「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「心のネットワーク」 (1)

2009年03月12日 21時15分40秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
 「ジャン・クリストフ」 や 友人との出会いによって、

 長く、 重苦しい暗闇から ようやく抜け出し、

 やがて 深い傷も癒えて、 日常生活も取り戻していきました。

 僕は ある会の冊子、 「心のネットワーク」 に 以下の文章を寄せました。

「 僕には 27才のとき、 大なる挫折の 時期があった。

 孤独、 自己否定、 絶望、 嫉妬、 世に対する呪い……

 あらゆる負の感情に 蝕まれ、 僕は泥沼の底で のたうちまわっていた。

 苦しみは 人を執着させ、 悲しみは 人を過敏にさせる。

 周囲のあらゆる不実に ずたずたに切り裂かれ、

 僕は全てを見失って 喘いでいた。

 苦しみと悲しみを蕩尽し、 破滅の淵に窒息しながら、

 僕は必死になって 救いを、 癒しを、 求めていた。

 僕は あまりに苦しかったのだ。

 居るのが 苦しい。

 早く、 一日が 終わってほしい………。

阿鼻叫喚のなかで、 僕は ロマン=ロランの 『ジャン=クリストフ』 と、

 ひとりの友の 存在に出会った。

 彼らの存在がなければ、 今、 僕は 精神病院か刑務所にいたとしても、

 あるいは こうしてここに 生きていなかったとしても、 少しも不思議ではない。

 彼らの支えによって、 僕は長い苦しみを 苦しむなかから、

 『 もし僕が ここで死んでも、 自分と同じ魂を 持った人達が、

 僕のできなかったことを やっていってくれる。

 僕は魂によって 彼らと繋がっている。

 自分は 一人ではないのだ。』 ということを、

 全身全霊をもって 体得していくことができた。

 それは まさに 『宗教体験』 と 言えるものだった。

 あらゆる魂は ひとつに繋がっている。

 全ての命は ひとつのものである。

 それは 僕の 『信仰』 とも 言えるものになっている。

( その 絶対的な存在に対し、

 長い間僕は 名前を付けることができないでいたが、

 自分のうちに  『あるもの』 という 言葉が生じてきた。 )

(次の記事に続く)
 


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