「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

若き日の 「ジャン・クリストフ」 (1)

2008年11月30日 19時15分07秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 若きクリストフは、 自らの芸術に 新しい価値を発見し、

 歓喜に満ちていました。

 それを力一杯 表現し、 主張していったのです。

 当時の僕も クリストフと同じ道を 辿っていました。

 マンガ同人誌の会誌に、 自分の芸術観などを 毎月 書き続けていました。

 長くなりますが、 「ジャン・クリストフ」 の一節を そのまま引用します。

 僕は当時 何回も何回も読み返し、 ある部分は 完全に暗唱していたものです。

「 ジャン・クリストフは 過去にも未来にも

 ただ1度しか 存在しないということを、 彼は傲慢にも信じていた。

 青春の素敵な無遠慮さで、

 まだ何物も できあがったものはないように 思っていた。

 すべてが 作り上げるべき--もしくは作り直すべき--もののように思えた。

 内部充実の感情は、 前途に 無限の生命を有するという 感情は、

 過多な やや不謹慎な 幸福の状態に 彼を陥れていた。

 たえざる喜悦。

 それは 喜びを求める要もなく、 また 悲しみにも順応することができた。

 その源は、 あらゆる幸福と美徳との 母たる力の中にあった。

 生きること、 あまりに生きること……!

 この力の陶酔を、 この生きることの喜悦を、

 自分のうちに--たとい 不幸のどん底にあろうとも--

 まったく感じない者は、 芸術家ではない。

 それが試金石である。

 真の偉大さが 認められるのは、

 苦にも楽にも 喜悦することのできる 力においてである。

 クリストフは その力を所有していた。

 そして 無遠慮な率直さで 自分の喜びを見せつけていた。

 少しも 悪意があるのではなかった。

 他人とそれを 共にすることをしか 求めていなかった。

 しかし その喜びをもたない 大多数の人々にとっては、

 それは 癪にさわるものであるということを 彼は気づかなかった。

 そのうえ彼は、 他人の 気に入ろうと入るまいと 平気であった。

 彼は おのれを確信していた。

 自分の信ずるところを 他人に伝うることは、

 わけもないことのように 思われた。

 そして 自分の優秀なことを 認めさせるのは、

 きわめて容易なことだと 考えていた。

 容易すぎるくらいだった。

 おのれを 示しさえすればよかった。

 彼はおのれを示した。」

(次の記事に続く)

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕
 

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