「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「心のネットワーク」 (2)

2009年03月13日 20時18分25秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

「 『 もし僕が 人生に殺されたとしても、

 それでもなお、 僕は 人生に希み (のぞみ) を かけずにはいられない。 』

 苦中の僕は、 深大な感慨をもって それを感得することができた。

 人生は いつかまた 僕を裏切るだろう。

 しかし、 僕こそは もはや人生を 裏切ってはならないのだ。

 幸福なときにではなく、 最も苦しいときに、 それを感じ取ることができた。

 感じ取れるものが 自分の中にあった。

 自分はもう生涯 幸せになることはできないだろうと 苛まれていたなかから、

 絶望ではなく希望が、 憎しみではなく愛が、 自らのうちに甦ってきた。

 この底知れない希望は、 果たして何なのだろうか?

 一体どこから やって来たものなのだろうか?

 これはもはや  『あるもの』 から 自分のうちに与えられたのだ、

 としか、 僕には思えない。

 与えてくれたもの、 信じさせてくれたものの 存在を、

 僕は 渇仰しないわけにはいかない。


 僕は 特定の宗教は持たない。

 それが 『あるもの』 に対する 僕の敬虔さである。

 『あるもの』 は 一切を止揚し、 そしてまた 万物のなかにある。

 『全』 にして 『個』、  『個』 にして 『全』 というものなのだと思う。

 自己 (個) と 『あるもの』 (全) は、

 最も根源的なところで 繋がっており、 全一なるものである。

( ウパニシャッド哲学では、 真実の自我たる 『アートマン』 と

 宇宙そのものである 絶対者 『ブラフマン』 とは、

 最終的に 同一になるとされる。 )

 善と悪さえも 一体であると思われる。

 あらゆる個は 互いに 争闘し合うとともに、

 それらの相剋は あまねく 全なる存在に支えられている。」

(次の記事に続く)
 


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