本軍に好意的な人間も、そうでない嫌っている人間も、どちらもいて、それぞればらばらの意識だったようです。

とにかく南京市民がなにか特別に日本人に強い恨みがあるといった様子は全くなかったようです。

終戦になっても、すぐには帰ることが出来ずに、多分蒋介石政府の許可がないと帰れなかったのか、部隊はそのまま一年(よく覚えてないですが)くらいは、そのまま駐留生活を続けたと言ってました。武器は勿論取り上げられていました。

或るとき、父は友だちと外出して、町をぶらぶら歩き、中国人の経営する食堂などにはいって食事してきたりしたそうです。部隊に帰ったときに、上官から、「日本は負けたのだから、不用意に町に出て、襲われる危険もあるからあまり出歩くことはしないほうがいい」と注意を受けたと言っていました。たしかに日本軍の軍服を着て町を二人で歩いていたのですから、非常に危険だったのかもしれません。それでも、何事も無く帰ってきたのは、南京事件というものが本当にあったのならば、ありえないことではないでしょうか。

 

 

 

             Media Watch: 歴史の嘘の見破り方

 

「南京大虐殺」などのウソを見破る二つの方法。

 

■1.河村たかし名古屋市長の「南京大虐殺」否定発言

 

 名古屋市の河村たかし市長が2月20日、同市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談で、旧日本軍による「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した。

 

 その根拠として、河村市長は、終戦時に父親が南京市にいたことを挙げて「事件から8年しかたってないのに、南京の人は父に優しくしていただいた」と指摘した。「南京で歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」とも述べた。

 

 これに対し、中国南京市は「河村市長は南京大虐殺の史実を否定、南京人民の感情を著しく傷つけた」として、名古屋市との交流を当面中止すると発表した。

 

 両者の姿勢は対照的である。河村市長は父親の体験を根拠として、「南京事件」はなかった、と主張しているのに対し、南京市の方は根拠も示さずに「史実」と決めつけている。

 

 さらに河村市長は「互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」とオープンな議論を前提とした友好を望んでいるのに対し、南京市の方は河村市長の主張自体が「感情を著しく傷つけた」として、議論そのものを拒否している。

 

 そもそも相手の主張に対して、自分の「感情が傷つけられた」などと非難するのは、単に議論を拒否して、自分の言うとおりにしろ、と言うのと同じである。中国の方が根拠も挙げずに「南京大虐殺」を主張して、日本国民の「感情を著しく傷つけた」ことはお構いなしだ。こういう姿勢から、真の友好が生まれるはずがない。

 

■2.中韓の自己正当化のための歴史


 近年、我が国は中国の「南京大虐殺」や韓国の「慰安婦問題」など、近隣諸国の歴史攻撃にさらされてきたが、「言いたいことがあっても我慢して、心から謝れば、許してくれる」という日本的な美徳が通用しない相手である事は、誰の目にも明らかになりつつある。


 やはり、相手の非難に対して、歴史事実がどうであったかを徹底的に反論する必要がある。その意味で、河村市長の「南京で歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」という発言は、国際常識に則った姿勢である。

 

 歴史のウソを政治宣伝に使うという手段は、古今東西を問わず、広く行われてきた。特に中国の歴代王朝は自らを正当化するために、前王朝の歴史を悪し様に書くことを伝統としてきた。

 

 現在の共産党政権も「日本軍の侵略から中国人民を解放した」ことを、正当性の根拠としており、そのためにも「南京大虐殺」のように日本軍の悪逆非道ぶりを言い立てる必要がある。

 

 中国文明の伝統を濃厚に受け継いでいる韓国も同様で、日本帝国主義から国民を解放したことを正当性の根拠としている以上、日本統治が立派であったなどとは、口が割けても言えない。政権末期になると、かならず「慰安婦問題」や「日帝(日本帝国主義)36年の搾取」を言い立てて、国民の不平不満を反日の方向にそらし、支持率を維持しようとする。

 

 中韓とも、歴史とは自政権の正当性を主張するためのカードであるから、彼らの歴史とは、史実を追究することを目指す近代的な歴史学などとは、似て否なるものである。

 

 したがって、いくら学問的に論破しようとしても、相手が聞き入れるはずもない。しかし、まずは日本国民自身が彼らの主張の荒唐無稽さを十分に理解して、彼らの歴史攻撃をはねかえすだけの世論を持つ必要がある。本稿では、そのためのノウハウを二つ紹介したい。

