「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

神が与えた被害者 -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (2)

2012年02月21日 00時16分38秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 第一審で無期懲役判決が出たとき、 本村さんは

 「被告を早く 社会に出してほしい。 私がこの手で殺す」

 と 公の記者会見で述べ、 人々に衝撃を与えました。

 参加していた記者たちは、 自分の家族に思いを馳せ、

 ぼろぼろ涙を流しながら メモを取っていたといいます。

 そして、 本村さんは自殺を考えたそうです。

 被害者が二人で 死刑にならないとしたら、 自分が3人目の犠牲者になれば、

 結果の重大性が 裁判官に伝わるのではないか、 そういう遺書を書いたというのです。

 (遺書を見た会社の人に、 本村さんは止められました。)

 悲憤と涙に打ち震えながら 訴えた本村さんの言葉は、 非常に強く胸を打つものです。

 「被害者だって 回復しなければいけないんです、 被害から。

 人を恨む、 憎む、 そういう気持ちを乗り越えて、 再び優しさを取り戻すためには、

 死ぬほどの努力をしなければならないんです」

 怒りに身を任せてしまうだけでなく、 その先にある 優しさのことまでを見据えた、

 深い人間性と、 その苦しみには、 計り知れないものを感じます。

 当時の小渕総理は、

 「無辜 (むこ=無実) の被害者への 法律的な救済がこのままでいいのか。

 本村さんの気持ちに 政治家として応えなければならない」 と 語りました。

 被害者の立場を見直し、 改善させてきた動きは、

 本村さんの存在なしには あり得ませんでした。

 法律の専門家でさえ、 自分自身が被害者遺族の立場になると、

 ガタガタになって まともな話ができなくなってしまうといいます。

 しかし、 素人でありながら本村さんは、 極めて冷静で論理的に、

 そして 深遠な人間的感情をたたえ、

 人の心に響く 言葉を発して、 司法を動かしてきました。

 犯罪被害者支援の黎明期にあって、 甚大な功績を担った 本村さんに対し、

 ある人が言った言葉を、 僕は忘れることができません。

 「神が与えた被害者。」

(次の記事に続く)

〔参考:フジテレビ「知りたがり!」〕
 


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