「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

言葉に囚われずに 本音を汲む (2)

2010年01月26日 22時01分57秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 「気持ちを汲む」 という妙薬も、 心子には 通じないことがありました。

 心子が電話で 苦痛を訴えてきたときの会話です。

僕 「そんなふうに思うほど、 つらいんだね……」

心子 「マーには分からないわ、 希望を持てない 人間の気持ちは」

僕 「色んな事が重なって、 今 疲れてるんだね……」

心子 「今じゃないの!  36年間 ずっと苦しんできたの!

これからも 一生苦しむのよ!」
 

 心子は言葉が立ったので、 自分の気持ちや考えを 言葉で伝えることは得手でした。

 僕はそれを 傾聴することに勤めました。

 パニックを起こしたときは 別ですが、

 心子は感情的になって 攻撃してくるときでも、

 自分でわけが分からず 混乱しているのでもありませんでした。

 それは心子が 自分の気持ちを自覚し、

 感情をコントロールすることに 役立っていたのでしょうか? 
 

 僕はもしかすると、 言葉を額面通りに受け取る 傾向があるかもしれません。

 心子が引きこもっていたとき、 僕の部屋に来ないかと マンションへ迎えに行ったら、

 案外抵抗なく 応じた心子でしたが、 僕の所へ 向かう道すがら、

 「もう帰る」 「顔見たから もういいでしょ」

 などと しきりに文句を言いました。

 従来の僕なら、 来たくないのだろうかと 思ったかもしれません。

 でも、 主治医の先生の助言を 思い出していました。

 「言葉より行動を見るように」

 言葉とは裏腹に 足は前に進んでいる 心子を見て、

 僕は彼女の気持ちを 汲むことができた次第です。
  


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