 

■3.「脳裏再現性の原則」

 

 長浜浩明氏は『文系ウソ社会の研究』で、戦後左翼が語ってきた様々なウソを列挙し、そうしたウソの見破り方として、イザヤ・ベンダサンが『日本教について』で説いた原則を紹介している。その第一が「脳裏再現性の原則」である。ベンダサンによれば、

__________

 「事実」を述べる場合は、語られた言葉のどこかに「明確な写生的表現」が含まれているのが当然で、それがないのは異常だと言うことは確かに言えます。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 人間が外部から得る情報の80%以上は、視覚を通じてだという。したがって、本当に本人が見聞したことなら、それを視覚的な光景として表現できるはずである。逆に脳裏に再現できない光景というのは、ウソである可能性が高いということになる。

 

 長浜氏は、この原則を「南京大虐殺」で自らも悪逆の限りを尽くしたと主張する自称「元陸軍一等兵」東史郎が『わが南京プラトーン-一召集兵の体験した南京大虐殺』に記述した内容に適用している。それは次のような一節である。

__________

 日本軍の分隊長が支那人を郵便袋に入れ、ガソリンをかけて火をつけ、冷やしてやると言って手榴弾を結わえて沼に放り込み爆死させた。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 この分隊長・橋本光治氏が登場して、東を名誉毀損で訴えたことで裁判となり、この記述が法廷で吟味されることとなった。裁判の結果、「本に記載されている虐殺行為を裏づける客観的証拠も、描写を真実として信ずる理由もない」として、法廷は東らに罰金50万円の支払いを命じた。

 

■4.「彼は袋の中で暴れ、泣き、怒鳴った」

 

 東は裁判の途中でも、TVに登場して、こう語った。

__________

 (ナレーションが東の日記を読み上げる)

  どこからか、一人の支那人(放送ママ)が引っ張られてきた。彼を袋の中に入れ自動車のガソリンをかけ火をつけようというのである。彼は袋の中で暴れ、泣き、怒鳴った。

 

(東) ガソリンぶっかけて、ガソリンというのをね、たった一リッターかけても、ブワッと広がるんです。ボーッと飛び上がりおった。飛び上がって、転がるわけね。・・・

「おい、そんなに熱ければ、冷たくしてやろうか」と言うと、手りゅう弾を2発、袋の紐に結びつけて沼の中へほうりこんだ。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東の証言で、その状況が脳裏に再現できるか、という観点から、長浜氏はこう述べる。

__________

 先ず郵便物を人に押込んでガソリンで火をつけた後、どの様にして手榴弾を結びつけたのか。結びつけてから安全装置を外したのか、燃えさかる中でそんなことができる筈がない。

 

 この郵便袋を池に投げ込んだというが、燃えさかり、手榴弾を結びつけられ、人の入った郵便袋を素手で投げ込んだのか、想像すらできない。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 長浜氏の主張をヒントに、もう少し想像してみよう。郵便袋にガソリンをかけて火をつけたら、炎が「ブワッと広が」って、近づくことすら危険だろう。その中の人間が「飛び上がって、転がる」。それを押さえ込み、手榴弾を結びつけるだけで、大やけどしてしまうはずだ。

 

 また人間なら少なくとも50キロはあろう。水中とは言え、手榴弾を爆発させるなら、危ないから少なくとも10メートルほどには遠くに投げなければならない。スーパーマンならいざ知らず、普通の人間がどうやったら、50キロもの人間入りの袋を、しかも燃えさかっている状態で、何メートルも投げることができるのか。

 

 そもそも、この分隊長は、自分が大やけどをしたり、手榴弾の爆発で大けがをする危険を冒してまで、なぜこんな手の込んだ遊びをしなければならないのか。

 

 どうにも脳裏で再現することが不可能な光景である。判決で「描写を真実として信ずる理由もない」というより、「描写をウソとして信ずる理由ばかり」と言うべきだろう。

 

■5.「機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけて殺し」

 

 もう一つの例を取り上げてみよう。東京裁判では「南京大虐殺」で26万人以上が虐殺されたと判決を下したが、その根拠の一つが次の証言だった。

 

__________

 

 敵(日本)軍入城後、まさに退却せんとする国軍、および難民男女老若合計5万7048人を幕府山付近の四、五ヶ村に閉じ込め、飲食を断絶す。凍餓し死亡する者すこぶる多し。

