Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

覚えていないだろうけど。

2019年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

父が亡くなったとき、母にどう伝えようかという話になり、

お通夜は夜なので無理だけど、お葬式には来て欲しいということになった。

 

母は認知症が進んできていて、今は特別養護老人ホームに入っている。

施設の許可を取って、福祉タクシーで移動することになった。

車いすでの移動なので外出は結構大変なのである。

 

母が式場にきて祭壇の遺影をを見た時に妹が「お父さん、わかるか?」

と聞いた。母はなぜか、その時、「死んだんやな」と一言だけ言った。

そして一筋の涙を流した。。。

 

すぐに忘れて覚えていないのだろうけど、確実に一瞬だけでも理解していた。

その後、お経を聞きながら、車いすに座っていた母は、木魚のリズムに

合わせて足を動かしていた。

まるで自分もお経を読んでいるかのようであった。

認知症の母の精一杯の気持ちの表れだったように思えた。


家族葬

2019年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム

父は今年ぐらいは持ってくれるかな、というような感じであったが、

歳もとっていたので、どうなるかわからないというのである程度

葬儀について弟が調べていた。ただ、あまりにも急だったが、家族葬に

しようということだけは決定していた。兄弟4人の関係者までくるとなると

結構な人になってしまうし、申し訳ないが、父は家族に見送られるのを

希望していたように思ったからである。

 

21:21に息を引き取ったが、兄弟が集まって全員で死亡確認ということで

結局、正式な時間は23:10となった。それから遺体を引き取ってくれる

ところを探してそのまま葬儀に入らないといけないという状況になった。

金曜日に亡くなって月曜日が友引ということで逆算すると土曜日にお通夜、

日曜日にお葬式ということになる。そうしないと火曜日までお通夜ができない。

 

あらかじめ調べて起いた中から家族葬で30名ぐらいまでの葬儀にした。

連絡を取って遺体を引き取ってんもらい、一晩安置してもらった。

とても丁寧に対応してもらい、疑問点の説明も良くしてもらった。

人数は母と子供と孫だけで14名になり、後は、父の兄弟夫婦と母の関係位しか

呼べないということになり、急遽連絡して集まってもらうことになる。

 

家族葬と言ってもやることは普通の葬儀と一緒で人数が少ないだけである。

喪主など初めてであり、兄弟に手伝ってもらいながら、何とか無事に最後まで

見送ることが出来た。申し訳ないが、多数の方が来られていたら、その対応で

大変だったと思うし、家族葬であったので、ゆっくり見送ることが出来たと思う。

 

その方が、父が望んでいただろうと思っている。入院しているときに治療方針の

話し合いも父がどういうことを望むだろうということだけを考えて結論を出してきた。

友禅の職人という人生を歩んだ父であったが、その生き様を見せてもらった。

 

父には、本当に感謝している。

 

 

 

 

 


宗派

2019年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ボクが小学生の頃、宿題で何宗か調べることがあり、親に聞いたことがある。

そうすると「浄土真宗」という。だけど、祖父のお墓は京都の真如堂にあり、

そこは「天台宗」であった。どうも祖父が、真如堂を気に入り、そこにお墓を

つくったのだ。その時に詳しくはどうなったか知らないが、辻元家は「天台宗」と

いうことになった。

 

何がいいたいかと言うと宗派によって戒名や様々なことが違うので葬儀屋に

問われて慌ててしまったということ。幼い頃の記憶と違うのでどれが本来の

宗派なのか、あまり宗教に縁のない人間としては不安だったのである。

 

親戚に問い合わすとどうもやはり「天台宗」であった。そして真如堂にお願いして

お通夜とお葬式でお経を読んでもらった。こうなったら、戒名も天台宗の戒名で、

お仏壇も天台宗のお仏壇で、お位牌もその様につくることになった。

 

もともと墓参りで真如堂の本堂にはお参りしていたが、今後は行く機会が増えるだろう。

なんか、天台宗の歴史なんかも調べたりし出して、こういうことがキッカケで宗教に

目覚めるのかと思う。真如堂のお坊さんはとても親切な人であって、戒名の意味なども

詳しく教えて下さった。季節の「楓」という文字も入れてもらい何となくいいなあ、と

いう戒名であった。

 

 


親父がこの世を去った。

2019年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ご無沙汰しております。

親父が11月22日に永眠致しました。86歳でした。

口からモノを食べなくなり、約3カ月でこの世を去りました。

数年前まで仕事をしていて元気だったのですが、

入院したのをきっかけに急速に衰え、この世を去っていきました。

親父らしい、父が願っていたような最後だったと思います。

そして苦しまずに、そっと眠る様にこの世を去りました。

 

子供に迷惑をかけず、人間は最後には土に帰るだけや、というのが

父のよく言っていた言葉です。その通りの人生を歩んだと思います。

子供のために人生を生き、4人の子供を育てあげました。

母のことは気にかけていて、常に自分のことより、よくする様に言っていました。

体調が悪くなり、仕事を辞めると決めた時、会社に挨拶に行った妹が

会社の人から聞いた言葉です。「鉄人が、信じられない。」と健康だった父の変化に

驚かれたようです。同じ職場の職人さんから鉄人と呼ばれるほど頑丈な人でした。

 

いろいろな思い出はたくさんありますが、書ききれないので書きません。

が、しかし、父の姿をみて育った兄弟には父の無言の教えというようなものを

一人一人が思い思いに感じており、非常に感謝しております。

言葉では言い尽くせないほど、いろんなことを教えてもらい、その実行している

真摯な姿を見させてもらいました。

 

最後には、やはり、「ありがとう」という言葉が子供たちの思いのすべてです。