「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

愛の再生

2009年02月18日 14時15分15秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(10/23)

「 人に理解される、 人を理解するということの 困難さを

 誰よりも思い知らされながら、 誰よりもそれを求め、 もがき苦しんでいる。

 そのことについては 僕はこの3年間、 或いはこの数カ月間、

 どん底をのたうちまわるような 悲痛を味わった。

 このようなことは 人に漏らさず、 黙って持ちこたえ、

 自若として成長していくのが 人物といわれるものかもしれない。

 しかし 僕をして作家へ向かわしめる 表現欲求 (或いは自己顕示欲) は、

 どうしても 告白の衝動をかきたてる。

 そうするたびに 僕は誤解を増大させ、 侮蔑され、 人に疎ましがられてきた。

 しかし それでもなお僕は、 言うことを ついにやめることができない。 」

(11/12)

「 僕は 君をできるだけ 尊重することを努めてきた。

 しかし、 根本的に 自己主張のほうが強かった。

 僕が 努めなければならなかったのは、

 君を尊重することではなく、 君を活かすことだったろう。

 僕が 君をかわいいと思うときには、

 君は君の好きなものを 信じればいいし、

 僕は僕の正しいと思うものを 信じればよかったのだ。

 僕はそのように 心掛けたつもりだった。

 しかし、 君の僕に対する あまりに見当外れな (僕にとって) 意見は、

 僕を面食らわせ、 君を包容する 余裕を失わせた。

 君は 僕の理解の範囲外にあった。

 だからこそ僕は それを理解したいと思った。

 僕は知りたいのだ。

 僕は分かりたいのだ。

 どうしようもない欲求だ。 」


「 自分と近しい人間が、 親しかった人間が、

 このまま 心が離れてしまうなんて、 こんな悲しいことは ないではないか。

 拒絶したままでいる、 こんな悲しいことは ないではないか。

 人は誰しも 愚かさを持っている。

 ある人にとっては 美徳であっても、

 ある人にとっては 愚劣である場合もある。

 また その逆もある。

 人の愚劣さだけを見取って、

 その人の本性を 見取ったような錯覚に 陥っているのは、

 何とも愚かしく 悲しいことではないか。

 誠意を持とう。

 相手の誠実さを 信じよう。

 善良さを確認しよう。

 過ちを許そう。

 そして その愚かさをも愛そう。」

(次の記事に続く)
 


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