 

  1937年12月16日の夜間に至り、生き残れる者は鉄線をもって二人を一つに縛り四列に並ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。しかる後、機銃をもってこと ごとく掃射し、さらにまた、銃剣にて乱刺し、最後には石油をかけて焼けり。焼却後の残屍はことごとく揚子江中に投入せり。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけて殺し、さらにその屍を揚子江に投入するなどという手間のかかることを、なぜ日本軍はしなければならないのか。

 

 そもそもこの証言者は、こういう虐殺シーンに立ち会いながら、どういう風に生き延びたのか? 日本兵に見えない透明人間として現場を見ていたというなら、分かるが。

 

 これも前節の例と同じで、脳裏に思い浮かべることのできない光景である。

 

■6.「数字補強の原則」

 

  もう一つのウソを見破る方法として、ベンダサンが挙げているのが「数字補強の原則」である。脳裏に情景が浮かばないのに、日時・時間・距離・金額その他の 数字が異常に正確なものは、数字によって信憑性を補強しようとしており、その数字を子細に検討すれば、「必ず数字に矛盾が出てくる」とベンダサンは言う。

 

  この証言でも「5万7048人」という数字が出てくるが、「四、五ヶ村」もの広域に閉じ込められた人数を、しかも「凍餓し死亡する者すこぶる多し」という 危機的な状況の中で、どうしてこんなに正確に数えられるのか? それも、村の数ですら「四、五ヶ村」としか、数えない人間が。

 

 この証言書は書面として提出されただけで、証言者に対して弁護側が反対尋問する機会は与えられなかった。アメリカ人弁護士は、

 

「本人を出廷せしめて、直接反対尋問することは、(英語を話す国民においては)常識である」と批判している。それが出来なければ「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも分からない人間の証言を使って審理することになる」という。

 

  東京裁判で26万余名の虐殺があったとする判決の根拠の一つが、この「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも分からない人間」の証言した「5万7048人」なのである。

 

■7.遺体埋葬数の不思議

 

 もう一つ、26万余の犠牲者があったとする根拠のうち、大きなものは、南京市崇善堂という慈善団体が犠牲者112,266体の埋葬を行ったという資料である。

 

 その詳細数値が期間毎に出ており、これを一日平均埋葬数として算出すると、以下のようになる。

 

    1912年12月   506体/日

    1913年 1月    49

    ・    2月    87

    ・    3月    77

    ・    4月 8,060

 

 事件直後の1912年12月こそ、一日あたり506体もの遺体を埋葬しているが、その後、49体、87体、77体と減少している。3月までの記録では、埋葬場所も記録されており、合計で7,548体であり、ここまでは理解できる。ただ戦闘での死者もありうるから、当然のことながら、埋葬数=虐殺数ではない。

 

 それが事件後、5ヶ月目にして、一挙に日当たり8,060体と百倍にも急増している。場所は城外というだけで、記載がない。弁護側は、日本軍が清掃した後で、5ヶ月も経ってから、合計104718体もの死体が残っているはずがない、と主張している。

 

 この記録も、証人を喚問して、弁護側が反対尋問をかけたら、すぐにウソがばれたはずだ。「南京大虐殺30万人」とは、こんな数字から出てきているのである。

 

■8.中国に「南京大虐殺」カードを捨てさせるには

 

 中国の言う「南京大虐殺の犠牲者30万人」の根拠とは、この程度の子供騙しなのである。そして、中国政府はそれを知りつつも、今後も「南京大虐殺」という外交カードが有効である限り、それを使うことをやめないであろう。

 

  この外交カードを無効にするためには、まずは日本国民の中で、中国の言う「南京大虐殺」がどれほどいい加減で、根拠のないものであるかをよく認識する必要 がある。そして河村市長のような発言が出た場合に、広範な国民的世論でしっかり支持をし、中国側が友好行事の中止などと揺さぶりをかけても、「どうぞご勝 手に」と無視する姿勢が必要である。

 

  逆に、日本の政治家や外交官が、目先の「日中友好」を求めて、「南京大虐殺」を史実として認め、すぐに謝ってしまおうとしたら、それに対する轟々たる世論 の非難を浴びせかけなければならない。政治家や官僚が、国家国民の名誉よりも、自己の保身や功業を優先すれば、当然、その報いを受けなければならない、と いうのが、民主政治の正道である。

 

 日本国民がこのような確固たる世論を確立して、中国が「南京大虐殺」は外交カードとして効力を失った、使っても損をするだけだ、と悟った時、彼らはその使用をあきらめるであろう。要は日本国民の自覚の問題なのである。

 

(文責:伊勢雅臣)


元慰安婦問題日本に李明博大統領早期解決と謝罪要求、土下座外交の民主党政権で李明博が態度を変えた

2012年03月03日 12時30分00秒 | 歴史

近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。

イ・ミョンバク大統領は、麻生総理の時には、はっきりと日本には日韓基本条約で、賠償請求問題はすべて解決済みであり、被害者は今後は日本ではなく韓国政府に補償を求めるように言っていました。これは麻生総理の外交の巧さで、しっかりと史実と論理の正しさをもとに政治や経済の駆け引きによって勝ち得たことだったと思います。

これが民主党政権になって、日本の自虐的な姿勢が強まり、外交が四方八方に土下座するような媚び諂いの弱腰外交になったのを見て、李大統領の態度が豹変して、またも日本政府に補償要求する姿勢に変わりました。

外交は国益のぶつかり合い、せめぎ合いであり、決して友好的にこちらが引けば向こうも引くなどということはありません。引けば益々押してくるのが世界の外交です。とくに親日国ではない国なのですから、当たり前の話です。

 

元慰安婦問題日本に李明博大統領早期解決と謝罪要求、土下座外交の民主党政権で李明博は態度を変えた、日本は河野談話・菅談話など撤回して従軍慰安婦は日本軍人相手の売春婦の真実を主張すべき

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良識ある日本国民の皆様には、韓国の李明博大統領が元慰安婦問題で日本へ早期解決と謝罪を要求したのはご存知だと考えます。

元慰安婦問題 日本に李明博大統領 早期解決と謝罪要求

韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は1日、
日本統治下の朝鮮半島で起きた反日抗議運動「3・1独立運動」を記念する式典で演説し、
元慰安婦への賠償請求権問題について「すぐに解決しなければならない人道的問題だ」
と述べ、日本政府に早期解決に向けた努力を促した。  李大統領が、8月15日(光復節)と並んで日本統治からの解放を祝う
3・1独立運動の記念演説で、この問題に言及したのは初めて。
元慰安婦の高齢化に触れて「このまま世を去ったら
日本は問題解決の機会を永遠に逃す」と主張した。
(産経新聞)抜粋
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120301-00000598-san-int

 

>日本統治下の朝鮮半島で起きた反日抗議運動「3・1独立運動」を記念する式典

日韓併合時の「3・1独立運動」について、当時の日本は謝罪するような事実はありませんでしたが、日韓併合より100年目に韓国の主張を一方的に受け入れた、2010年8月10日の「菅内閣総理大臣談話」では謝罪をしています。

菅談話は、「三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」などとしました。

菅談話の「この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し」などを、韓国人は、日本政府が慰安婦への個人請求権を認めたと解釈していますし、朝鮮王室儀軌などを韓国へ引き渡したことも、日本が求めに応じたことになりました。

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>元慰安婦への賠償請求権問題について「すぐに解決しなければならない人道的問題だ」と述べ、日本政府に早期解決に向けた努力を促した

李明博の発言は、4月の国会議員選挙と12月の大統領選挙を前に、閣僚や身内の不祥事、所得格差拡大など国民の不満を日本へ向けるためですが、元慰安婦への賠償請求権を解決するのは、日本政府ではなくて韓国政府に義務があります。

日本と韓国は、1965年に「日韓基本条約」並びに、「日韓請求権並びに経済協力協定」(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)を締結しています。

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日韓請求権並びに経済協力協定の第二条、「両国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」と合意・確認しているので、日本は韓国から慰安婦の賠償請求を受ける義務はありません。

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1965年の「日韓基本条約」、「日韓請求権並びに経済協力協定」の締結により、日本は韓国に8億ドルの経済援助を行ない、当時、日本の外貨準備額は18億ドルですから莫大な金額で、現在価値にすると当時の韓国の国家予算の約2.5倍、2兆円相当の援助です。

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日韓基本条約締結時に、日本は韓国に対して個人への直接補償を提案しましたが、韓国側が拒否して、韓国政府が個別補償をすると決めたのですから、個別請求権を放棄したのは韓国なので、元慰安婦への補償義務は韓国政府にあります。

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>李大統領が、8月15日(光復節)と並んで日本統治からの解放を祝う3・1独立運動の記念演説で、この問題に言及したのは初めて

2009年に来日した李明博は、麻生総理の「過去のしがらみに捉われず、新しい日韓関係を築こうではないか」と云う呼びかけに応じて、「強制連行や従軍慰安婦問題について、日本に新たな謝罪を求めません」と誓約したと言われています。

自民党政権は、竹島問題を棚上げして日韓友好を唱えましたが、李明博が態度を変えたのは、弱腰外交の自民から土下座外交の民主党政権になったからで、李明博は菅内閣の閣僚だった野田首相も同じだと強気になりました。

韓国は、2008年の経済危機と同じで「韓銀砲」でウォン下落を止めることが出来ない状況でしたが、昨年10月19日、野田首相は李明博との会談で、日韓通貨スワップ限度額を現行の130億ドルから700億ドルに拡大しました。

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藤村修官房長官は1日の記者会見で、李明博が元「慰安婦」への賠償請求権問題の早期解決を求めたことに、日本が解決済みの賠償請求権とは別に、「今後も何ができるか知恵を絞り、検討を進めるという姿勢だ」などと語っています。

昨年12月に野田首相は、李明博が在韓日本大使館前の慰安婦像を、「第2、第3の像が建つ」などと撤去要請を一蹴した日韓首脳会談後に、「人道的見地からさまざまな努力をしており、これからも知恵を絞ろう」と語っていました。

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民主党政権は、元慰安婦に見舞金を支給した「女性のためのアジア平和国民基金」に代わる、新たな基金創設を考えていますが、新たな基金創設をすることは、また従軍慰安婦の存在を認める過ちを繰り返すことになるだけで、血税の無駄です。

自社さ連立政権の村山内閣は1995年7月、「女性のためのアジア平和国民基金」を発足、すべての償い事業が終了したので2007年3月31日に解散、日本政府が広告・宣伝・運営に70億円を支出したというのですから、血税の無駄でした。

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日本政府・日本軍が、慰安婦を強制連行、慰安所を設置した事実も、従軍看護婦や従軍記者のように軍属扱いした事実もありませんし、そもそも「従軍慰安婦」という呼称すら存在しませんでした。

1992年7月に日本政府は、旧日本軍は慰安所の設置や管理に関与した事は認めていますが、ここで言う関与とは、開設の許可・施設の整備・利用時間や料金を定めた規定の作成・軍医による検査などを指すものです。

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慰安所規定(利用時間や料金など)

 

捏造した日本軍従軍慰安婦を認めたのが、1993年(平成5年)、宮澤喜一改造内閣の官房長官として、従軍慰安婦問題に関する日本政府の調査結果を報告した、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」です。

当時の従軍慰安婦問題調査では、日本軍が慰安婦の強制連行を行なっていたとする書類資料は一切発見されなかったのですが、平成5年8月4日、韓国における元慰安婦からの聞き取り調査だけを根拠として、「河野談話」が出されました。

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日本は、1993年「河野内閣官房長官談話」、2001年「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」、2010年「菅内閣総理大臣談話」など、数々の売国談話を撤回して、従軍慰安婦=日本軍人相手の売春婦の真実を主張すべきです。

李明博が元慰安婦問題で日本に早期解決と謝罪を要求しましたが、土下座外交の民主党政権で李明博は態度を変えたのですし、日本は河野談話・菅談話などを撤回して、従軍慰安婦の真実を主張すべきです。

良識ある日本国民の皆様、従軍慰安婦問題についてご考慮ください。

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転載元 転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

 


『日本人が知ってはならない歴史』  若狹 和朋氏著

2012年03月02日 23時34分09秒 | 歴史

『日本人が知ってはならない歴史』という本、とても面白そうですね。日本の今の歴史教育では、明治から昭和の大東亜戦争までの歴史を、世界の情勢を無視して日本だけの問題であるかのごとく、軍国主義の流れからおこった結果のように教えていますが、世界を動かすようなユダヤ勢力との関係において、わが国が近現代史の中で世界の動きを見誤り、陥れられていく歴史をはっきりと書いた本であり、目が醒めるような本であるようです。

【日本人が知ってはならない歴史】1/6

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